明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 3

89.『門』の間取り図 ~『明暗』に向かって(第13項)


漱石「最後の挨拶」番外篇》

 宗助と御米が東京で棲み暮らす関口台(今の目白台)あたりの崖下の家について、又々で恐縮であるが、前著(『明暗』に向かって)からの引用文を以って、その間取り図を紹介したい。

Ⅰ 四つの改訂
13.『門』の間取り図

 生涯自分の家を持たなかった漱石だが、作品の主人公もまた不平を鳴らしつつも、あらかた借家か下宿住まいである。しかしその間取りまで丁寧に示した例は多くない。
『門』で宗助と御米の住む小さな家はどのようになっているのか。冒頭から順を追ってたどると、

 宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。

 二三分して、細君は障子の硝子の所へ顔を寄せて、縁側に寝ている夫の姿を覗いて見た。夫はどう云う了見か両膝を曲げて海老の様に窮屈になっている。そうして両手を組み合わして、其中へ黒い頭を突っ込んでいるから、肘に挟まれて顔がちっとも見えない。(以上『門』1ノ1回)

 針箱と糸屑の上を飛び越す様に跨いで茶の間の襖を開けると、すぐ坐敷である。南が玄関で塞がれているので、突き当りの障子が、日向から急に這入って来た眸には、うそ寒く映った。其所を開けると、廂に逼る様な勾配の崖が、縁鼻から聳えているので、朝の内は当って然るべき筈の日も容易に影を落さない。

 崖は秋に入っても別に色づく様子もない。・・・其代り昔の名残りの孟宗が・・・すっくりと立っている。夫が多少黄に染まって、幹に日の射すときなぞは、軒から首を出すと、土手の上に秋の暖味を眺められる様な心持がする。宗助は・・・暗い便所から出て、手水鉢の水を手に受けながら、不図廂の外を見上げた時、始めて竹の事を思い出した。

 宗助は障子を閉てて坐敷へ帰って、机の前へ坐った。坐敷とは云いながら客を通すから左様名づける迄で、実は書斎とか居間とかいう方が穏当である。北側に床があるので、申訳の為に変な軸を掛けて・・・其他には硝子戸の張った書棚が一つある。けれども中には別に是と云って目立つ程の立派なものも這入っていない。

 宗助は郵便を持った儘、坐敷から直ぐ玄関に出た。細君は夫の足音を聞いて始めて、坐を立ったが、是は茶の間の縁伝いに玄関に出た。(以上1ノ2回)

 三十分許りして格子ががらりと開いたので、御米は又裁縫の手を已めて、縁伝いに玄関へ出て見ると、帰ったと思う宗助の代りに、高等学校の制帽を被った、弟の小六が這入って来た。(1ノ3回)

 宗助は暗い座敷の中で黙然と手焙へ手を翳していた。灰の上に出た火の塊まり丈が色づいて赤く見えた。・・・宗助は思い出した様に立ち上がって、座敷の雨戸を引きに縁側へ出た。(2ノ3回)

 宗助と小六が手拭を下げて、風呂から帰って来た時は、座敷の真中に真四角な食卓を据えて、御米の手料理が手際よく其上に並べてあった。(3ノ1回)

 ここまでで次のことが分かる。

①茶の間の南側には縁側が附いており硝子障子で遮られる。
②茶の間の東側は座敷に面しており、襖で区切られる。
③座敷は南側が玄関、東側が障子で、開けるとそこにも縁側があるが急な崖が迫っていて昼でも暗い。座敷の北側には床の間がある。家具は書物机と書棚だけ。便所は座敷に近い。
④したがって茶の間は座敷よりは明るい。茶の間からも縁側を通って玄関に行ける。

 これを北を上にした東西南北の間取で表すと、

左(西)から右(東)に向かって順に、茶の間、座敷、雨戸の附いた座敷の縁側、そして崖
座敷の下(南)は玄関、茶の間の下は縁側。やはり南を向いており、玄関だけ出っ張っている
茶の間はふだんは夫婦の食卓と御米の裁縫。座敷は宗助の書斎代わり

 その日は小六が来て御馳走をするので座敷に食卓を置いたのである。夫婦がどこに寝ているかはここまでの記述では触れられていない。

(この項つづく)