明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 39

41.『三四郎』最後の疑問(2)―― 魔の13回

 

「二人きり」を離れても、変な記述は探せば見つかるようである。それは三四郎と美禰子との正式な初対面たる引越の日のこと。荷物を積んだ大八車と共に与次郎が到着する。

 

里見の御嬢さんは、まだ来ていないか

「来ている」

「何所に」

「二階にいる」

「二階で何をしている」

「何をしているか、二階にいる」

「冗談じゃない」(『三四郎』4ノ13回)

 

 与次郎はやっと見つけた家の所番地を三四郎に告げ、明日の9時に行って掃除をせよと指示しただけである。美禰子にも同様な案内をしたはずだが、三四郎も美禰子も互いにそれ以上のことは知らされていない。

 

 そもそも11月3日天長節の朝において、三四郎と里見美禰子は未だ互いの素性も名も知らない。与次郎も三四郎には、広田先生の人となりやエピソードは種々話しこそすれ、美禰子のことは一言もしゃべっていない。

 それをいきなり「里見の御嬢さんは、まだ来ていないか」と切り出すのは、いくら雑駁な与次郎といえども唐突に過ぎるのではないか。三四郎にしても、理屈を言うようだが、女が来ているにせよいないにせよ、即答するには無理があるのではないか。そもそも里見の御嬢さんとは何者か、ということが与次郎と三四郎の間で解決されていない。

 与次郎が言うとすれば、

若い女が来ていないか」

 あるいはせいぜい、

「里見の御嬢さんには、もう会ったか」

 程度であろう。

 

 おそらく漱石以外の作家の作品では、このような「正しい」書き方がなされるはずである。漱石の書き方の方が、明らかにおかしい。読者(と漱石)がとっくに知っているからといって、与次郎もまたそうであるとは限らない。

 しかし漱石は意図的に(無理を承知で)書いたというよりは、自然にそのように書いたのであろう。作家としての我を棄てて天然に就く。理論に合致したセリフより、現行の破天荒なセリフの方が気持がいいのであろう。

 

 先の引用に続くくだりで、

 

「何をして居たんです」と下から与次郎が焦き立てる様に聞く。

「二階の御掃除」と上から返事があった。

 降りるのを待ち兼ねて、与次郎は美禰子を西洋間の戸口の所へ連れて来た。車力の卸した書物が一杯積んである。三四郎が其中へ、向こうむきに跼(しや)がんで、しきりに何か読み始めている。

「まあ大変ね。是をどうするの」と美禰子が云った時、三四郎は跼みながら振り返った。にやにや笑っている

「大変も何もありやしない。これを室の中へ入れて、片付けるんです。今に先生も帰って来て手伝う筈だから訳はない。――君、跼がんで本なんぞ読み出しちゃ困る。後で借りて行って緩くり読むがいい」と与次郎が小言を云う。(『三四郎』4ノ13回)

 

 漱石で何が分からないといって、このときの三四郎のにやにや笑いほど不可解なものはない。

 漱石も山ほど本を買っていたが、人が驚いたからといって笑いはしなかったろう。大切な商売道具である。照れる必要もないし脂下がる謂われもない。

 

 考えうる答えは、

 

①大量の書籍に驚くそぶりをした美禰子に、満腔の同意の意思表示として、笑って見せた。三四郎もまた、本なら図書館に行けばいいと思う方である。

 

②このとき三四郎がしゃがんで読んでいた本が『ブック・オフ・ジョークス』あるいは『イングリッシ・ウィット・エンド・ヒュモア』であったというもの。

 これらのタイトルは言うまでもなく『明暗』でお延が岡本の叔父から(入院中の津田の退屈しのぎに)と渡された洋書である。しかし『ハイドリオタフヒア』とまではいかなくても、三四郎が図書館で参照していた本たちとは、ちょっと毛色が異なるようである。

 

 いずれにせよ、これらは皆三四郎と美禰子の初対面のときの話である。よし子との初対面時の「ドアノブ事件」もあるので、もう1ヶ所、三四郎が美禰子の家を始めて訪れたときのシーンも、つい調べておきたくなる。

 前にも書いたが、非常に官能的であるが、叙述自体におかしなところは無い。ただこのときも三四郎と美禰子に添えて、下女が出てくるが、この下女は珍しく笑わない。下女が笑わないということは、このあと三四郎と美禰子はいわゆるデートらしきものに出掛けるわけだが、それはただの見せかけで、三四郎と美禰子の行動は所謂男と女のそれではないと、漱石はあらかじめ布石を打っておきたかったのか。この丹青会の章のラストシーン、上野の森の、大きな杉の木の下での雨宿りは、『三四郎』の中でもっとも詩的な情景であるが、漱石はそれを男女関係を抜きに書いたと言いたかったのか。漱石三四郎と美禰子の(カップルとしての)将来に、何も期待させない、ヒントも出さないという態度を表明したということだろうか。