明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 14

181.『友達』(14)――笑う女


 三沢の「あの女」の美人看護婦の笑いについて、再び前著(『明暗』に向かって)から1項引用したい。

40.笑う女

 『明暗』ではヒーローとヒロインの出会いは、強いて言えば温泉宿で津田がやっと望みがかなって清子の部屋を訪れるシーンがそれに近い。

「序に僕が関さんの室を嗅ぎ分けて遣るから見ていろ」
 彼は清子の室の前へ来て、ぱたりとスリッパーの音を止めた。
「此所だ」
 下女は横眼で津田の顔を睨めるように見ながら吹き出し
「どうだ当ったろう」
「成程貴方の鼻は能く利きますね。猟犬より慥かですよ」
 下女は又面白そうに笑ったが、室の中からは此賑やかさに対する何の反応も出て来なかった。人がいるかいないか丸で分らない内側は、始めと同じように索寞(ひっそり)していた。
「お客さまが入らっしゃいました」
 下女は外部から清子に話しかけながら、建てつけの好い障子をすうと開けて呉れた。(『明暗』182回)

 『それから』で三千代が始めて代助の家を訪れるシーンがある。金を借りに来たのである。「少し御金の工面が出来なくって?」漱石は女にこう言われると、まるで喰いかけの煎餅を女が横から取って食べてしまったときのように(『行人』女景清のエピソード)、もうその女に求婚しても断られないと確信するのであろうか。

「何か御用ですか」と門野が又出て来た。……
「おや、御呼になったんじゃないのですか。おや、おや」と云って引込んで行った。……
「小母さん、御呼びになったんじゃないとさ。何うも変だと思った。だから手も何も鳴らないって云うのに」という言葉が茶の間の方で聞えた。夫から門野と婆さんの笑う声がした
 其時、待ち設けている御客が来た。……(『それから』4ノ3回)

 『行人』では「塵労」の冒頭でお直が二郎の下宿を訪れる。このシーンが当初から『行人』の掉尾をかざるエピソードとして用意されていたか、それとも病後の再開にあたって思いついたものか、それはにわかには判断がつかないが、5回分というその分量は「塵労」の充分な独立を物語る。冬の寒い夜(「塵労」ではお彼岸とされたが)、下女が部屋へやってくる。

「風呂かい」
 自分はすぐ斯う聞いた。是より外に下女が今頃自分の室の襖を開ける筈がないと思ったからである。すると下女は立ちながら「いいえ」と答えたなり黙っていた。自分は下女の眼元に一種の笑いを見た。その笑いの中には相手を翻弄し得た瞬間の愉快を女性的に貪りつつある妙な閃があった。……
 ……
「だって聞いても仰ゃらないんですもの」
 下女は斯う云って、又先刻の様な意地の悪い笑を目元で笑った。自分はいきなり火鉢から手を放して立ち上った。敷居際に膝を突いている下女を追い退けるようにして上り口迄出た。そうして土間の片隅にコートを着た儘寒そうに立っていた嫂の姿を見出した。(『行人/塵労』1回)

 年のいった女がよく愛想笑いをするという意味で、漱石はこんな書き方をしているようでもない。『行人』の和歌山の一夜でも停電の前後、お直は今着替えているとか、ここへ来てさわってみろとか、二郎を困らせるような、前項(39.保護者付きのヒロイン)で述べた人妻にあるまじき振る舞いに及ぶが、

「おやおや」
 下女は大きな声をして朋輩の名を呼びながら灯火を求めた。自分は電気灯がぱっと明るくなった瞬間に嫂が、何時の間にか薄く化粧を施したという艶かしい事実を見て取った。電燈の消えた今、其顔丈が真闇なうちに故の通り残っているような気がしてならなかった。
「姉さん何時御粧(おつくり)をしたんです」
「あら厭だ真闇になってから、そんな事を云いだして。貴方何時見たの」
 下女は暗闇で笑い出した。そうして自分の眼ざとい事を賞めた。(『行人/兄』36回)

