明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 22

189.『兄』1日1回(5)――ブルートレインの謎


 前項の二郎とお直の和歌山宿泊事件で、二郎の免責について三四郎の例を挙げて述べたが、ここでまた前著(『明暗』に向かって)から、その『三四郎』の該当部分を含む項を引用したい。もうひとつ、復路の寝台列車で、神経質でふつうならまず寝られないはずの一郎が、なぜ死んだように眠ったままで朝もなかなか起きて来なかったのかという謎についても、一応そこで初期の考察をしている。いきなり出て来るヴィトゲンシュタインについては後ほど補足する。

57.先生さよなら

 ヴィトゲンシュタインが出てくるようではもう本論考も長くはないが、ついでだから漱石の死生観についてもう少し見てみよう。漱石の死ぬ間際の「ああ苦しい今死んじゃ困る」という言葉は、(江口渙によると)小宮豊隆によって隠蔽されたというが、この筆頭弟子にして漱石の人となりを知ることがなかったことに索然とする。漱石は兄を二人看取ったこともあり自身の寿命については達観していた。(修善寺で一度死んでいる、とそれほど驚きもせず書いている。)漱石は自分の死よりも、自分が正しいことをしているかどうかの方に関心があった。漱石にとっては自分が間違っていることの方が死よりも懼ろしいことであった。
 『枯野抄』(芥川龍之介)の「元来彼は死と云うと、病的に驚悸する種類の人間で、昔からよく自分の死ぬ事を考えると、風流の行脚をしている時でも、総身に汗の流れるような不気味な恐しさを経験した」というのは芭蕉でなく芭蕉の弟子何某にかこつけた話(あるいは芥川自身が文壇に出る前に克服しようとした弱年時の恐怖心)であるが、芥川は宇野浩二に『枯野抄』は漱石山房のことだと打ち明けている。芥川は漱石の末期の言葉の真の意味をよう理解しなかった小宮たちを皮肉ったわけである。菊池寛でさえ「我在るとき死来らず死来るとき我在らず、我と死ついに相会わず我何ぞ死を怖れんや」と(やけくそみたいだが)言っている。漱石の場合は恐怖心の克服といった次元の話ではなく、自分を買い過ぎる(他人に関心が薄い)というまた別種の性向によって、つまり比較対照の観点から、(自分に関することがなべて物事の上位に位置するのであるから、)死もまた尊しという境地になっていたのだろうか。(とはいえ生物である以上死を恐れるという本能から逃れることは出来ないと思うが。)

 自分に圧倒的に関心があって他人(世間)にほとんど関心がない、という性向はまだ理解されやすい。しかし加えるにその自分の中で、とくに自己の正邪にのみ関心があるというのは、そうでない人にとってなかなか分かりにくい価値観である。それを平明に解き明かすことが出来るかどうかは難しいが、最後にこの問題に就いて具体的に考察してみたい。最も分かりよいところから『三四郎』冒頭の汽車の女との「同衾事件」を見てみよう。

①女は「気味が悪いから宿屋へ案内してくれ」という。
②ある宿屋の前に立つ。「どうです」と聞くと女は「結構だ」と答える。
三四郎は宿屋の人間の語勢に押されて、つい二人連れでないと言いそびれる。
三四郎と女は同じ部屋に通される。三四郎は下女に言われて風呂へ行く。
⑤すると女が戸をあけて「ちいと流しましょうか」と言う。
⑥「いえたくさんです」と言ったが女は却って入ってきて帯を解き出す。
三四郎は風呂を飛び出して座敷へ帰ってひとりで驚いている。
⑧下女が宿帳を持って来たので三四郎は自分の住所氏名を書く。
⑨女は風呂に入っているので三四郎が女の分も「同花、同年」と書いてしまう。
⑩女は風呂から出てくる。「どうも失礼いたしました」「いいや」
⑪女は「ちょいと出てまいります」と外出する。(懐紙でも買いに行ったのか。)
⑫その留守に下女が蒲団を敷きに来る。
三四郎は「床は二つ敷かなければいけない」と言うが下女は蚊帳いっぱいに蒲団を一つ敷いて帰ってしまう。
⑭そのうち女が「どうも遅くなりまして」と帰って来る。
⑮寝るときになると女は「お先へ」と言って蒲団に入る。
三四郎は「はあ」と答えてこのまま夜を明かそうかとも考えたが、蚊がひどい。
⑰それで三四郎は「失礼ですが私は癇症でひとの蒲団に寝るのがいやだから,少し蚤よけの工夫をやるから御免なさい」と言って女の隣に寝る。
⑱あくる朝「ゆうべは蚤は出ませんでしたか」「ええ、ありがとう、おかげさまで」
⑲別れ際に女は「いろいろごやっかいになりまして、ではごきげんよう」「さよなら」
⑳そして有名な最後の一句

 蒲団を一つしか敷かなかったことが常に問題視されるようだが、蚊帳一杯に敷いたのであれば一つも二つもない。一つの部屋に蚊帳は二つ吊れない。今風にいえばシングルを二枚敷くかダブルを一枚敷くかの違いであろう。(勿論これでも充分問題だが。)
 とはいうものの、三四郎に瑕疵のありそうなところは、

