明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」心篇 21

234.『先生と私』1日1回(7)――奥さんによる『心』の解剖学


第5章 奥さんと私 (再掲)

14回 「あなた、あなた」奥さんは先生を制御するようだ~「かつては其人の膝の前に跪ずいたという記憶が、今度は其人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥ぞけたいと思うのです」
15回 先生の言葉は奥さんを想定しているのか~先生と奥さんには強烈な恋愛事件があったのか~雑司ヶ谷にある誰だか分らない人の墓
16回 先生の留守番を頼まれる~近所に泥棒が出没して物騒~奥さんとの会話~「奥さんが好きになったから世間が嫌いになった」~「議論はいやよ」「空の盃でよくああ飽きずに献酬が出来ると思いますわ」
17回 奥さんと先生の相互の愛情は確かなものである~先生は奥さんがいなければ生きて行けない~しかし奥さんは先生からの愛を感じられないという~「先生は世間が嫌い。人間が嫌い。その一人として私が好かれる筈がないじゃありませんか」
18回 私の女性観~奥さんの煩悶~原因はすべて己にあると先生は言う~奥さんはそれが理解できるはずもない~奥さんの涙
19回 奥さんの推測~「然し人間は親友を一人亡くした丈で、そんなに変化できるものでしょうか」
20回 先生ご帰還~奥さんの豹変~「どうも御苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」~秋が暮れて冬が来る迄格別の事もなかった

「私に云わせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」
「あなたは学問をする方丈あって、中々御上手ね。空っぽな理屈を使いこなす事が。③世の中が嫌いになったから、私迄も嫌いになったんだとも云われるじゃありませんか。それと同なじ理屈で」
「両方とも云われる事は云われますが、此場合は私の方が正しいのです」
「④議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空の盃でよくああ飽きずに献酬が出来ると思いますわ」(同16回)

「⑤あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。
「何かいうと又議論を仕掛けるなんて、叱り付けられそうですから」と私は答えた。
「まさか」
 ・・・
「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳がないんですもの。然し先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃では⑥人間が嫌いになっているんでしょう。だから其人間の一人として、私も好かれる筈がないじゃありませんか」(同17回)

「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。
「いいえ」と私が答えた。
「⑦何うぞ隠さずに云って下さい。そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」と奥さんが又云った。「是でも私は先生のために出来る丈の事はしている積なんです」
「そりゃ先生も左右認めていられるんだから、大丈夫です。御安心なさい、私が保証します」
 ⑧奥さんは火鉢の灰を掻き馴らした。それから水注の水を鉄瓶に注した。鉄瓶は忽ち鳴りを沈めた。(同18回)

 非合理的な理屈が奥さんにまで拡大しているのはご愛嬌だが(③と⑥)、④の空の盃での献酬という言い方は、代助と平岡が酒を酌み交わすときの三千代のセリフを思わせる。⑤は『行人』のお直のセリフであり、⑦は『明暗』のお延のそれであろう。先生の奥さんは三千代・お直・お延の血を引いているとも言えるが、この4人の人妻は、それぞれに夫から虐待を受けているという点が共通している。『心』の登場人物には名前がないが、先生の奥さんにだけ「静」という名が与えられたのは、三千代たちの仲間であるという印しであったのか。
 ところで前述したように、「静」という名は『先生と私』の中だけで語られたのであり、私の母親の「御光」、妹婿の関、父親の幼馴染みの作さん等の名も『両親と私』で露出したものである。ハイライト篇たる『先生と遺書』では本当に人の名は書かれない。それどころか先生の郷里たる新潟を指し示す言葉も出て来ない。各篇の独立ということを信じれば、『先生の遺書』では誰の名前も産地も一切不明ということになる。唯一先生の郷里で叔父が会議員をやっていたことが書かれるから、先生(とK)の郷里が大阪京都でないことだけは分かるが、先生は自分の故郷を(私同様)田舎だと言っているから、もともと京大阪は該当しないのである(北海道等の外地も)。
 その中にあって、Kという1文字(1人)だけが独り聳え立っている。この視覚的効果は漱石によってあらかじめ計算されたものだったか。それとも『行人』でやたらとアルファベットの頭文字を持つ人物を登場させた、その名残に過ぎないのか。

