明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」心篇 41

254.『心』目次(1)――『先生と私』・『両親と私』


 小説『心』の物語の始まり(鎌倉の海)を、明治42年、私24歳、大学1年次を終了して2年次に進む前の夏休みとする。『心』は3年間の物語である。

 『先生と私』 (全36回)

第1章 鎌倉の海 (明治42年夏)
    私・先生・先生の海水浴の連れの西洋人・私の中国地方の資産家の息子たる友人

1回 鎌倉で一夏を過ごす~海水浴に無聊を紛らわす
2回 先生を始めて見る~「どうも何処かで見た事のある顔の様に思われてならなかった」
3回 先生と始めて口をきく~「私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂った」

第2章 雑司ヶ谷の墓地 (明治42年秋)
    私・先生・先生の奥さん・下女

4回 東京の先生の家を始めて訪れる~先生は今は亡くなっている
5回 雑司ヶ谷墓地での邂逅~「あすこには私の友達の墓があるんです」
6回 先生のただ一人の門人となる~「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」
7回「何でそう度々遣って来るのか」「邪魔だとは云いません」「又来ましたね」~「私は淋しい人間です」

第3章 先生と奥さん (明治43年~明治44年)
    私・先生・先生の奥さん

8回 先生の奥さんは美しい人~ある日の食卓にお酒が~「子供でもあると好いんですがね」「一人貰って遣ろうか」「貰っ子じゃ、ねえあなた」
9回 先生と奥さんは仲の好い一対~奥さんの名は静といった~でも諍いの声を聞いて玄関から引き返したことも~「妻が考えているような人間なら、私だって斯んなに苦しんでいやしない」
10回「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない」「妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思って呉れています」「私達は最も幸福に生れた人間の一対であるべき筈です」~ある日私はたまたま奥さんと二人切りで過ごすことがあった

第4章 リセット/すべてはもう明るみに (明治43年~明治44年)
    私・先生・先生の奥さん

11回 学歴の再確認~先生は世間と無縁に生きている~先生の元同級生批判~「若い時はあんな人じゃなかったんですよ」
12回 新潟県人の先生と鳥取と市ヶ谷のハーフ奥さんは恋愛結婚か~先生は奥さんを置いて自ら生命を断った~「然し君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」
13回「異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」「君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」「君は私が何故毎月雑司ヶ谷の墓地に埋っている友人の墓へ参るのか知っていますか」~「とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」

第5章 奥さんと私 (明治43年~明治44年)
    私・先生の奥さん・先生

14回 「あなた、あなた」奥さんは先生を制御するようだ~「かつては其人の膝の前に跪ずいたという記憶が、今度は其人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥ぞけたいと思うのです」
15回 先生の言葉は奥さんを想定しているのか~先生と奥さんには強烈な恋愛事件があったのか~雑司ヶ谷にある誰だか分らない人の墓
16回 先生の留守番を頼まれる~近所に泥棒が出没して物騒~奥さんとの会話~「奥さんが好きになったから世間が嫌いになった」~「議論はいやよ」「空の盃でよくああ飽きずに献酬が出来ると思いますわ」
17回 奥さんと先生の相互の愛情は確かなものである~先生は奥さんがいなければ生きて行けない~しかし奥さんは先生からの愛を感じられないという~「先生は世間が嫌い。人間が嫌い。その一人として私が好かれる筈がないじゃありませんか」
18回 私の女性観~奥さんの煩悶~原因はすべて己にあると先生は言う~奥さんはそれが理解できるはずもない~奥さんの涙
19回 奥さんの推測~「然し人間は親友を一人亡くした丈で、そんなに変化できるものでしょうか」
20回 先生ご帰還~奥さんの豹変~「どうも御苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」~秋が暮れて冬が来る迄格別の事もなかった

第6章 両親と私 (明治44年12月中旬~明治45年1月初旬)
    私・先生・先生の奥さん・私の両親

21回 冬休み前の帰省~父の病気は先生の奥さんの母親と同じ腎臓病~先生から旅費を用立ててもらって夜行列車で東京を発つ
22回 兄は遠い九州~妹は他国へ嫁いだ~父は空元気を出しているかのよう~先生に手紙を書いたら思いがけず返信があった
23回 退屈しのぎの将棋~父と先生を較べて先生の存在感のあまりの大きさに驚く~1週間を過ぎてもう東京へ戻りたくなった
24回 正月が明けて先生の宅を再訪~「こりゃ何の御菓子」~人はあっという間に死ぬ~不自然な暴力で死ぬこともある

第7章 卒業論文・郊外の散歩・先生の約束 (明治45年1月上旬~5月上旬)
    私・先生・造園農家の家族と犬

25回 卒業論文を書かねばならない~先生の読書量は最近減ったという~「いくら本を読んでも偉くない」「知らないということが恥でない」
26回 卒業論文を書き上げる~先生に久しぶりに会う~先生を郊外の散歩に連れ出す
27回 財産の話~父の病状は一進一退~先生は父親の死と相続財産について何か言いたいようである
28回 鋳型に入れたような悪人が存在するわけではない~平生は皆善人である~植木の苗の並ぶ農園にさまよい込む~犬が吠える~斥候長の子供
29回「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」「君の気分だって、私の返事一つですぐ変わるじゃないか」
30回「私は是で大変執念深い男なんだから」「人から受けた屈辱や損害は、十年立っても二十年立っても忘れやしないんだから」「私は死ぬ迄それを忘れる事が出来ないんだから」
31回「隠す必要がないんだから」「今は話せないんだから」「適当の時期が来なくちゃ話さないんだから」

