明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 21

188.『兄』1日1回(4)――復路はすでに旅ではない


第8章 嵐の一夜~嫂と自分、和歌山一泊事件
    二郎・直・宿屋の下女・朋輩の下女・車夫(2台)

第34回「此処で此位じゃ、和歌の浦はさぞ大変でしょうね」「大方其んな事だろうと思った。到底も駄目よ今夜は。いくら掛けたって、風で電話線を吹き切っちまったんだから。あの音を聞いたって解るじゃありませんか」(8/14月)
第35回「居るわ貴方。人間ですもの。嘘だと思うなら此処へ来て手で障って御覧なさい」「先刻下女が浴衣を持って来たから、着換えようと思って、今帯を解いている所です」(8/14月)
第36回「姉さん何時御粧をしたんです」「あら厭だ真闇になってから、そんな事を云いだして。貴方何時見たの」(8/14月)
第37回「嘘だと思うなら是から二人で和歌の浦へ行って浪でも海嘯でも構わない、一所に飛び込んで御目に懸けましょうか」「妾の方が貴方より何の位落ち付いているか知れやしない。大抵の男は意気地なしね、いざとなると」(8/14月)
第38回「だから嘘だと思うなら、和歌の浦迄伴れて行って頂戴。屹度浪の中へ飛び込んで死んで見せるから」「あなた昂奮昂奮って、よく仰しゃるけれども妾ゃ貴方よりいくら落付いているか解りゃしないわ。何時でも覚悟が出来てるんですもの」(8/14月)
第39回 翌朝は打って変わった好天気~朝食の膳に向い合っている嫂の姿が昨夕の嫂とは全く異なるような心持もした(8/15火)

 二郎は(料理屋の)下女の奨めに従って市内に泊まることになるのであるが、下女は(当然ながら)ふたりを夫婦者と見做していた。誰が勘違いをしたにせよ、二郎は他者の勧告に従っただけであり、自ら判断・決定したわけではない。漱石の理屈によれば、二郎は免責されるのである。女と同じ部屋に泊まったときの免責の仕組みは、細部に至るまで三四郎と汽車の女の同衾事件と瓜二つである。女に(お節介にも)自分の欠点を指摘されるところまでそっくりである。そもそもその前に二郎は、旅館に入るという決定的なシーンを覚えていないという。

 そのうち俥の梶棒が一軒の宿屋のような構の門口へ横付になった。自分は何だか暖簾を潜って土間へ入ったような気がしたが慥かには覚えていない・・・(『兄』34回)

 おおむね二郎の語る『行人』の物語であるが、記憶が定かでないことは書かれないのが通則であろう。こんな例外が出現するのも、二郎の免責が大前提となっているからに他ならない。
 本音でぐんぐん押してくる女と責任を取りたがらない男。物語は常に漱石のペンの動く範囲を越えない。漱石の倫理感の外に出ない。これがまた多くの読者を惹きつける理由となっているのだろうか。

第9章 和歌の浦5日目~旅の終わり
    二郎・一郎・直・母

第40回 兄は只々不機嫌~母はそうでもないが「もうもう和歌の浦も御免。海も御免」(8/15火)
第41回 母は自分と嫂のことは疑ってないと言うが、母は真顔で嘘を吐くことがある(8/15火)
第42回 別室での査問~不誠実な対応を兄は許さない「お前そんな冷淡な挨拶を一口したぎりで済むものと、高を括ってるのか、子供じゃあるまいし」(8/15火)
第43回 緊張して余裕のない兄は、風船球のように自分の力で破裂するか、何処かへ飛んで行くに相違ない(8/15火)
第44回 責められる二郎は却って兄に対する侮蔑を感じる~お直はそんな二郎と夫の会談を嗤っているようである(8/15火)

