明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 35

202.『塵労』1日1回(4)――三沢一郎お直の三角関係


第3章 三沢と一緒にHさんを訪ねる(3月24日)
    二郎・三沢・三沢の母・Hさん・(兄)

第13回 三沢の母~三沢の結婚決まる~三沢はあの出帰りの娘さんの油絵(肖像画)を描いていた
第14回 三沢に兄の神経症を相談~三沢とHさんを訪ねる~「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強しては不可ないね」
第15回 Hさんは昨日精養軒で兄と一緒だった~Hさんの家で夕食まで共にした~兄の神経衰弱は有名~兄は冥界の研究をしている~Hさんに兄を旅行に連れ出すことを依頼

 二郎は『行人』の中で、親友三沢に兄の神経症について相談した形跡がない。ここでHさんに頼んで兄を旅行に誘い出すためには、どうしても三沢にその理由を言わないわけには行かない。

「君何うかしたか」
 彼の母が席を立って二人差向いになった時、彼は斯う問いかけた。①自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。其兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んで呉れと云わなければならなかった。
「②父や母が心配するのを只黙って見ているのも気の毒だから
 此最後の言葉を聞く迄、彼は尤もらしく腕組をして自分の膝頭を眺めていた。
「③じゃ君と一所に行こうじゃないか。一所の方が僕一人より好かろう、精しい話が出来て」(『塵労』14回)

 ①について、二郎が三沢にどんな言い方をしたのかは分からない。見栄坊の二郎であるから、②のように話を結んだのであれば、大したことは言ってないという気はする。しかし三沢の反応はゼロである。強いて言えば③である。本当にこれだけである。三沢も一郎も変人ということでは漱石そのものであるから、コメントしようがなかったのかも知れないが。
 この変人コンビのニアミスは以前に1回だけあった。前の年の冬、二郎が三沢の家を訪れたときに、大学での一郎の講義に撞着したところがあって学生が心配したというエピソードが、三沢の口から語られたことがある。三沢はHさんからそれを聞いたという。

「そりゃ何時頃の事だ」と自分はせわしなく聞いた。
「丁度君の下宿する前後の事だと思っているが、判然した事は覚えて居ない」
「今でも左右なのか」
 三沢は自分の思い逼った顔を見て、慰めるように「いやいや」と云った。
「いやいや夫はほんに一時的の事であったらしい。此頃では全然平生と変らなくなったようだと、Hさんが二三日前僕に話したから、もう安心だろう。然し……」(『帰ってから』30回)

 三沢は一応兄の神経衰弱のことは知っている。珍しく語尾を飲み込んだ物言いから、三沢が兄について何か思うところがあるようにも見えるが、それは結局漱石によって明らかにはされなかった。
 それより二郎が②のような言い訳をしたときに、三沢から嫂の存在についての言及がなかったことの方が気にかかる。三沢は兄と同じく嫂についてもほとんど交渉がない。しかし事情をよく知っているであろうことは、これもたった1回書かれただけのこんなシーンを見ても分かる。

 自分は宅に居るのが愈厭になった。元来性急の癖に決断に乏しい自分だけれども、今度こそは下宿なり間借りなりして、当分気を抜こうと思い定めた。自分は三沢の所へ相談に行った。其時自分は彼に、「君が大阪などで、ああ長く煩うから悪いんだ」と云った。彼は「④君がお直さん抔の傍に長く喰付いているから悪いんだ」と答えた。
 自分は上方から帰って以来、彼に会う機会は何度となくあったが、嫂に就いては、未だ曾て一言も彼に告げた例がなかった。彼も亦自分の嫂に関しては、一切口を閉じて何事をも云わなかった。(『帰ってから』23回)

 嫂について二郎と三沢の間には暗黙の了解があったようにも読める。読者はふつう友人の義姉に関心はないから、三沢とお直のニアミスなど書かれるはずもないと思う。その意味で④は唐突ではあるが、せいぜい漱石のサーヴィスくらいに収めるところであろう。しかしこれに続く漱石の文章を読むと、また別の、まったく異なる世界が出現するようである。
 読者は『行人』のテーマたる兄と嫂の確執、それを二郎の眼を通してここまで読んで来た。二郎と三沢の「友情」物語は、もうひとつの重要なテーマとして語られる。しかし三沢は独自に二郎と嫂を見ていたのである。上記引用部分に続く文章は次の通りである。

 自分は始めて彼の咽喉を洩れる嫂の名を聞いた。⑤又其嫂と自分との間に横わる、深くも浅くも取れる相互関係をあらわした彼の言葉を聞いた。そうして⑥驚きと疑の眼を三沢の上に注いだ。其中に怒を含んでいると解釈した彼は、「怒るなよ」と云った。其後で「気狂になった女に、しかも死んだ女に惚れられたと思って、己惚れている己の方が、まあ安全だろう。其代り心細いには違ない。然し面倒は起らないから、幾何惚れても、惚れられても一向差支えない」と云った。自分は黙っていた。彼は笑いながら「何うだ」と自分の肩を捕まえて小突いた。自分には彼の態度が真面目なのか、又冗談なのか、少しも解らなかった。真面目にせよ、冗談にせよ、自分は彼に向って何事をも説明したり、弁明したりする気は起らなかった。
 自分は夫でも三沢に適当な宿を一二軒教わって、帰り掛けに、自分の室迄見て帰った。家へ戻るや否や誰より先に、まずお重を呼んで、「兄さんもお前の忠告して呉れた通り、愈家を出る事にした」と告げた。お重は案外な様な又予期していたような表情を眉間にあつめて、凝と自分の顔を眺めた。(『帰ってから』23回末尾)

 ⑤と⑥は直接には、三沢の④の「君がお直さん抔の傍に長く喰付いているから悪いんだ」に対するリアクションである。三沢の言葉が他意の無い、外形的な二郎の若旦那的身分を評したものなら、二郎の反応は早トチリである、しかし漱石がここまで書く以上、二郎の思い過ごしではあるまい。
 自分と嫂の関係、自分の嫂に対する気持ちを、なぜ三沢が知っているのか。二郎は驚き、疑い、そして怒ったというのである。
 三沢はとうに嫂に対する二郎の気持ちに気付いていて、その危険性・脆弱性を婉曲に伝えたのだろうか。あるいは三沢なりにあからさまに揶揄ったのだろうか。それとも(考えにくいことではあるが)三沢はカマをかけたのか。
 二郎は自宅では警戒してボロを出さなかったが、三沢の前ではつい緊張が緩んで態度に表してしまった。二郎の対女性関係に異様に拘泥していた三沢は、悪魔のごとき直感力を発揮してそれを見抜いたとでもいうのか。
 いずれにせよこの三沢と二郎の分かりにくい応酬が、二郎の家を出る直接の原動力になったことだけは確かである。

 そして最後の一節(三沢家辞去~下宿の下見~お重へ報告)は、しみじみ名文であると思わざるを得ない。漱石は(登場人物の所作等)細かく書くところも上手いが、このように簡潔に突き放して書くところもさらに上手い。漢詩の影響だろうか。

 ところで②の(『塵労』14回の)、兄の旅行を父母の心配と結びつける二郎の発言は、後にHさんと直接会話した際には、「二郎の嘘」と明記された(『塵労』23回)。であれば二郎はこのときにもすでに三沢に対し嘘を吐いていたことになる。それともHさんに手紙を書かせるという具体的な目的があって始めて嘘になるのであろうか。