明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 15

182.『友達』(15)――『友達』のカレンダー完結篇


 さて話を戻して、カレンダーの続きである。『友達』後半病院回での眼目は三沢の「あの女」であるが、カレンダーの鍵を握っているのは、相変わらず岡田である。
 二郎は次の日もすぐに病院へ行く。そしてもう2、3日経過を見ることにして、とりあえず付添い看護夫みたいに三沢に密着する。夜は宿に帰るが、暑苦しさや隣室がうるさいこともあって寝られない。癇癪持ちの二郎はいい加減に引き揚げも考える。
 岡田からはマメに電話があった。3度目の時に、「今から1週間以内くらいに、ちょっと驚かせることがある」と電話口で思わせぶりを言った。岡田の存在を知った三沢は、金の工面を考えているふうである。

 ここまで材料が並べられた上で、いよいよ「あの女」の登場である。金曜に三沢入院として、土曜の「もう23日様子見」の決意で、日・月・火。問題の岡田の3回目の電話を火曜あたりと推定する。お金の話の進展はない、引き揚げの話も愚図愚図、一応さらに1日か2日は経ったとみて、即ち木曜を「あの女」の入院日とする。三沢より1週間遅れの入院である。安全を期す小心・せっかちな三沢と、稼業に追われる大胆・無謀な女。身分が違う、余裕の有る無しであると漱石は言うが、男と女の気質の違いであるとは、漱石が昔から書いてきたところ。

《二郎三沢のスケジュール表(つづき)》

7月28日(金)朝三沢入院。岡山産看護婦派出。夕方二郎見舞。(14回)
7月29日(土)二郎再度見舞「もう2、3日経過を見よう」(15回)
8月1日(火)岡田の電話「1週間以内に驚かせることがある」(17回)

8月3日(木)「あの女」入院
・二郎、玄関で苦痛に身体を折る若い女と、付添いの背の高い中年女を見る。(18回)
若い女の横顔は美しかった。帰るところも見ようと、病室の窓から監視する。三沢は「素人じゃなかろう、芸者なら自分の知る女かも知れない」とびっくりするようなことを言う。(19回)

8月4日(金)
・三沢は入院1週間を経てだいぶん元気になった。三沢は昨日の女は「あの女」だったと断言。二郎が帰った後、同じ3階の部屋に入院したという。(20回)
・三沢の話。三沢は大阪に着いた日(7月25日・火曜)に友人たちと深酒をしてその芸者とも知った。ふたりの共通項は胃病。そのとき互いに無茶をしたようだ。(21回)
・女の病室の様子。重いらしい。これまた美しい看護婦が付いている。三沢は(二郎も)この看護婦を良く言わない。美醜で女を判断しないと漱石は言いたげである。(22回)

「君はあの女を見舞って遣ったのか」と自分は三沢に聞いた。
「いいや」と彼は答えた。「①然し見舞って遣る以上の心配をして遣っている
「じゃ向こうでもまだ知らないんだね。君の此処にいる事は」
「知らない筈だ、看護婦でも云わない以上は。②あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向こうでは僕の方を見なかったから、多分知るまい」(『友達』22回)

 ①は漱石らしい表現。行為の前に自分の思考を優先させる。行為の判定の前に自分の正邪の判定がある。言い方を変えると、自分の正邪の判定が大事で、それ以外は余事である。そして②では三沢の体調が良化したのは、女が入院して来たせいであるとも取れる。

8月5日(土)
・三沢付きの看護婦による「あの女」の情報。付添いの中年女は親代わりのような態度の置屋の元下女。性格も悪い。付添い看護婦も性格が悪い。滋養浣腸が効かない。(23回)

8月6日(日)
・三沢は「あの女」の本当の母親を、1回だけ見かけた。金の無い年寄りは憐れである。「あの女」と同年代の2階の入院患者が、おそらく経済的な事情で担架のまま退院した。田舎へ向かう釣台を見て、二郎と三沢は暗澹とした気持ちになる。(24回)