第8章 卒業祝い・お別れ (明治45年7月2日火曜~7月5日金曜)
    私・先生・先生の奥さん・下女

32回 卒業式~その晩は先生の家で御馳走になる~「先生は癇性ですね」~「御目出とう」
33回 私は卒業後何をしたいかまだ決めていない~どのくらいの財産があれば先生みたいに遊んで暮らせるのか
34回 九月までごきげんよう~先生たちもこの夏は避暑に出かけるかも~「静、御前はおれより先へ死ぬだろうかね」
35回「静、おれが死んだら此家を御前に遣ろう」~「おれが死んだら、おれが死んだらって、まあ何遍仰しゃるの」~「御病人を御大事に」「また九月に」
36回 鞄と土産物を買う~父はもう亡くなるものと覚悟して苦にならない~兄へ手紙を書く~「人間の何うする事も出来ない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた」

 『両親と私』 (全18回)

第1章 持ち直した父 (明治45年7月6日土曜~7月25日木曜)
    私・父・母

1回「こんなものは巻いたなり手に持って来るものだ」「中に心でも入れると好かったのに」
2回「自分で死ぬ死ぬって云う人に死んだ試はない」「夫よりか黙っている丈夫の人の方が剣呑さ」
3回 村人を呼んで大学卒業の内祝いをしなければいけない~明治天皇の御病気~ついこの前の卒業式に行幸
4回 友達に手紙を出す~先生にも作文風のものを送るが返事はなかった~先生は避暑に出掛けたのか~陛下の病気と父の病気

第2章 衰え行く父 (明治45年7月25日木曜~大正元年9月1日日曜)
    私・父・母

5回 父は陛下の病状に同調するかのように衰えて行く~7月30日明治天皇崩御~「ああ、ああ、天子様もとうとう御かくれになる。己も……」~先生にまた手紙を書きかけたがやめる
6回 両親は私の就職を待ち望んでいる~先生に好い口があるか手紙で尋ねてみろと言う
7回「小供に学問をさせるのも好し悪しだね。折角修業をさせると、其小供は決して宅へ帰って来ない」~兄は遠国にいる~私は東京に住む覚悟~先生にまた就職依頼の手紙を書く
8回 9月になって東京へ出る日を決める~「そりゃ僅の間の事だろうから、何うにか都合してやろう。其代り永くは不可いよ。相当の地位を得次第独立しなくちゃ」

第3章 死に近き父 (大正元年9月3日火曜~9月10日火曜)
   私・父・母・医者

9回 上京予定日の2日前に父はまた倒れた~足止め~「どうせ死ぬんだから、旨いものでも食って死ななくちゃ」
10回 父の重態は続く~町の病院から看護婦を呼ぶ~ついに兄と妹へ電報を打つ
11回 私は身動きが取れない~母は先生に催促の手紙を書けと言う~父の気が慥かなうちに就職口を決めて「喜こばして上げるように親孝行をおしな」

第4章 兄帰る (大正元年9月11日水曜~9月27日金曜)
    私・父・母・兄・妹婿・作さん

12回 兄が帰って来た~妹婿も駆け付ける~9月13日御大葬・乃木大将の殉死「大変だ大変だ」~先生から思いがけない電報~ちょっと会いたいが来られるか~先生に断りの電報を打つ
13回 先生に行かれない事情を書いた手紙を出す~手紙を出した2日目にまた電報が~来ないでもよろしい~作さん来る「作さんよく来て呉れた。己はもう駄目だ」~浣腸
14回 毎晩交代で家族が父の寝所に詰める~兄と私~「御前是から何うする」「一体家の財産は何うなっているんだろう」
15回 兄は実業の人「イゴイストは不可ないね」~「御前此所へ帰って来て、宅の事を監理する気はないか」「本を読む丈なら、田舎でも充分出来る」

第5章 先生の手紙 (大正元年9月28日土曜~9月29日日曜)
    私・父・母・兄・伯父・医者・看護婦

16回「乃木大将に済まない。実に面目次第がない。いえ私もすぐ御後から」「御光御前にも色々世話になったね」~「今のうち何か聞いて置く必要はないかな」~伯父にも相談~其時兄が廊下伝に這入って来て、一通の郵便を無言の儘私の手に渡した
17回 先生からの大部の手紙~終末に近い父~落ち着いて手紙を読めないもどかしさ~私を呼ぶ兄の大きな声
18回 先生の手紙の結末に近い一句「此手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもう此世には居ないでしょう。とくに死んでいるでしょう」~居ても立っても居られない私は置手紙をして東京行きの汽車に飛び乗る