明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 3

170.『友達』(3)――漱石開始あるいは漱石相対性理論


 梅田の停車場を下りるや否や自分は母から云い付けられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼が果して母の何に当るかを知らずに唯疎い親類とばかり覚えていた。(『友達』1回冒頭)

 予定の時日を京都で費した自分は、友達の消息を一刻も早く耳にする為め停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれども夫はただ自分の便宜になる丈の、いわば私の都合に過ぎないので、先刻(さっき)云った母の云付とは丸で別物であった。母が自分に向って、彼方へ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になる程大きい鑵入の菓子を、御土産だよと断って、鞄の中へ入れて呉れたのは、昔気質の律儀からではあるが、其奥にもう一つ実際的の用件を控えているからであった。(同1回)

「先刻(さっき)」「先刻から」というのは漱石作品の頻出語であるが、これが作品の冒頭に使用されることがある。典型例が『門』と『坑夫』である。

 宗助は先刻(さっき)から縁側へ坐蒲団を持ち出して日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。(『門』書き出し)

 さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりも余っ程長いもんだ。何時迄行っても松ばかり生えて居て一向要領を得ない。此方(こっち)がいくら歩行(あるい)たって松の方で発展して呉れなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立った儘松と睨めっ子をしている方が増しだ。(『坑夫』書き出し)

 本項冒頭に掲げた『行人』の書き出しの場合は、2ヶ所に分割されているのでやや分かりにくいが、主人公の二郎が、梅田駅を降りて岡田の住む天下茶屋まで、「さっきから」移動しつつあることが、「母の云付」という言葉によって明確に示されている。

 うとうととして眼が覚めると女は何時の間にか、隣の爺さんと話を始めている。此爺さんは慥かに前の前の駅から乗った田舎者である。発車間際に頓狂な声を出して、駆け込んで来て、いきなり肌を抜いだと思ったら背中に御灸の痕が一杯あったので、三四郎の記憶に残っている。(『三四郎』書き出し)

 誰か慌ただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従って、すうと頭から抜け出して消えて仕舞った。そうして眼が覚めた。(『それから』書き出し)

 敬太郎は夫程(それほど)験の見えない此間からの運動と奔走に少し厭気が注して来た。元々頑丈にできた身体だから単に馳け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸ったなり居据って動かなかったり、又は引っ懸ろうとして手を出す途端にすぽりと外れたりする反間が度重なるに連れて、頭の方が段々云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少し癪も手伝って、飲みたくもない麦酒をわざとポンポン抜いて、出来るだけ快豁な気分を自分と誘って見た。(『彼岸過迄』書き出し)

 これらの例も、先刻(さっき)という言葉こそ使われないものの、要は同じである。時間の経過が曖昧に示されていて、しかし今まさにその時間が流れつつあることだけははっきり分かる。
 そうして非常に私的な文章である。私的なおしゃべりと言えば分かりよいかも知れない。もっと平たく言うと、「えーっと、つい今しがたね、・・・」
 理屈を言うようだが、時間が経過するということはそこに空間が生まれるということである。時間と空間によって始めて物が存在する。小説の場合は人物が動くということであろう。漱石の場合はそれが私的な書き方で書かれている。自己に即して語られるといった方が分かりよいかも知れない。漱石ファンたる読者はそれに捲き込まれる。時間と空間を共有しているように感じるのである。
 ブルックナー開始という言い方があるが、これもまた「漱石開始」と言うべき話法であろうか。

 私的といえば、漱石の場合、時間だけでない。空間についても「私的な」書き方は山ほどある。「さっきの」私的なおしゃべりの例で行けば、「えーっと、そこの窓から、向こうの山を見たらね、・・・」
 二郎が三沢の病院を訪れ、三沢の宿所を自分の寝床にしたときのこと。

 自分は其夜蚊帳を釣って貰って早く床に這入った。すると其の蚊帳に穴があって、蚊が二三疋這入って来た。団扇を動かして、それを払い退けながら寝ようとすると、隣の室の話し声が耳に付いた。客は下女を相手に酒でも呑んでいるらしかった。そうして警部だとかいう事であった。自分は警部の二字に多少の興味があった。それで其人の話を聞いて見る気になったのである。すると自分の室を受持っている下女が上って来て、病院から電話だと知らせた。自分は驚いて起き上った。
 電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変ったのかと思って心配しながら用事を聞いて見ると病人から、明日は成るべく早く来て呉れ、退屈で困るからという伝言に過ぎなかった。自分は彼の病気が果してそう重くないんだと断定した。「何だそんな事か、そういう我儘は成るべく取次ないが好い」と叱り付けるように云って遣ったが、後で看護婦に対して気の毒になったので、「然し行く事は行くよ。君が来て呉れというなら」と付け足して室へ帰った。下女は何時気が付いたか、蚊帳の穴を針と糸で塞いでいた。けれども既に這入っている蚊は其儘なので、横になるや否や、時々額や鼻の頭の辺でぶうんと云う小い音がした。
 夫でもうとうとと寝た。すると今度は右の方の部屋でする話声で眼が覚めた。聞いていると矢張り男と女の声であった。自分は此方(こっち)側に客は一人もいない積でいたので、一寸驚かされた。然し女が繰返して、「そんなら最う帰して貰いますぜ」というような言葉を二三度用いたので、隣の客が女に送られて茶屋からでも帰って来たのだろうと推察して又眠りに落ちた。(『行人/友達』14回)

 宿泊所の部屋が隣り合って並んでいるとして、「隣の室」から男女の声が聞えた。病院からの電話で起こされた二郎が再び寝ようとしたら、今度は反対隣の部屋から男女の話し声がした。それを「今度は右の方の部屋」とふつう書くだろうか。二郎はなぜかその右側の部屋を「こっち側」とも書く。二郎は右隣りの部屋に接するような片寄った場所に寝ていたのか。それとも二郎は今右隣からの話し声を聴取しているので、二郎の意識の集中する部屋の右側が「こっち側」で、その反対側が「あっち側」もしくは「向こう側」なのだろうか。
 漱石の時間と空間の認識は独特であるが、それが百年の命脈を保つとすれば、正しい文章(科学的な文章?)とは何かについて、改めて考えざるを得ない。少なくともそれは「客観的」などという大雑把な言葉では表現できないだろう。論者にとって客観的と楽観的は、多くの場合同義語である。