明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 27

113.『門』一日一回(5)――『門』目次第10章~第12章(ドラフト版)

 

第10章 小六の話
明治42年12月上旬~中旬
(宗助・御米・小六)
1回 小六から聞く安之助の事業の話~鰹舟からエレクトロニクス印刷術へ
2回 小六の飲酒疑惑~御米の不安は小六の態度~小六の不安は宗助の態度
3回 安之助の結婚延期~小六の学資の出来ない訳

1回
 漱石の筆が小六に降りてくるにしたがって、宗助の影は限りなく薄っぺらになる。宗助は出掛けているわけではないが、存在感がまるで無い。出掛けていた方がまだましなくらいである。

2回
 小六は宗助の家に引き取られてからも腰が落ち着かない。養家と実家を出たり入ったりした漱石そのままである。小六を漱石の立場から見ると、宗助は(ろくでもない)三兄であり御米はその妻登世である。そして小六にとって養家とは佐伯のことであるから、その子息安之助は、『道草』の言う御縫さんであろう。漱石は御縫さんのような人物は、(『坊っちゃん』のマドンナのように)性格が垣間見られるような逸話や属性を描かない。安之助の人となりが何も語られなかったわけである。

3回
「そうして御米が絣の羽織を受取って、袖口の綻(ほころび)を繕っている間、小六は何もせずにそこへ坐って、御米の手先を見詰めていた」
 本考察の冒頭で名文として掲げた「羽織が帯で高くなったあたりを眺めていた」を彷彿させる、これまた名文である。若き日の漱石は家で(例えば登世の)そのような被服なり仕草なりをじっと見ていたのだろう。
 そして唐突に出現した安之助の結婚延期。安之助(御縫さん)の結婚は皆が祝福するものでなかった。それに関連して小六の学資打切り話の理由が判明する。裕福な家から嫁を貰う。佐伯の叔母にとって小六(健三・金之助)は、余計者以外の何者でもなかったのである。

第11章 御米の病気
明治42年12月21日(火)または22日(水)
(宗助・御米・小六・清・往診の医者)
1回 宗助の不安の源は御米の体調不良
2回 御米の発熱~小六はまた飯時を外して帰って来ないようだ
3回 御米の惑乱~御米の肩を押える宗助~帰宅した小六の驚き
4回 夜間の急診~ひと段落

1回
 この回は少し回想風の記述が先行して、カレンダーは1ヶ月近く遡る。御米の体調について、小六の引越の前から語り始めて、それどころか広島・福岡時代までさかのぼる。それは後段で御米の悲しい過去の伏線にもなる。

2回
 御米は風邪をこじらせたようだ。遠因は小六の同居にともなうストレスであろう。宗助は先ず驚く。しかし驚きに続く感情は湧いて来ない。官吏の増俸問題の方が気にかかる。

3回
 宗助は御米の肩を強く圧す。あるいは揉む。宗助による唯一の介抱である。それは御米のためというよりは自分の気持ちを落ち着かせるためであるようだ。漱石がヒステリーになった鏡子に対して行なった施術もおそらくこの通りであったろう。
 いつも通り晩く帰宅した小六が、座敷にいる宗助に激しく呼び止められたときに、茶の間にいたことは、改めて指摘しておきたい。小六は玄関から廊下を通って、一旦茶の間に入らないと六畳へは行けないことを、再度指摘しておきたい。

4回
 病気の御米は宗助に対して微笑みを浮かべることを忘れない。それは御米の習慣であり、宗助に対する気遣いであった。『明暗』で津田と再会した清子もまた、(現存の)小説の最後で津田に微笑する。津田がその微笑の意味を説明しようとするところで、漱石の小説が終了したのであるが、津田はおそらくそれが清子の癖であり「親切」であることに思い至ったに違いない。余談であるが。

第12章 御米の覚醒
明治42年12月22日(水)または23日(木)
(宗助・御米・小六・清・往診の医者)
1回 宗助始めての早退~眠りの森の御米
2回 少し薬が利き過ぎましたね~用さえなければ起こす必要もない

1回
 御米は昨夜からずっと寝ている。心配症の宗助は御米がこのまま一生起きないかも知れないと思ったに違いない。それはやはり病床の鏡子に対して、漱石が実際に経験したことであろう。もちろんモデルが鏡子でなく、若き日の金之助が看病した2人の兄である可能性もある。
 自分の体験をそのまま書く。それがリアリティを生む。では誰でも自らの体験を書く者はリアリティの勲章を獲得するか。漱石は細部はともかく、自分の体験したことを、自分の主観に忠実に、そのまま書いた。体験を書いたのではなく、主観を書いたとも言える。主観を書いてリアリティを獲得する。体験が貴重なのではなく主観が貴重なのである。だから真似出来ない。

2回
 宗助はもちろん御米の身体を一番心配している。宗助の不安は自分たち夫婦の外側へ向けられる。この場合は小六と医者である。自分たち夫婦がみずから招いた災難であるとは決して考えない。しかし何事か行動に出ようとすることもない。動けばその分エネルギーを消費するし、何よりその行動については自分の責任になってしまう。宗助は考えるだけで結局何もしない。
 いずれにせよ御米の眼がひとりでに醒めて、『門』の前半はめでたく終了する。御米は夜中の0時から晩飯時の18時まで、18時間眠ったことになる。