 『虞美人草』ではもっと露骨に書かれる。博覧会の翌日小夜子が小野の下宿を訪れる。下女は笑いながら、
「おや御出掛。少し御待ちなさいよ」「余まり周章るもんだから。御客様ですよ」「あら待ってた癖に空っとぼけて」「ホホホホ大変真面目ですね」と言いたい放題である。この小野の下宿の下女は物語の初めの方に登場したときは、浅井がやって来たときであったが、笑う理由を作者によって説明されている。

「御客様」と笑いながら云う。何故笑うのか要領を得ぬ。御早うと云っては笑い、御帰んなさいと云っては笑い、御飯ですと云っては笑う。人を見て妄りに笑うものは必ず人に求むる所のある証拠である。此下女は慥かに小野さんからある報酬を求めている。
 ……下女が無暗に笑うのは小野さんに愛嬌があるからである。愛嬌のない御客は下女から見ると半文の価値もない。小野さんは此心理を心得ている。今日迄下女の人望を繋いだのも全く此自覚に基づく。小野さんは下女の人望をさえ妄りに落す事を好まぬ程の人物である。(『虞美人草』4ノ4回)

 下女は接客用の笑顔を見せているだけなのか、この場合は小野の「可愛いさ」に特化した話なのか、物語の最後で宗近が小野の許へ、「真面目になれ」と駆け付けたときは、もうこの下女は影も形もないが、若い女がよく笑うのは事実としても、漱石はそんな笑い(理由のない笑い)に否定的なのは、『心』のこんな記述を見なくても誰もが知るところである。

 奥さんは果して留守でした。下女も奥さんと一所に出たのでした。だから家に残っているのは、Kとお嬢さん丈だったのです。……私は何か急用でも出来たのかと御嬢さんに聞き返しました。御嬢さんはただ笑っているのです。私は斯んな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だと云えばそれ迄かも知れませんが、御嬢さんも下らない事に能く笑いたがる女でした。然し御嬢さんは私の顔色を見て、すぐ不断の表情に帰りました。(『心/先生と遺書』26回)

 思うにヒーローとヒロインが二人きりになろうとするときに、漱石は何か強迫観念のようなものに襲われて、下女の笑いを付加せざるを得ないのか、あるいはそこには期待されるような濡れ場はないと、読者にまず宣言したいのか、『明暗』で日曜日の朝、津田とお延が入院のために病院に到着したときの窓口のもようは、このときのための特別仕様になっている。

 ……津田は玄関を上ると、すぐ薬局の口へ行った。
「すぐ二階へ行っても可いでしょうね」
 薬局にいた書生は奥から見習いの看護婦を呼んで呉れた。まだ十六七にしかならない其看護婦は、何の造作もなく笑いながら津田にお辞儀をしたが、傍に立っているお延の姿を見ると、少し物々しさに打たれた気味で、一体此孔雀は何処から入って来たのだろうという顔付をした。お延が先を越して、「御厄介になります」と此方から挨拶をしたので、始めて気が付いたように、看護婦も頭を下げた。
「君、此奴を一つ持って呉れ玉え」
 津田は車夫から受取った鞄を看護婦に渡して、二階の上り口の方へ廻った。(『明暗』40回)

 津田とお延は揃って二階の座敷へ上って行くのであるが、そこは待合でなく単に手術入院のための病室である。津田の通っている病院の看護婦は、第1回からしばしば登場して津田と顔見知りであるが、この若い見習い看護婦はこのときだけ現れて、あとはどこかへ消えてしまっている。(後日登場する「栃木県」と呼ばれる看護婦は、明らかにこの看護婦ではない。)津田の温泉宿到着のときに出て来た女中と同じ扱いである。デビュー前の女優(の卵)か何かをコネで特別に出演させているようなものである。「濡れ場」でなくても漱石は気を使うのか。
 下女の登場は場面の現実感のために必要としても、その下女が無理に笑わなくても、漱石は色々書き込むタイプであるから、下女のリアリティは充分保たれるように思える。(太宰治の文章とは違うのだから。)なぜ漱石は下女を笑わせているのか。これは別に解答を要する疑問でもないが、試しに答えれば漱石もまた、若い女と二人きりになる恐怖心から、ついこんな設定にしたのではないか。(太宰と違い)対人恐怖というのではなく、ただ若い女と二人きりというのがたまらなく居心地が悪い気がするのであろう。

〈 笑う女 引用畢 〉