 奥さんということでついでに言えば、『猫』の苦沙弥の細君は別物として、漱石の人妻のヒロインで夫の虐待を受けてないのは、『門』の御米だけである。論者は先に『門』を平和な小説と書いたが、『門』だけが例外的に夫婦仲がいい。ところがこの夫婦に限って世間から爪弾きされたような設定になっており、夫が虐待する前に世間から虐待を受けていると言える。
 では人妻でなければいいのかというと、適齢期の処女も皆、男によって一煽りも二煽りも受けている。一番酷い目に遇うのは『虞美人草』の藤尾であるが、小夜子もそれに近い目に遭っているし、美禰子も千代子も自分の想いを素直に受け止めてくれる男がいない。『坊っちゃん』のマドンナも『それから』の佐川の令嬢も、ことによると『猫』の金田富子や三毛子もこの仲間であろうか。
 その予備軍たる女学生クラスになると、さすがに虐待とは縁のない善女として描かれているようである。『猫』の雪江さん、『虞美人草』の糸子、『三四郎』のよし子、『行人』のお重、『明暗』の継子。でも雪江さん・糸子・お重はそれぞれの理由で泣いているし、継子は果実の着かない見合いをさせられたようにも見える。
 唯一よし子だけが、当初自分の結婚相手に想定された男が美禰子の夫になってしまったといういきさつはあるものの、男に泣かされることのない聖天使として描かれる。そのよし子のことを三四郎の結婚相手として最適であると書くのは、お墨付きを与えたのがあの佐々木与次郎であることを考慮に入れても、漱石作品としては異例の大抜擢であると言ってよい。というよりこのくらいの領域まで行かないと、なかなか結婚相手として認めてもらえないということで、漱石も厳しいというかハードルが高いというべきか。

 そして⑧の、何でもないような一文は、漱石がある日垣間見た光景であろうが、あらゆる作家がいくら漱石に私淑しても、これを真似ることは困難であることが分かる。その作家が実際に見たものを、実際に見たときの感動があるにしても、その感動の仕方までは真似出来ない。これは本ブログ第3項
漱石「最後の挨拶」心篇 3 - 明石吟平の漱石ブログ

で引用した志賀直哉の『革文函』の、「経験の仕方の深さが重要である」ということに通ずるものであり、人の感動(の深さや種類)は真似の出来るものではないし、真似出来るとすれば、それは紋切型というのであろう。

 ところで前の項で提出された問題、

「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。若い時は丸で違っていました。それが全く変って仕舞ったんです」(同11回)

 に対する解答も、ここでちゃんと用意されていた。はしゃぐとか活発というのではなかった。

「あなたの希望なさるような、又私の希望するような頼もしい人だったんです」(同18回)

 なるほどそういう言い方もあったのか、と思わせてしまう。後の先生の遺書を見ても、先生と頼もしいという言葉とは少しも結び付かないが、結婚する頃の奥さんにはそう見えたのであろう。もちろん異議を唱える話ではない。

 11回で長篇へシフトチェンジした小説は、12回でその「あらすじ」が語られた。奥さんとの会話を経て、19回では奥さんによる「秘密の暴露」が実行される。

「みんなは云えないのよ。みんな云うと叱られるから。叱られない所丈よ」(同19回)

 漱石の中では、書き始めたときの『心』は、その書き方の姿勢についていえば、それはもうどこかへ行ってしまっている。先生が外出先から帰宅したときの、奥さんの豹変ぶりの描写もまた、見事の一語に尽きるが、小説の語り口はいつもの(『行人』までの)漱石に戻ったようである。

 十時頃になって先生の靴の音が玄関に聞こえた時、奥さんは急に今迄の凡てを忘れたように、前に坐っている私を其方退けにして立ち上がった。そうして格子を開ける先生を殆ど出合頭に迎えた。私は取り残されながら、後から奥さんに尾いて行った。下女丈は仮寝でもしていたと見えて、ついに出て来なかった。(同20回)

 そして暦もまた復活する。

 秋が暮れて冬が来る迄格別の事もなかった。(同20回)

 冬が来た時、私は偶然国へ帰らなければならない事になった。(同21回冒頭)

 この「秋から冬にかけての年」が明治44年であることは疑いがない。いままで靄のかかったような中で語られてきた物語は、ようやくその正体が露わになった。小説は20回を数えたところで、いつものカレンダー付きの書き方へ戻った。やっと軸足が定まったということである。