明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 17

103.『門』カレンダーの謎(1)――小六の引越はいつか


 さて「手文庫事件」(泥棒事件の言い換え――文面の浄化のため)のあと、『門』はようやく小説らしくなってくる。小六の同居(障子貼りの情景)、坂井との交際(屏風事件の顛末)。そしてこれらの出来事はすべて、前半のハイライトたる年末の御米の病気へのプロムナードとなっている。
 暦は概ね11月末から12月前半にかけてのことであるが、『門』の暦は前2作に較べて、やや行きつ戻りつしているようである。
 その中でとくに、小六が寄宿を引き払って宗助の家に来た日の、具体的記述が一切ないことが気にかかる。(前述したが、小六が坂井へ書生に出た日の叙述もまた、小説では省略されている。)
 もちろんそれは小説の構成上の話・文章(描写)の話であるから、どのように扱われようが一向差し支えないわけであるが、漱石の筆致がなぜかその前後、異様に細かくなっている分、余計気になる。日数や曜日の記述が細かくなって、却って辻褄の合わない箇所が出現したことは、すでに『三四郎』(天長節と菊人形の日曜)で経験済みである。

 宗助が文庫を届けて出勤した日の午後、刑事と坂井がやって来て、御米は坂井の顔に髭があることに気付く。2日ばかりして下女が菓子折を持って来る。宗助は晩にそれを食う。それからまた2日おいて、3日目の暮れ方、坂井が突然来訪して2時間喋って帰る。金時計は返ってきたと言う。実被害は無かったわけである。(9ノ1回)

 次の日役所帰りの宗助は道具屋の前で坂井と遭う。その日は寒く(体調の悪い)御米はこの冬始めて座敷に炬燵をこしらえていた。座敷の真ん中にと訝る宗助に、御米は6畳は小六がいて塞がっているからと言う。宗助は家に小六がいることに始めて気が付いた。(9ノ2回~9ノ3回)

 上記の、「文庫を届けて出勤した日」と、「役所帰りに坂井と遭った日」は、同じ曜日である。ちょうど1週間経っている。その中のどこかに日曜日が挟まっているが、それは推測するしかない。

 その前の第8章で、「小六は四五日前とうとう兄の所へ引き移った結果として、今日の障子の張替を手伝わなければならない事となった。」(8ノ1回)

座敷の張易が済んだときにはもう三時過になった。そう斯うしているうちには、宗助も帰って来るし、晩の支度も始めなくってはならない」(8ノ3回)

 そして小六は障子の貼替が済んだ後、文庫を届けた礼に坂井から貰った菓子を、御米から出してもらって食べている。(8ノ3回)

 障子を貼り替えた日はウィークデイである。当時の勤め人は4時終業であるから4時半には宗助は帰って来る。そして小六が引っ越して来た日も日曜ではあるまい。宗助は小六が来たことをつい忘れていたというからには、その日宗助は出勤中であったに違いない。

 するとこれら一連の暦はどのようになるのであろうか。試しに曜日をセットして、それを明治42年のカレンダーに当て嵌めてみると、

A案
①11月26日(金)
 手文庫事件の朝(出社日)
②11月27日(土)
③11月28日(日)
④11月29日(月)
 坂井から菓子折 晩に食う
⑤11月30日(火)
⑥12月1日(水)
 (小六引越)
⑦12月2日(木)
 暮れ方坂井が来訪
⑧12月3日(金)
 勤め帰り道具屋で坂井に遭遇(出社日)
 次の土日に坂井へ行って屏風を見ようか
 帰宅したら座敷に始めて炬燵が拵えてあった
 小六が引っ越して来ていたのを失念していた
⑨12月4日(土)
⑩12月5日(日)坂井を訪問して屏風を見る
⑪12月6日(月)
 (障子貼替/小六が坂井の饅頭を食う)

B案
①12月1日(水)
 手文庫事件の朝(出社日)
②12月2日(木)
③12月3日(金)
④12月4日(土)
 坂井から菓子折 晩に食う
⑤12月5日(日)
⑥12月6日(月)
 (小六引越)
⑦12月7日(火)
 暮れ方坂井が来訪
⑧12月8日(水)
 勤め帰り道具屋で坂井に遭遇(出社日)
 次の土日に坂井へ行って屏風を見ようか
 帰宅したら座敷に始めて炬燵が拵えてあった
 小六が引っ越して来ていたのを失念していた
⑨12月9日(木)
⑩12月10日(金)
 (障子貼替/小六が坂井の饅頭を食う)
⑪12月11日(土)
⑫12月12日(日)
 坂井を訪問して屏風を見る

 A案が無難であろう。すべての行事がウィークデイに収まり、小六の寄宿舎引揚も月替わりですっきりする。宗助が小六どころでないのも、週の後半で神経が消耗していると見れば、理屈はつく。
 B案も可能である。スタートを11月でなく12月とするのも、第7章冒頭で「また冬が来た」と書かれるのに合致しているし、「そうして次の土曜か日曜には坂井へ行って、一つ屏風を見て来たら可いだろうと云う様な事を(御米と)話し合った。」(9ノ3回末尾)と「次の日曜になると、宗助は・・・」(9ノ4回冒頭)という記述の、「(坂井を訪問する)次の日曜」が、A案では僅か中1日であるのに対し、B案では中3日と充分な間隔であることも、強味であると言えば言われよう。ただし「次の日曜」の一句にそこまでの責任を求めるのは、行き過ぎかも知れない。そして漱石は寒がりで、例年11月の終わりにはストーブだの炬燵だのの出番にはなる。この案では到来物の唐饅頭を1日早く食えることが最大の利点か。小六でなくても、7日前の饅頭より6日前の饅頭の方がいいに決まっている。

 それはともかく、これらのカレンダーで分かるように、小六が引っ越して来たあと、坂井が訪れて2時間滞在したり、(たった2日間といえど)小六が宗助たちと夕食を共にしなかった(と思わざるを得ない)ことの方が理解しにくい。宗助が度忘れしていたと書かれる以上、それはそう判断するしかないのであるが、これは前項で述べたように、

・小六の同居を察知して、坂井が様子を見に来た。
・宗助はとりあえず小六を(坂井の眼に触れないよう)隠した。

 と見れば、小六の不自然な行動は説明が付く。
 引越から障子張替までの小六の「失踪」は、坂井の手文庫事件と何か関係があるのではないか。パラレルな別の次元(異世界)では、また別の行動が用意されていたのではないか。
 こんな突飛な想像をしてしまうのも、そうでもしないと小六が同居した直後に坂井が暮れ方にやって来て、用もないのに2時間も長居したときに宗助も御米も(漱石も)、小六の在不在をまったく気にするそぶりを見せないことの、説明が付かないからである。漱石は小六の尻が落ち着かないことを繰り返し述べるが、そのことと宗助たちの無関心は、話が別であろう。

 いずれにせよ、第5章(宗助の虫歯)、第6章(抱一の屏風)、第7章(手文庫事件)、第8章(障子貼替)、第9章(坂井の来訪)、第10章(小六の報告)がすべて第11章(御米の病気)に向かって突き進み、また収斂して、短いエピローグのような第12章末尾の「それから約三十分程したら御米の眼がひとりでに覚めた」というオチで、『門』の前篇は閉じられるのである。