明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」心篇 16

229.『先生と私』1日1回(2)――先生はなぜ驚いたのか


第2章 雑司ヶ谷の墓地 (再掲)

4回 東京の先生の家を始めて訪れる~先生は今は亡くなっている
5回 雑司ヶ谷墓地での邂逅~「あすこには私の友達の墓があるんです」
6回 先生のただ一人の門人となる~「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」
7回「何でそう度々遣って来るのか」「邪魔だとは云いません」「又来ましたね」~「私は淋しい人間です」

 私と先生の東京での始めての出会いのシーンは、象徴的にも広々とした雑司ヶ谷の墓地である。いつも書斎や茶の間に閉じ籠っていそうな、世捨て人然たる先生であるが、そもそも出発が鎌倉の広い海水浴場であり、その描かれる姿は案外に行動的である。奥さんは「若い時はあんな人じゃなかった」(11回)というが、皮肉にも書生時代の先生の方が内向的な生活をしていたように読めなくもない。

「何うして……、何うして……」
 ・・・
「私の後を跟けて来たのですか。何うして……」(『先生と私』5回)

 先生は墓地で私に再会したとき非常に驚いた。秘密の墓参りを他人に見られたので吃驚したのか。それともKの眠る墓地で若い学生の私を見て、また別の驚きを驚いたのだろうか。まさか私がKの生まれ変わりで、突然土の中から湧いて出て来たと思ったわけでもないであろうが。

「貴方は死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」(同5回)

 墓地で簡単な会話を交わした先生はこうも言った。
 おそらく夏の鎌倉での短い会話の記憶を甦らせたのだろう。これは、「三四郎は切実に生死の問題を考えた事のない男である」(『三四郎』10ノ2回)を想わせるものであるが(このとき三四郎は23歳である)、これについては後述したい。

 ・・・人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事の出来ない人、――是が先生であった。(同6回)

 この文章の後半部分(アンダラインの)ほど漱石の人となりを表わしたものはないであろう。とりわけ漱石の子女は、全員諸手を挙げて賛同する筈である。では前半部分は漱石ではないのか。少なくとも人を愛せない人にあの作品群が書ける筈はないとは言えるが、筆子たちから見ると(父の小説も読んでいないし)そうは思えなかったであろう。読者から見ても、『心』のあの先生が、人間を愛せずにはいられない人とはとても思えない。それともこの場合の「人間」とは奥さん唯一人を指すのであろうか。漱石の主観としてはそういうことなのかも知れない。傍からは分からない。その軋轢が漱石を苦しめる。しかし例えば漱石が子供のようなストイックさと甘えを持った人であると仮定すれば、この奇妙な現象の一応の説明はつくかも知れない。無理に結論に導く必要もないであろうが。

 先生の宅へしばしば上るようになったある日、私は先生に墓参りに御供したいと申し出た。先生はなぜかうんとは言わない。私は子供みたいにおねだりした。

 ・・・すると先生の眉がちょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪とも畏怖とも片付けられない微かな不安らしいものであった。⑧私は忽ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだったのである
「私は」と先生が云った。「⑨私はあなたに話す事の出来ないある理由があって、他(ひと)と一所にあすこへ墓参りには行きたくないのです。⑩自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです」(同6回末尾)

 第5回で先生を驚かせたというその理由が、第6回で早くも明かされる(⑧)。妻さえ同行させない墓参りに私を連れて行けるわけがない(⑩)。私はそれで納得したかも知れないが、読者の疑問は残る。
 雑司ヶ谷墓地で若い知人を見た驚愕と、Kの墓参に介入されそうになった不快感が、なぜ同じなのだろうか。墓に参ることが秘密を要することであろうか。それは恥ずかしいことなのであろうか。
 世間知らずで性格のまっすぐな私は、そんなことに頓着なく、探偵趣味を離れて純粋な親和力から先生に近づくことにより、先生の忌避を免れた。これが一部の読者・評家から、狡い・通俗と批判される所以であるが、漱石は倫理観という概念を上に見ていたので、あらゆる批判は(その下にあるという意味で)漱石の小説家魂をおびやかすに至らなかった。自然、作品に対する指摘は些末的にならざるを得ない。例えば次のようなものである。

 ・・・⑪先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼等のいずれもは皆な私程先生に親しみを有っていないように見受けられた。(同7回)

 それはめでたいが、⑪の記述は漱石の筆がついすべったものか。先生は高等学校のとき故郷と親戚を捨てて、それこそ父母の墓参りも放棄した(罰当りな)身である。それがゆえにKの墓参を欠かさないのかという議論は置いておくにしても、先生は漱石みたいに教師をしていたわけではない。大学の元同級生で教授になった者から紹介されて、在野の読書人ということで学生が話を聞きに来ることはあるかも知れない。しかし「先生と同郷の学生」というのはフライングであろう。故郷を捨てた先生に同郷の学生は似合わない。

「・・・貴方は外の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。⑫今に私の宅の方へは足が向かなくなります」(同7回)

 そして⑨の(見え透いた)謎掛けと、⑫の(当たらない)予言は、これから先も繰り返し続いてゆく。