明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

行人

漱石「最後の挨拶」行人篇 16

183.『友達』(16)――『友達』1日1回 最後に例によって各回の表題を付けてみる。『行人』は久しぶりに若い女のたくさん登場する小説である。(その前は『三四郎』、後は『明暗』であろうか。)試みに附した章分けには、登場人物を配す。登場の仕方が一般…

漱石「最後の挨拶」行人篇 15

182.『友達』(15)――『友達』のカレンダー完結篇 さて話を戻して、カレンダーの続きである。『友達』後半病院回での眼目は三沢の「あの女」であるが、カレンダーの鍵を握っているのは、相変わらず岡田である。 二郎は次の日もすぐに病院へ行く。そしても…

漱石「最後の挨拶」行人篇 14

181.『友達』(14)――笑う女 三沢の「あの女」の美人看護婦の笑いについて、再び前著(『明暗』に向かって)から1項引用したい。40.笑う女 『明暗』ではヒーローとヒロインの出会いは、強いて言えば温泉宿で津田がやっと望みがかなって清子の部屋を訪…

漱石「最後の挨拶」行人篇 13

180.『友達』(13)――沈黙する女たち(つづき) 漱石の小説において男女が二人きりで会見するとき、例えば下女が笑うとそこに濡れ場は存在しない、と論者は前著(『明暗』に向かって)で述べたことがあるが、前項の三沢と「あの女」の(明らかにされない)…

漱石「最後の挨拶」行人篇 12

179.『友達』(12)――沈黙する女たち 舞台が岡田の家から三沢の病室に移ると、まるで別の小説が立ち上がったように見える。新しい主役は三沢の「あの女」である。「あの女」は『行人』の中では実際に活きてセリフをしゃべることがない。「あの女」だけでな…

漱石「最後の挨拶」行人篇 11

178.『友達』(11)――『友達』のカレンダー(つづき) 《二郎のスケジュール表》 明治44年7月16日(日)三沢と約束「十日以内に阪地で落ち合おう」7月17日(月)三沢諏訪木曽旅行へ出発。7月18日(火)二郎京都旅行へ出発。京都に4、5日逗留。…

漱石「最後の挨拶」行人篇 10

177.『友達』(10)――『友達』のカレンダー 『行人』は『彼岸過迄』全118回のほぼ1年後をなぞり、大正元年12月~大正2年4月まで『友達』『兄』『帰ってから』計115回が連載されて、病のため中断した、というより作者のつもりでは(『明暗』と異…

漱石「最後の挨拶」行人篇 9

176.『友達』(9)――保護者付きのヒロイン 三沢の「あの女」の初登場シーンに関連して、前著(『明暗』に向かって)から1項引用したい。39.保護者付きのヒロイン 『明暗』でお延が始めて登場したとき、お延は津田の前で独りで立っていた。清子の初登場…

漱石「最後の挨拶」行人篇 8

175.『友達』(8)――誰もが舌を巻く女性初登場シーン 漱石の文章にも無条件に美しい箇所はたくさんある。お兼さんは物語のヒロインではないが、その初登場シーンは流石に堂に入ったものである。漱石は自己の芸術的成長に関しては、ことのほか厳格・潔癖に生…

漱石「最後の挨拶」行人篇 7

174.『友達』(7)――不可解な物語の始まり(つづき) 前項で検討した、三沢付き看護婦に対する二郎の不可解な応対は、『行人』のその後の展開にも関係すると思われるが、ここでまったく別の見解を述べると、 ①二郎は病院で三沢の看護婦と(書かれなかった)…

漱石「最後の挨拶」行人篇 6

173.『友達』(6)――不可解な物語の始まり 漱石の本領は文章のテニヲハにあるのではない。アガサクリスティの小説が慟哭の文学であるという意味で、漱石の小説もまた、どこを斬っても漱石の血が流れ出す。物語の中の不可解な部分を探ってみても、それを感じ…

漱石「最後の挨拶」行人篇 5

172.『友達』(5)――何のための新聞切り抜き 出版された自分の本はまず読み返すことのなかった漱石だが、新聞に掲載された小説は丁寧に切り抜きを作って、校正の筆を入れていたこともあったようである。『行人』も、原稿は散逸しでいる(震災で焼失か)が、…

漱石「最後の挨拶」行人篇 4

171.『友達』(4)――失敗するほど神に近づく さて冒頭の二郎失言3連発であるが、それに関連して、裏を返すような、または輪をかけるような、いくつかの記述が槍り玉に挙がる。①「なに日が射す為じゃない。年が年中懸け通しだから、糊の具合でああなるんで…

漱石「最後の挨拶」行人篇 3

170.『友達』(3)――漱石開始あるいは漱石の相対性理論 梅田の停車場を下りるや否や自分は母から云い付けられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼が果して母の何に当るかを知らずに唯疎い親類とばかり…

漱石「最後の挨拶」行人篇 2

169.『友達』(2)――原初に失敗ありき 二郎の失言群にはかなりのボリュームの導入部がある。 「①好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」「冗談いっちゃ不可ない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目になって、「だって…

漱石「最後の挨拶」行人篇 1

168.『友達』(1)――汚な作りの高麗屋 本ブログも『彼岸過迄』を了えて、いよいよ『行人』である。 さて書き間違い・言い間違いは誰にもあることで、多くの場合それは取り上げるまでもない瑣事であろうが、漱石に限っては少し異なる意味合いを持つように思…