明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 17

184.『友達』(17)――『友達』1日1回(つづき)


第5章 胃腸病院の3階
    二郎・三沢・三沢の看護婦・宿の下女・岡田・(医者・宿の隣客)

第13回 わがままな入院患者(7/28金)
第14回 電話の向こうの看護婦を𠮟り飛ばす(7/28金)
第15回「うん、あの連中と飲んだのが悪かった」(7/29土)
第16回 病室での共同生活(7/30日~7/31月)
第17回 岡田からの3度目の電話に三沢も「又例の男かい」(8/1火)

 岡田が二郎にしつこく連絡を取り続けるのは、もちろん物語を次篇へ繋ぐための役目を担っているからであるが、どうせ市内にいるのなら、宿なんか引き払って自宅に来ればよいという謎かけでもある。半分本音であろう。はるばる縁者がやって来たのに、いつまでも宿に泊まっているというのは、(長野家に対して)義理が悪いのである。

第6章 あの女
    二郎・三沢・あの女・付添の年増・三沢の看護婦・あの女の看護婦・(病院の看護婦・入院患者たち)

第18回 待合室に続く廊下で始めて「あの女」を見る(8/3木)
第19回 二郎の見染めた女は三沢の知り合いか(8/3木)
第20回 三沢の打ち明け話(8/4金)
第21回 三沢の打ち明け話(つづき)(8/4金)
第22回 あの女は入院時三沢に見られていた(8/5土~8/7日)
第23回 あの女の素性(8/5土~8/7日)
第24回 あの女の素性(つづき)(8/5土~8/7日)
第25回 様々な入院患者(8/5土~8/7日)

 舞台が岡田の家から病院へ移ると、『門』の参禅の章ほどではないが、小説の勢いも停滞するようだ。病院での人間模様の描かれ方が、雑然とし過ぎていることだけが原因ではなかろう。舞台が固定されて、固定されるのはいいがそれで周囲の人物が移動しなくなると、漱石の小説は活気を失う。
 漱石の小説に病気や病院は付き物だが、『行人』に限っては、三沢も「あの女」も動けなさ過ぎることが、小説の魅力を(少しだけ)削ぐ結果となったようである。慥かに二郎は日参しているし看護婦たちも派手に紹介される。しかしいかにも活動しない。同じ轍を踏まない漱石は、後の『明暗』では病室で動きのないまま人物を延々と議論させることにより、また新しい世界を読者に見せてくれるのだが。
 思うに(三沢の体験に比して)この章全体の印象が地味なのは、病院と三沢(二郎)の宿所の位置関係が、漱石の中で具体的にイメジされていなかったことによるのではないか。宿所から病院まで、漱石は一度も歩いたことがなかったのではないか。小説ではその道のりは一応書かれてはいるが。

第7章 潮時
    二郎・三沢・あの女・あの女の看護婦・三沢の看護婦・岡田・お兼さん・(出帰りの娘さん)

第26回 占いゲーム(8/5土~8/7日)
第27回 三沢と二郎の「友情」(8/8月)
第28回 三沢退院の決意(8/8月)
第29回 お兼さんから金を受け取る(8/8月)
第30回 三沢とあの女の別離の会見(8/8月)
第31回 退院(8/8月)
第32回 出帰りの娘さん(8/8月)
第33回「あの女の顔がね、実は其娘さんの顔に好く似て居るんだよ」(8/8月)

 三沢から待ち望んだ手紙が届いて、二郎はいったん岡田の家(お兼さん)と別れるのであるが、それから『友達』の終盤になって、お兼さんはもう2回読者の前に姿を現す。お兼さんが病院を訪れたくだりの漱石の巧みな筆致を、それは(美禰子が三四郎に金を渡すシーンのように)女が男に金を渡すところが描かれているせいであると、先の項で述べたが、お兼さんが登場して紙面が活き活きするのは、もう1つ理由があるようである。

「とうとう御着になりましたか」
 自分は一寸お兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝た揚句とうとう病院に入ったのである。自分は病院の名を指してお兼さんに地理を聞いた。①お兼さんは地理丈は能く呑み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分は兎に角鞄を提げて岡田の家を出る事にした。
「どうも飛んだ事で御座いますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。・・・(『友達』12回)

 漱石が実際に入ったのは3階建ての胃腸病院である。大きい病院であるが誰もが知る病院ではない。それでお兼さんも知らなかった。

自分は二日前に天下茶屋のお兼さんから不意の訪問を受けた。其結果として此間岡田が電話口で自分に話し掛けた言葉の意味を漸く知った。だから自分は此時既に一週間内に自分を驚かして見せるといった彼の予言のために縛られていた。三沢の病気、美しい看護婦の顔、声も姿も見えない若い芸者と、其人の一時折合っている蒲団の上の狭い生活、――自分は単にそれ等ばかりで大阪に愚図ついて居るのではなかった。詩人の好きな言語を借りて云えば、③ある予言の実現を期待しつつ暑い宿屋に泊っていたのである。(同27回冒頭)

 せっかちな二郎がいつまでも大阪に愚図ついているのは、親友が病気をしているという理由だけではない。漱石は子規には親切だったが、それは一般的ではない。漱石は珍しく言い訳をしている。そのせいだろうか(あるいはそれ以外にも理由があるのだろうか)、この文節は少し分かりにくい。③は単に岡田が1週間内に驚かせると言ったことのみを指しているのだろうか。

 自分はお兼さんと電車の終点迄一所に乗って来て其処で別れた。「では後程」と云いながらお兼さんは洋傘を開いた。自分は又俥を急がして病院へ帰った。顔を洗ったり、身体を拭いたり、少時三沢と話しているうちに、④自分は待ち設けた通りお兼さんから病院の玄関迄呼び出された。お兼さんは帯の間にある銀行の帳面を抜いて、其処に挟んであった札を自分の手の上に乗せた。
「では何うぞ一寸御改ためなすって」(同29回再掲)

 ④の記述の遠い伏線として①がある。お兼さんと病院との距離は漱石の(頭の)中では明確である。②の場合も読者は当然、お兼さんがやって来たのは病院であろうと思う。二郎は昼間は病院へ詰め切りになっているのであるから、宿を訪れたとすれば夜間ということになり、ちょっと不自然である。しかるに次篇『兄』の冒頭では、いきなりこのときのことに触れている。

 自分は三沢を送った翌日又母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場に出かけなければならなかった。
 自分から見ると殆ど想像さえ付かなかった此出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にする迄漕ぎ付けたものは例の岡田であった。彼は平生から能くこんな技巧を弄して其成効に誇るのが好であった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、其内屹度自分を驚(おどろ)かして見せると断ったのは彼である。それから程なく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、其訳を話した時には、自分も実際驚かされた
「何うして来るんです」と自分は聞いた。・・・(『兄』1回冒頭)

 母たちはたまたま地所の一部が売れたので旅行を思いついたのであった。それはともかく、お兼さんは病室でなく宿所を訪ねて来たのである。そのとき今週には東京から母たちがはるばるやって来ることを、二郎に打ち明けている。その前提で上記(②から③を含む)27回の引用文を読み返してみると、漱石はやはり言い訳をしていることに変わりはないが、その言い訳は少しヘンである。その理由は漱石の筆が足りないということではなく、宿所の場所が明確でなかったことによるのではないか。漱石はよく確かめないで先へ進んだのではないか。体調がすぐれなかったことが原因かも知れないが、そうでなかったにせよ、虫が知らせるということは、なくはないのである。