 とまれ二郎とお直は和歌の浦に帰って来た。御盆の最中であったが、荒天で客もまばら。一郎は下女に言いつけて空いている部屋を自分の自由に使っているようだ。二郎はその部屋で一郎の査問も受けた。後でお直がその別室に入ったが、出て来た後は一郎の機嫌が直った。別室で嫂は兄に何をしたのか。あるいはされたのか。
 お直はさすがに和歌山で二郎に言われた通り、夫に何か愛嬌を感じさせるような二言三言を呟いたのだろうか。あまり露骨にやると、一郎のような男は却って警戒して疑う。まさか接吻(キッス)したわけでもあるまい。嫂の懐柔策とは何か。次篇以降でその回答なりヒントが書かれることがあるか。

 かくして「大事件」は起こったものの、これと言った結果も出ないまま、『兄』は終わる。エンディングは和歌の浦の旅館の3階の部屋で、5泊目の最後の夕方。行李の荷造りをするシーンである。次の『帰ってから』は、関西旅行から帰って、というふうにも取られようが、より正確には、和歌山から「帰ってから」の話である。つまり『兄』の旅は、和歌山での最後の宿泊の直前で終わりを告げるのである。
 しかし一般的には旅行は復路の行程まで含めるのが普通であろう。とくに4人は(三沢と同じ)大阪発新橋行の寝台急行列車(現代ならブルートレイン)に乗っているのである。
 漱石は旅行は多く作品に取り上げているが、大体くどくなるのを避けて、車内の様子は書いても1回だけ、片道だけである。(『明暗』でも続篇を想像するのであれば、お延の湯河原行あるいは津田の引き揚げシーンは、車中の描写まではなされないと見た方が無難である。)
 『行人』に紹介された二郎と長野家の旅行は、往路の様子には一切触れられていないので、復路の寝台車の記述はあってしかるべきであるが、そのシーンだけ次篇に回したのは、やはり独立した短篇というよりは、長篇小説としての話のつながりを優先したのであろう。まさか「帰り」は「家に帰るという目的」があるので、「行き」の「旅をする、好きな所へ行く」というのとは別物であると、(内田百閒みたいに)思っていたわけでもなかろう。
 それは『帰ってから』の最初の2回にそのシーンが描かれているので、その2回を足して『兄』の回を終える。

『帰ってから』 (全38回)

(仮の)第10章 自分たちはかくして東京へ帰ったのである
    二郎・一郎・直・母・岡田・(お兼さん・佐野)

第1回 和歌の浦から大阪へ~岡田に見送られて寝台急行で大阪を発つ(8/16水)
第2回 深夜12時、雨の名古屋駅~窓開閉事件~寝台の一郎は眠ることしかしない(8/16水~8/17木)

 寝台車は4人で1区切りになっている普通のもの。上段は一郎と二郎。下段は一郎の下が母、二郎の下が嫂である。進行方向に仕切りの壁がある方が、寝やすいと言えば寝やすいので、年長者がそちらを占めたのであろう。おかげで二郎は自分の真下に寝ている嫂が気になって仕方がない。青大将になった嫂が、自分や兄までも、身体中ぐるぐる巻き付いているような夢想。

 名古屋に着く頃雨になった。嫂が雨が降り込むようだと言うので、二郎は嫂の足元の窓を閉ててやる。嫂の声に母はすぐ眼を覚まして、あるいは覚ましたふりをして、自分の足の方も締めてくれと言う。二郎が嫂の窓を片付けて母の側へ行くと、母の足元の窓は閉まっていた。
 寝台の配置といい母の配慮(用心)といい、実に細かい(神経質な)描写と言わざるを得ない。現実に深夜名古屋駅のプラットホームに(機関車の給水等で停車時間は長かったのだろう)、見舞い方々駆け付けた鏡子の妹夫婦も、後日『行人』のこんなシーンを読んで、びっくり仰天したのではないか。漱石は(病を得ていたのとわずらわしいのとで)寝たままで起きて来なかったが、妹夫婦は鏡子としばらく話をしたと思われる。それが小説に書かれるとこのありさまである。いくら小説家であるとはいえ、いくら自分たちのことは書かれないと分かっているとはいえ、一般市民にとってはさぞ不気味なことであろう。