明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 12

179.『友達』(12)――沈黙する女たち


 舞台が岡田の家から三沢の病室に移ると、まるで別の小説が立ち上がったように見える。新しい主役は三沢の「あの女」である。「あの女」は『行人』の中では実際に活きてセリフをしゃべることがない。「あの女」だけでない。美貌では負けない彼女付きの看護婦、醜い三沢の看護婦、三沢の宿の下女、最後に登場するもうひとりの主役たる「夫の家を出た娘さん」に至るまで、皆セリフがない。あるとすればそれはすべて二郎か三沢の口を通して語られるだけである。
 いったい『友達』で、お兼さん以外に独立してセリフを持つ女は、一切書かれないのである。吹き出しというか、鍵括弧付きでその発した声らしきものが紹介されるのは、二郎が岡田の家を発つときに鞄を持って駅まで送って来た、それまで一度も登場せず最後になっていきなり出て来た下女の、「さいなら、お機嫌よう」(12回)を除けば、かろうじて三沢の看護婦のケースをいくつか、挙げれば挙げられるだけである。

「屹度あれだ。今に看護婦に名前を聞かして遣ろう」
 三沢は斯う云って薄笑いをした。けれども自分を担いでる様子は更に見えなかった。自分は少し釣り込まれた気味で、彼と「あの女」との関係を聞こうとした。
「今に話すよ。あれだと云う事が確に分ったら」
 そこへ病院の看護婦が①「回診です」と注意しに来たので、「あの女」の話はそれなり途切れて仕舞った。・・・(『友達』19回)

「今あの女の室に来ているのは、その芸者屋に古くからいる下女さ。名前は下女だけれど、古くからいるんで、自然権力があるから、下女らしく為(し)ちゃいない。丸で叔母さんか何ぞの様だ。あの女も下女のいう事丈は素直によく聞くので、厭がる薬を呑ませたり、我儘を云い募らせないためには必要な人間なんだ」
 三沢はすべて斯ういう内幕の出所をみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いた様に説明した。けれども自分は少し其処に疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留守に、看護婦を捕まえて、「三沢はああ云ってるが、僕の居ないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いて見た。看護婦は真面目な顔をして②「そんな事ありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。・・・(同23回)

「あの女」の看護婦は依然として入口の柱に靠れて、わが膝を両手で抱いている事が多かった。此方の看護婦はそれを又器量を鼻へ掛けて、わざわざあんな人の眼に着く所へ出るのだと評していた。自分は「まさか」と云って弁護する事もあった。けれども「あの女」と其美しい看護婦との関係は、冷淡さ加減の程度に於て、当初も其時もあまり変りがないように見えた。自分は器量好しが二人寄て、我知らず互に嫉み合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者抔を眼下に見て、始めから相手にならないんだ、それが冷淡の原因に違ないと主張した。斯う主張しながらも彼は別に此看護婦を悪む様子はなかった。自分もこの女に対して左程厭な感じは有っていなかった。醜い三沢の付添いは③「本間に器量の好(え)いものは徳やな」と云った風の、自分達には変に響く言葉を使って、二人を笑わせた。(同25回)

 自分が眼を閉じて、石を一つ一つ畳の上に置いたとき、④看護婦は赤がいくつ黒がいくつと云いながら占いの文句を繰って呉れた。すると、「此恋若し成就する時は、大いに恥を掻く事あるべし」とあったので、彼女は読みながら吹き出し。三沢も笑った。(同26回)

 ①は病院の看護婦のようだ。②はいくら関西が長くても、ちょっと岡山生まれとは思えない言いようではある。③になって始めて、当初紹介された、眼の悪い蒼く膨れた岡山産でも仕方ないかと思われてくるが、ここは無情にも「醜い三沢の付添い」と極めつけられてしまった。④も「らしくない」が、これについては後述する。
 本当にこれだけで、あとはすべて二郎と三沢の口を通した、間接的な発言になっている。漱石の小説で完全にセリフのないのは、『坊っちゃん』のマドンナだけであるが、三沢の「あの女」も看護婦も(美貌ではあるが)、マドンナの後継として登場したわけではなかろう。

 では『友達』という掌編も後半になって、漱石は二郎と三沢の物語に集中したかったのか。そうでもあるまい。次話に繋ぐ布石として、二郎が三沢(と「あの女」)のために岡田から金を借りるシーンがあるが、このときのお兼さんは当然乍らいつも通りのお兼さんである。