8月7日(月)
・悲惨な患者ばかりではない。病院をゲストハウス代わりにしている男もいる。喜劇もまた常に悲劇に隣接しているのである。その中で三沢の身体は回復してゆく。(25回)
・三沢はもう院内を自由に散策出来るほどになった。しかし三沢はなぜか「あの女」の病室を訪ねようとしない。二郎はいっそ退院を勧める。三沢は答える代わりに、二郎にいつまで大阪にいると訊ねる。(26回)

8月8日(火)三沢退院
・二郎は2日前(8月6日・日曜)病院もしくは宿所にお兼さんの訪問を受ける。岡田が同行しなかったのは謎であるが、相変わらず漱石が日曜を無視したのであれば、理屈は合う。お兼さんは岡田の思わせぶりについて、何がしかのことはしゃべったようである。
・二郎の(性の争いについての)悩みは誰にも分からない。三沢の退院についての主張を撤回することにしたが、三沢は意外にも独自に退院を決めてしまった。(以上27回)
・三沢は退院前に「あの女」に一言謝りたいと言う。その前に金が要る。(28回)
・二郎は岡田に会って借金を申し込む。たぶんこのときに母たちの大阪入りの時間割りを聞いたのだろう。二郎はお兼さんの手から金を受け取る。(29回)
・三沢病院での最初で最後の「あの女」との対面。(30回)
・「あの女」は三沢をよく覚えていた。女は三沢の思いを裏切らなかった。恩讐を超えて、女は笑って三沢を送り出した、と言う。(31回)
・三沢の話。出帰りの娘さんの話。(32回~33回)

 このあと二郎は大阪発の夜行寝台急行で帰京する三沢を見送る。翌日は入れ替わりに東京から到着する母と兄夫婦を、夜岡田夫妻と共に出迎えるわけである。こうして『友達』の物語は8月8日に終わり、次話『兄』が翌日には始まる。『兄』の内容は二郎たち4人の大阪・和歌山旅行であるが、その旅の日程だけ引き続き掲げてみる。

《『行人/兄』長野家のスケジュール表》

8月9日(水)到着。大阪泊。
8月10日(木)佐野と面会。大阪泊2日目。
8月11日(金)和歌の浦へ。
8月12日(土)和歌の浦2日目。
8月13日(日)和歌の浦3日目。
8月14日(月)盆波。台風。二郎と直、和歌山一泊事件。
8月15日(火)(和歌山~)和歌の浦5日目。
8月16日(水)和歌の浦~大阪~夜行寝台急行にて大阪を発つ。

 本当は家族の大阪到着から和歌の浦・和歌山すべて1日ずつ後ろへずらしたいところではある。そうすると台風下の和歌山での一泊は8月15日で漱石の場合と一致するし、何より三沢の退院が1日延びて8月9日(水)になる。「あの女」の入院8月3日(木)からの日数も1日増して、全体にその部分の窮屈感は薄まる。お兼さんの病院訪問も8月7日(月)になって、岡田がなぜ一緒でないのかという問題からも解放される。お兼さんの訪問により「二郎を驚かせる」一件の内容が半ば明らかにされるのであれば、1週間以内という岡田の言葉も、珍しく真実を穿ったわけである。
 しかしこの案が採れないのは1点だけ、大阪から和歌の浦へ発つ日が土曜になってしまうという不都合である。岡田は皆と一緒に和歌の浦へついて行きたいのだが、同僚が病気で欠勤しているので自分まで休むわけにはいかない、同行して案内出来ないと言っている。これはその日が土曜であってはなかなか通用しにくい言い訳であろう。一行の出発を数時間遅らせるとか、岡田だけ後から追いかけるとか、やり方はいくらでも見つかるからである(母たちにその気がないにせよ)。

 まあそんなことをとやかく言ってみても始まらないが、いずれにせよ和歌山は旧盆の最中であった。二郎たちは漱石と同じ盆波を見たのである。明治44年7月23日(日)スタート説は、一応『行人』の中では破綻しないことを以って、めでたしとするしかない。