明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 18

185.『兄』1日1回(1)――たった一人で淋しくって堪らないからどうぞ助けて下さい


 さて『兄』に入る前に、『友達』32回と33回は『兄』への橋渡しであるが、出帰りの娘さんの逸話が披露される。

 ・・・其娘さんは蒼い色の美人だった。そうして黒い眉毛と黒い大きな眸を有っていた。其黒い眸は始終遠くの方の夢を眺ているように恍惚(うっとり)と潤って、其処に何だか便のなさそうな憐を漂よわせていた。僕が怒ろうと思って振り向くと、其娘さんは玄関に膝を突いたなり恰も自分の孤独を訴えるように、其黒い眸を僕に向けた。僕は其度に娘さんから、斯うして活きていてもたった一人で淋しくって堪らないから、何うぞ助けて下さいと袖に縋られるように感じた。・・・(『友達』33回)

 この娘さんにダイレクトに似ているのは『文鳥』であろうか。本質が一番近いのは吾輩(『猫』の)と坊っちゃんか。吾輩は親に捨てられ、元の飼主に捨てられて、本来命を繋ぐ運命になかった。(よく読むと苦沙弥でなく)おさんに救われたのである。吾輩は見栄っ張りだから泣き言は言わないものの、独りぼっちであることに変わりはない。この斑猫は執筆(口述筆記)をしなければ生きては行けなかったのである。坊っちゃんも変り者で誰も相手にする者がいない。表向きには弱音を吐かないが心の奥では、「淋しくてたまらないからどうぞ助けて下さい」と叫んでいるのだろう。坊っちゃんの救いもまた清という下女だけであった。精神的危機に際して肉親の援けが得られない。
 『猫』も『坊っちゃん』も漱石の処女作である。処女作にその作家のすべてがあるという意味では、漱石の作品は多かれ少なかれこの叫びで充満していると言って差し支えないだろう。本作でもそれはお直に結び付けたかったのだろうが、さすがにそこまで露骨には書けなかった。しかし次作『心』でKと先生の決定的な行為の源泉となったものも、まさしくこの叫びだったと思う。漱石としては三沢の話はかなり入れ込んで書いたのではないか。それがまた長野兄弟を主役にしている筈の『行人』の、複雑だが焦点がぼやけたような印象につながるのだろう。

『兄』 (全44回)

第1章 到着、お出迎え
    二郎・一郎・直・母・岡田・お兼さん・(月夜に大石の持上げ競をやる裸男)

第1回 再び梅田の停車場へ「何うです。二郎さん喫驚したでしょう」(8/9水)
第2回 大阪の宿と到着の絵葉書「お兼さんは本当に奥さんらしくなったね」(8/9水)
第3回 四人始めての大阪の夜「今夜は御止しよ」(8/9水)
第4回 岡田の大阪遊覧目録「馬鹿馬鹿しい、骨を折ったり調戯われたり」(8/9水)

 お兼さんは岡田に向かって、「あなた此間から独で御得意なのね。二郎さんだって聞き飽きて居らっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえ貴方」と詫まるように附加えた。自分はお兼さんの愛嬌のうちに、何処となく黒人らしい媚を認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知らぬ風をして岡田に話し掛けた。――(『兄』1回)

 新しい物語になって、お兼さんも少し変わったようである。これが漱石の技巧だとすれば、真底感服せざるを得ない。それとも顔合わせ以来半月以上を経て、お兼さんも二郎に馴れて来たと言いたかっただけなのか。あるいは(母たちを迎えて)、お兼さんは(漱石も)もう危険は去ったとばかりに、安心して二郎に媚びを売り始めたのだろうか。

 ・・・其嫂は父に出す絵端書を持った儘何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞ出来るもんですか」と断った。(同2回)

 嫂とお兼さんは親しみの薄い間柄であったけれども、若い女同志という縁故で先刻から二人だけで話していた。然し気心が知れない所為か、両方共遠慮がちで一向調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質であった。お兼さんは愛嬌のある方であった。お兼さんが十口物をいう間に嫂は一口しか喋舌れなかった。(同4回)