 自分は此事件についてお兼さんと直接の交渉は成るべく避けたかったけれども、此場合已を得なかったので、岡田の手紙を懐へ入れて、天下茶屋へ行った。お兼さんは自分の声を聞くや否や上り口まで馳け出して来て、「此御暑いのに能くまあ」と驚いて呉れた。そうして、「さあ何うぞ」を二三返繰返したが、自分は立った儘「少し急ぎますから」と断って、岡田の手紙を渡した。お兼さんは上り口に両膝を突いたなり封を切った。
「何うもわざわざ恐れ入りましたね。夫ではすぐ御伴をして参りますから」とすぐ奥へ入った。奥では用箪笥の環の鳴る音がした
 自分はお兼さんと電車の終点迄一所に乗って来て其処で別れた。「では後程」と云いながらお兼さんは洋傘を開いた。自分は又俥を急がして病院へ帰った。顔を洗ったり、身体を拭いたり、少時三沢と話しているうちに、自分は待ち設けた通りお兼さんから病院の玄関迄呼び出された。お兼さんは帯の間にある銀行の帳面を抜いて、其処に挟んであった札を自分の手の上に乗せた
「では何うぞ一寸御改ためなすって」
 自分は形式的にそれを勘定した上、「確に。――どうもとんだ御手数を掛けました。御暑い所を」と礼を述べた。実際急いだと見えてお兼さんは富士額の両脇を、細かい汗の玉でじっとりと濡らしていた
「どうです、ちっと上って涼んで入らしったら」
「いいえ今日は急ぎますから、是で御免を蒙ります。御病人へ何うぞ宜しく。――でも結構で御座いましたね、早く御退院になれて。一時は宅でも大層心配致しまして、能く電話で御様子を伺ったとか申して居りましたが」
 お兼さんは斯んな愛想を云いながら、又例のクリーム色の洋傘を開いて帰って行った。(同29回後半部分)

 ちゃんとしゃべっているばかりでなく、(傍線部分のように)描写も見事である。男と女の描写に金の話が加わると、本当に漱石の芸術は艶が出て厚みも増す。その前の引用4例とはえらい違いである。

 その借りた金は右から左へ、三沢の「あの女」に対する見舞金あるいは慰謝料になってしまったが、具体的な受け渡しの様子は、惜しいことに書かれることがなかった。

 しばらくして三沢は小さな声で「あの看護婦に都合を聞いて貰おうか」と云い出した。彼はまだ此看護婦に口を利いた事がないというので、自分が其役を引受けなければならなかった。
 ⑤看護婦は驚いたような又可笑しいような顔をして自分を見た。けれどもすぐ自分の真面目な態度を認めて、室の中へ入って行った。かと思うと、⑥二分と経たないうちに笑いながら又出て来た。そうして今丁度気分の好い所だからお目に掛れるという患者の承諾をもたらした。三沢は黙って立ち上った。
 彼は自分の顔も見ず、又看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。⑦自分は元の座に坐って、ぼんやり其後影を見送った。彼の姿が見えなくなっても矢張空(くう)に同じ所を見詰めていた。冷淡なのは看護婦であった。一寸侮蔑の微笑を唇の上に漂わせて自分を見たが、それなり元の通り柱に背を倚せて、黙って読みかけた書物をまた膝の上にひろげ始めた。
 室の中は三沢の入った後も彼の入らない前も同じ様に静であった。話し声抔は無論聞こえなかった。⑧看護婦は時々不意に眼を上げて室の奥の方を見た。けれども自分には何の相図もせずに、すぐ其眼を頁の上に落した
 自分は此三階の宵の間に虫の音らしい涼しさを聴いた例はあるが、昼のうちに八釜しい蝉の声はついぞ自分の耳に届いた事がない。自分のたった一人で坐っている病室は其時明かな太陽の光を受けながら、真夜中よりも猶静かであった。自分は此死んだような静かさのために、却て神経を焦らつかせて、「あの女」の室から三沢の出るのを待ちかねた。
 やがて三沢はのっそりと出て来た。室の敷居を跨ぐ時、微笑しながら「御邪魔さま。大勉強だね」と看護婦に挨拶する言葉丈ママが自分の耳に入った。
 彼は上草履の音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るや否や、「やっと済んだ」と云った。・・・(同30回)

 さすがに練達した文章ではある。とくに二郎に即した部分(⑦⑧)は巧みな観察である。しかし肝心の場面が部屋の外側からしか描かれないのでは、いかにこれが漱石の戦略であったにせよ、読者の共感は得にくいのではないか。漱石の新しい試みは失敗したのではないか。

 ところで「あの女」の高慢な看護婦は、三沢のこの病院における最初で最後の、「あの女」との面会のとき、それを取り次いだ二郎に対しては、「笑いながら」対応したと書かれる(⑤⑥)。漱石にとって女の笑いは沈黙の範疇であろうか。それともまた別の意味をもつのであろうか。もう少し考えてみよう。