明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」心篇 20

233.『先生と私』1日1回(6)――親譲りの無鉄砲


第5章 奥さんと私
    私・先生の奥さん・先生

14回 「あなた、あなた」奥さんは先生を制御するようだ~「かつては其人の膝の前に跪ずいたという記憶が、今度は其人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥ぞけたいと思うのです」
15回 先生の言葉は奥さんを想定しているのか~先生と奥さんには強烈な恋愛事件があったのか~雑司ヶ谷にある誰だか分らない人の墓
16回 先生の留守番を頼まれる~近所に泥棒が出没して物騒~奥さんとの会話~「奥さんが好きになったから世間が嫌いになった」~「議論はいやよ」「空の盃でよくああ飽きずに献酬が出来ると思いますわ」
17回 奥さんと先生の相互の愛情は確かなものである~先生は奥さんがいなければ生きて行けない~しかし奥さんは先生からの愛を感じられないという~「先生は世間が嫌い。人間が嫌い。その一人として私が好かれる筈がないじゃありませんか」
18回 私の女性観~奥さんの煩悶~原因はすべて己にあると先生は言う~奥さんはそれが理解できるはずもない~奥さんの涙
19回 奥さんの推測~「然し人間は親友を一人亡くした丈で、そんなに変化できるものでしょうか」
20回 先生ご帰還~奥さんの豹変~「どうも御苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」~秋が暮れて冬が来る迄格別の事もなかった

 長篇になったと決まれば、もういつもの漱石である。というより、『先生と私』の書き振りをあらためて最初から見ても、(長篇小説を書いている)いつもの漱石以外の何物でもないことに今更ながら気付かされる。漱石の当初書こうとした「短篇」とは如何なるものか、そもそも漱石は短篇小説を書いた事があるのかとさえ思ってしまう。
 それはいいとして、安心したのか漱石の屁理屈は遠慮なく開陳され始める。

「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」
「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用出来ないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです」
「①そう六ずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」
「②いや考えたんじゃない。遣ったんです。遣った後で驚いたんです。そうして非常に怖くなったんです」(『先生と私』14回)

 私の①のセリフに対して、先生の②の切り返しは明らかに揚げ足取りであろう。試みに私のセリフを例えば、「物事を複雑に捉える人間にとって、確実なものは存在しない」と書き換えてみると、先生は言葉に詰まるのではないか。
 まあ漱石のことだから、「いや複雑じゃない。単純なんです。単純に遣ってしまったんです。遣った後で驚いたんです。そうして――」とでも言うのかも知れないが。
 ここで先生は、「考えてばかりで何も実行しないのは詰らない」と野々宮に当てこすりを言った美禰子に対し、根源的な反論を試みているように思える。

 信頼に足る理論がなければ物事の遂行は困難である、という見方そのものは理屈にかなっている。では自分で信頼に足ると確信して実行した結果が、驚きと恐怖を齎すものでしかなかったなら、自分はいったい何を信じればよいのか。
 何かを信じてあることを実践したら、後日非常に苦しむ羽目に陥った。その「あること」とは、自ら自身の信用を一気に失墜させるような、とんでもない行為であった。ならば自分の信じた「何か」とは、まったく当てにならない、無価値なシロモノではないか。自分は何も信用出来ないし、自分を信用することも出来ない。
 この「あること」がプロポーズであり、「何か」が「愛」であったならば、というのが『心』のテーマであろう。漱石はここでも、自分の決断出来ない性向の源泉を探っているのである。

 漱石は大事なことを自分の意志のみで決めることのなかった人であると、論者は繰り返し述べて来た。論者はその構造(心の仕組み)を解明したく思うが、それは漱石が自分でも説明しようとして説明出来ないもののようである。

「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」

 先生の「無鉄砲」とは、Kと御嬢さん(一部は御嬢さんの母親にも)に対する行為全般である。所詮先生自身の責任である。先生の悲劇はその理由を探ろうとしたことにある。「親譲り」で片付くのなら人生苦にするものはない。親譲り以外の様々な要因で今の自分(悲劇)がある。「自分が悪い」で済ますことが出来れば、先生は(坊っちゃんも)それ以上何も悩むことはなかった。当然遺書も小説も書かれない。

 ところが先生(漱石坊っちゃん)は、「自分は悪くない」と信じる人である。それにはそれこそ様々な理論が必要になる。ふつうの人はそんな不効率な事はやらない。漱石は「損ばかりする」と分かっていて、やらざるを得ない。先生はその最大の「損」を引き当ててしまった。(最大の損とはもちろん人生の自主返納である。)

 ・・・盗難はいずれも宵の口であった。大したものを持って行かれた家は殆どなかったけれども、這入られた所では必ず何か取られた。奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空けなければならない事情が出来てきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外の二三名と共に、ある所で其友人に飯を食わせなければならなくなった。先生は訳を話して、私に帰ってくる間迄の留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。(同15回末尾)

 野々宮の留守番として下宿に泊りに行く三四郎を彷彿させるが、先生は同郷の友人との交際を継続している。第7回で、故郷を捨てた先生に同郷の学生は似合わない、と書いたが、先生がある程度の交際家であること自体は間違いないようだ。とすると、先生は叔父一家とだけ絶縁したのであるから、両親の墓参くらいはやってもよかったのではないか。これは漱石が末っ子で菩提寺とか先祖の祭祀に関心が無かったせいもあるが、先生は長男(一人っ子)であるから、そこまで遊民に徹するのは無理があるのではないか。
 するともうひとつの余計な疑いが頭をもたげる。塩原の長男であった金之助がなぜ親孝行・恩返し・塩原家の祭祀に関心がないのかという疑問である。それは不縁に終わったからというのが常識的見解であろうが、絶縁しようがしまいが、本人の気持ちにその要請があるかないかは、また別の問題である。絶縁状の有無に関係なく、漱石に始めからその気がなかったことは疑う余地がない。しかしここではこれ以上触れないでおこう。