 お直が長野に嫁入ったとき、岡田はまだ書生として屋敷にいたのだろうか。岡田が高等商業を出て大阪に行ったのが5、6年前。岡田は1年後お兼さんを迎えに上京したのだから、お兼さんが長野家の人に別れたのは4、5年前になる。このときにはお直は確実にいたと思われる。岡田は天下茶屋での散歩中、二郎に「結婚してかれこれ5、6年近くになるが(まだ子供が出来ない)」と言っている(以上『友達』1回・2回・4回)。
 年数は二郎と岡田(と漱石)の主観であるから、まあこんなものだろうが、いずれにせよお兼さんの方がお直との付き合いは(1年だけ)長い。岡田はその後も上京することはあったようで、上京すれば長野の家に泊ったと思われるから、自然お直とは遠慮のない口を利くようになったのか。お直にしてみれば、岡田とお兼さんの間にこれほどの隔絶を設ける理由がないという気がする。どちらも愛想のいい、昔から長野家に縁のある人間である。それにお直は相手によって態度を変えるようなタイプではない筈である。よほど岡田のことを莫迦にしていたのか。腹の立つほど冷淡なところがある、と二郎も(14回で)言っているが。

第2章 大阪、旅の宿の夜
    二郎・一郎・直・母・岡田・(佐野)

第5回 佐野との会見「当人は無論知っているんだ」「大喜びだよ」(8/10木)
第6回 兄と嫂~大阪は暑いからもういい~和歌の浦行きは兄の発議(8/10木)
第7回 母に岡田に返す金の無心「兄さんには内所だよ」(8/10木)
第8回 嫂は丸髷に結った「兄さんの御好みなんですか、其でこでこ頭は」(8/10木)
第9回 岡田と別れの宴~借りた金を返す「お兼が喜びます。ありがとう」(8/10木)

 兄は学者であった。又見識家であった。其上詩人らしい純粋な気質を持って生れた好い男であった。けれども長男丈に何処か我儘な所を具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、大分甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分許ではない、母や嫂に対しても、機嫌の好い時は馬鹿に好いが、一旦旋毛が曲り出すと、幾日でも苦い顔をして、わざと口を聞かずに居た。それで他人の前へ出ると、また全く人間が変った様に、大抵な事があっても滅多に紳士の態度を崩さない、円満な好侶伴であった。だから彼の朋友は悉く彼を穏かな好い人物だと信じていた。父や母は其評判を聞くたびに案外な顔をした。・・・(『兄』6回)

 一郎と漱石はまるで同一人物のようである。普通の長男でないというところまでそっくり(貰われて塩原の長男として育てられた)。一郎を紳士と見るか奇人変人と見るかは、見る人による。やや一郎に寄り添って言えば、人士は一郎を紳士と見る。というより仁者は誰を見ても普通の人間と見るだろう。そうでない大多数は一郎を変物と見る。家族は多く後者に属するから、(二郎も含めて)家族は常に手を焼く。

 自分は便所に立った時、手水鉢の傍にぼんやり立っていた嫂を見付けて、「姉さん何うです近頃は。兄さんの機嫌は好い方なんですか悪い方なんですか」と聞いた。嫂は「相変らずですわ」とただ一口答えた丈であった。嫂は夫でも淋しい頬に片靨を寄せて見せた。彼女は淋しい色沢の頬を有っていた。それから其真中に淋しい片靨を有っていた。(同6回末尾/再掲)

 この夫婦の共通点はこの淋しさであろう。その点似たもの夫婦とはいえる。会話がないのはその必要がないからである。『明暗』の津田とお延もまた、別な意味での似たもの同士である。性質が似ているのではなく(むしろまるで違う)、2人が同じことをするのである、とは前著(『明暗』に向かって)で説いたところ。この場合会話量は却って増す。津田とお延は会話というより常に議論をしている。

 ところで二郎が母親から金を引き出して、思いがけず早期に金を返した(2日で返している)ときの岡田の、

「今でなくっても宜(い)いのに。然しお兼が喜びますよ。有がとう」(同9回)

 もまた巧みである。女房が喜ぶというのは漱石にはない発想であるが、西洋の小説にそんな場面があったのだろうか。慥かに普通に使われる言い方ではある。しかし漱石の主人公の決して口にすることのないセリフである。岡田はそんなに渋い役どころであるか。単に照れ隠しで言ったに過ぎないのか。