⑨虚偽の宿帳記入
⑬不適切な蒲団の敷き方

 の二箇所であろう。しかしこの二つながらに漱石三四郎の無実を主張する。

⑨女が風呂に入っていたからである。三四郎は女の身上は聞かされていなかった。女のせいである。自分の責任ではない。
⑬女が外出していたからである。女が命ずれば下女は蒲団を敷き直したかも知れない。女のせいである。自分の責任ではない。

 かくて三四郎は最初の難事件をやり過ごした。(ように読める。)三四郎責任能力はないとさえ漱石は言いたげである。もしかすると本当に三四郎は口の中だけで、あるいは心の中だけで、ぼそぼそつぶやいていたのかも知れない。妙に一方的な「蚤よけの工夫」も意味がよく分からない。(蚤は敷布を畳み込んだ位の高さは簡単に飛び越えるのではないか。)対するに女はすべてに過不足なくはっきりしゃべっている。間然するところがない。女には珍しく余計な口をきかない。朝女が三四郎に「ゆうべは蚤は出ませんでしたか」と皮肉っぽく言うのも、三四郎の発した言葉の中で唯一他者に伝わったのは蚤よけという一語だけであったからである。女はまるで国語の教師か教誨師のようである。
 してみると女は三四郎にとって始めて遭遇する異性というよりは、その反対に三四郎を異性から守る庇護者として登場したのではないか。だとすると女が最後に落ちついた調子で言う「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」というのは、まだ色気を去らない女の、半分人をなじった(あるいはからかった)捨て台詞でなく、三四郎に対する年長者の忠告・激励と解すべきであろう。郷里の母親なら「おまえは昔から度胸のない男だから」(これは手紙で実際にそう言っている)、広田先生なら「度胸がすわらないというのは若者の特権だろう。あまり若いうちから腹が坐って動けないというのも困る」とでも言うところであろう。(したがって⑪で女が外出したのは、懐紙のようなものを買いに出たのではなく、三四郎に対する教育者として、母親なら父親と相談しに、教師なら下調べをしに、わざわざ席を外したのである。)
 ちなみにこの汽車の女が三四郎のセリフに直接返答したのは、弁当の蓋が当たったかもしれないのでソリィと言った三四郎に対し、ノンと答えた一箇所だけである。すれ違った通行人とほとんど変わらない。宿の前でイエスと答えたのも、黙って振り返った三四郎に、了解の意思表示をしたともとれるので、三四郎の発した言葉に何か対応したわけではないようだ。であれば女は母親とすれば理解はしているが会話の少ない、教師とすれば忠実だが一方的に教えるだけの、どちらにしても漱石らしさのよく出ている話になっている。

 漱石らしいといえば、例え相手が妻や子供であっても、人と一緒の布団に寝るのを嫌がるのが漱石の癇性であるが、「坊っちゃん」も癇性で布団が変わると寝られないので、子供の頃から友達の家へ泊ったことが無いと言っている。三四郎もその後の主人公たちも、たぶんその血は受け継いでいるのだろうが、それが最も濃く出た『行人』の一郎が、関西旅行の復路に乗った寝台列車(の上段)で、何のこだわりもなく熟睡しているのを、不思議に思う読者もいるかも知れない。
 規則正しいことの好きな漱石は、時刻表通り運行される列車のようなものを愛する傾向にある、と前に述べたことがあるが、一郎が寝台が苦にならないのは、それが列車に付属した設備であるからか。たしかに漱石は規則に縛られた生活をむしろ好み、毎朝決まった時間に起床する(だろう)。教師時代たまの日曜日に寝坊しても、普通は誰も気にするものではないが、漱石のような人は実はそれが気になって仕方がない。苦沙弥先生が夜具にくるまってなかなか起きないのは、滑稽な描写につい騙されるが、漱石は本当はいつもと同じ時刻に起きないのを気にしているのである。そうでないと自分の小説にあれほど日曜日曜と書くわけがない。漱石は珍しく言い訳しているのである。
 ところで余計な事を言うようだが、三四郎はシーツでなく敷布団を女の方へ折り込んで、自分が畳の上にタオルを敷いて寝ればよかったのではないか。椅子に座って蚊に喰われながら夜を明かそうと思ったくらいであるから、蚊帳の中で横になれるだけでも上等だろう。シーツの壁よりも布団の壁の方が、癇性の人間にも蚤にも効果があるのではないか。

 それはともかく、こうして三四郎は二重にも三重にも免責されるが、おかげでその後の漱石の男はほぼ全員、女から身勝手・責任を取りたがらないという非難を浴びせられ続けることになる。その張本人たる漱石は、周囲の弟子からはおおむね摯実な紳士と見られていた。漱石が真面目で誠実なのはその通りであろう。(家族がどう思っていたかは別として。)漱石は(どちらかといえば)自分に甘いが、自作の主人公にも甘いのである。その中で一人だけ妙な責任の取り方をした作中人物がいる。代助や宗助ではない。言うまでもなくそれは『心』の先生である。先生はなぜ自殺したのであろうか。

〈 先生さよなら 引用畢 〉