明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」心篇 19

232.『先生と私』1日1回(5)――「ずっと」の用例


第4章 リセット/すべてはもう明るみに
    私・先生・先生の奥さん

11回 学歴の再確認~先生は世間と無縁に生きている~先生の元同級生批判~「若い時はあんな人じゃなかったんですよ」
12回 新潟県人の先生と鳥取と市ヶ谷のハーフ奥さんは恋愛結婚か~先生は奥さんを置いて自ら生命を断った~「然し君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」
13回「異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」「君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」「君は私が何故毎月雑司ヶ谷の墓地に埋っている友人の墓へ参るのか知っていますか」~「とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」

 其時の私は既に大学生であった。始めて先生の宅へ来た頃から見るとずっと成人した気でいた。奥さんとも大分懇意になった後であった。私は奥さんに対して何の窮屈も感じなかった。差向かいで色々の話をした。然しそれは特色のない唯の談話だから、今では丸で忘れて仕舞った。②そのうちでたった一つ私の耳に留まったものがある。・・・(『先生と私』11回冒頭)

「其時の」という語は、先にも述べたように、「私は既に大学生であった」とだけ書くと、私が今も大学生であるかのように読めてしまうので、それを避けるために付け加えただけである。この①の文章自体は、小説冒頭の次の一文と対になっている。

 私が先生と知り合になったのは鎌倉である。③其時私はまだ若々しい書生であった。・・・(『先生と私』1回)

 ①と③は同じ事を述べていると判断したい。大学生として、大学生であったからこそ、先生と知り合って仮に1年しか経っていなくても、成長を感じた。先生の亡くなってしまった現在から振り返っても、その成長の実感はあったと言っているのだろう。

 あるいはもっとストレートに、①の文章の「ずっと」という語を、「より以上」「 more 」という意味ではなく、「そのまま継続して」「ずっとそのまま」と解することが可能である。前作『行人』にこんな随筆的・回想的シーンがある。

 ・・・低い硝子戸越しには、是も自分の子供時代から忘れ得ない秋海棠が、変らぬ年毎の色を淋しく見せていた。自分は是等の前に立って、能く秋先に玄関前の棗を、兄と共に叩き落して食った事を思い出した。自分はまだ青年だけれども、自分の背後には既に是丈無邪気な過去がずっと続いている事を発見した時、今昔の比較が自から胸に溢れた。そうして是から此餓鬼大将であった兄と不愉快な言葉を交換して、わが家を出なければならないという変化に想い及んだ。(『行人/帰ってから』25回末尾)

 狂言回したる長野二郎が詩情を解する人であったことに驚かされるが、それはともかく、この場合、「先生の宅へ来た頃から見ると」は「先生の宅へ来た頃と比べて」ではなく、「先生の宅へ来た頃の地点から眺めると」の意味になる。つまり①の文章を分かりやすくリライトすると、以下のようになる。

 其時の私は既に大学生=成人気分であった。始めて先生の宅へ来た時分に身を置いて、そこから眺めても、ずっと変わらず成人気分であった。

 これは前項で置き去りにした、

「④貴方は死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」(『先生と私』5回)

 と関連して、第1の驚きと第2の驚きということで説明できると思う。
 16、7歳のとき世の中の美しいことに気付くのが第1の驚き。この美しさを異性の美と解すれば、第1の驚きはあまり早過ぎても遅すぎてもいけないということがよく分かる。(数えで14、5歳頃の、所謂色気づく=異性に関心を持つというのは、この準備段階であり、異性の美しさを自分の住む社会に反映させて理解するためには、今少しの社会勉強が必要になる。)
 第2の驚きは、死の恐怖を実感する頃であろうか。これは個人差もあるが、中心値は23歳~25歳くらいか。余談だが世に言う特攻隊だの鉄砲玉だのというのは、なるべく年の若い者に限る、遅くとも20歳を少し越したくらいまででないと具合が悪いというのは、この原理から来ている。
 第2の驚きが余りに早いと華厳の滝ということにもなりかねないが、あるいは大西巨人みたいに(中学生のとき)夜中に蒲団の上に起き直って、独りでガタガタ震えるということもある。一方で極端に遅い人もいないではない。一生(第2の驚きを)驚かない人がいるとすれば、それはそれで幸せな人生ではある。

 それはさて置くとして、私はこのとき24歳。自分で「成人した気」でいると書くくらいだから、おそらく第2の驚きはまだ経験していないと思われる。先生の④の発言は、それを見越してのものであった。何事にも真っ直ぐな私が第2の驚きに遭遇したのは、27歳、先生自裁のとき以降ではなかったか。(だからこそこの手記を書き始めたのであろう。)
 そして冒頭に戻って②の、私の印象に残った言葉というのは、前述した奥さんの、

「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。若い時は丸で違っていました。それが全く変って仕舞ったんです」(同11回)

 という、矛盾を孕んだ言葉に繋がっていく。先生はKの事件でより一層落ち込むが、その前に下宿したときから既に、(叔父に騙されて)性格は沈んでいたのである。私は(疑ったわけではなく)、単に奥さんの言葉が意外に思えたので、記憶にとどめたということであろう。繰り返しになるが、奥さん(御嬢さん)が先生の「活発な」時代を知っている筈はないのである。いったい先生は若い頃どんな性格だったというのだろうか。

 ・・・先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうして其悲劇の何んなに先生に取って見惨なものであるかは相手の奥さんに丸で知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、先ず自分の生命を破壊して仕舞った。
 私は今此悲劇について何事も語らない。其悲劇のために寧ろ生れ出たともいえる二人の恋愛に就いては、先刻云った通りであった。二人とも私には殆ど何も話して呉れなかった。奥さんは慎みのために、先生は又それ以上の深い理由のために。(同12回)

 小説『心』(の枠組み)はこれに尽きている。否言い方を変えれば、先生の遺書へ至る道は、ここから始まると言ってよい。引用したこのくだりは『心』の「あらすじ」に他ならない。短篇ではありえない展開であろう。
 11回を書いたとき、漱石の中ではもう短篇では終わりそうにないと覚悟を決めたが、12回でここまで書いてしまった以上、漱石はあらためて長い道を踏み出したと言わざるを得ない。私が今ここで先生の悲劇に就いて、直接には何も語らないと言っているのは、後段で先生自身がそれを語ることになっているからである。
 しかし謎めいたご託宣だけは、方針が変わってもどこ吹く風とばかりに継続されてゆく。

然し……然し君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」(同12回)

とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」(同13回)