明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 4

90.『門』の間取り図(承前)~『明暗』に向かって(第13項つづき)


漱石「最後の挨拶」番外篇》

(前項よりつづき)

13.『門』の間取り図(承前)

 物語が進行して(といってもまだ何も事は起こらないが)、小六が同居する話が持ち上がる。ここで家の間取りがさらに(追加で)語られる。

 夫婦の坐っている茶の間の次が台所で、台所の右に下女部屋、左に六畳が一間ある。下女を入れて三人の小人数だから、此六畳には余り必要を感じない御米は、東向の窓側に何時も自分の鏡台を置いた。宗助も朝起きて顔を洗って、飯を済ますと、此所へ来て着物を脱ぎ更えた
「夫よりか、あの六畳を空けて、あすこへ来ちゃ不可なくって」と御米が云い出した。(4ノ14回)

 小六は兎も角も都合次第下宿を引き払って兄の家へ移る事に相談が調った。御米は六畳に置き付けた桑の鏡台を眺めて、一寸残り惜しい顔をしたが、
「斯うなると少し遣場に困るのね」と訴える様に宗助に告げた。実際此所を取り上げられては、御米の御化粧をする場所が無くなって仕舞うのである。(6ノ1回冒頭)

(同じ六畳間で)御米は・・・すぐ西側に付いている一間の戸棚を明けた。下には古い創だらけの箪笥があって、上には支那鞄と柳行季が二つ三つ載っていた。(6ノ1回)

「貴方々々」と宗助の枕元へ来て曲みながら呼んだ。その時夫はもう鼾をかいていなかった。けれども、元の通り深い眠から来る呼吸を続けていた。御米は又立ち上って、洋燈を手にした儘、間の襖を開けて茶の間へ出た。暗い部屋が茫漠手元の灯に照らされた時、御米は鈍く光る箪笥の環を認めた。(7ノ2回)

 宗助は玄関から下駄を提げて来て、すぐ庭へ下りた。縁の先へ便所が折れ曲って突き出しているので、いとど狭い崖下が、裏へ抜ける半間程の所は猶更狭苦しくなっていた。・・・
 其所を通り抜けると、真直に台所迄細い路が付いている。元は枯枝の交った杉垣があって、隣の庭の仕切りになっていたが、此間家主が手を入れた時、穴だらけの杉葉を奇麗に取り払って、今では節の多い板塀が片側を勝手口迄塞いで仕舞った。(7ノ4回冒頭)

 茶の間の次が台所、台所の右が・・・という書き方は、主人公夫婦がそのとき(小六の話をしているとき)茶の間に坐っているので、当然茶の間の夫婦(おそらく台所の方に向いて――座敷を背にして坐っている宗助)から見て右、左という意味である。実に漱石らしい書き方である。漱石は俯瞰しているのではなく、現実に茶の間の宗助の座布団の上にいて、その下女部屋なり六畳の方向をじっと見ているとしか思えないが、これらの記述を前の「地図」に附け足すと、

茶の間の左(西)が台所
台所の上(北)に下女部屋(狭い)が付属しており
それから右(東)へ向かって、勝手口とたぶん廊下なり板の間が座敷の右上(東北)の角に突き出した便所へ続いている
台所の下(南)が六畳。六畳間は西側が押入、東に窓が開いており窓から茶の間の縁側と玄関が見える

 ここへ小六が来るというのである。御米の体調は悪くなるが、泥棒事件をきっかけとして物語はやっと小説らしくなる。泥棒が入ったとき夫婦は座敷に寝ていた。思うにこの座敷が床も附いてこの家では一番よい部屋なのであろう。六畳は雨漏りがしたとも書かれている。

 これで『門』における間取り図は概ね完成である。泥棒事件のあと、屏風事件、佐伯の息子の結婚話も出て、物語前半は御米の病気のエピソードで締めくくられる。

 小六は六畳から出て来て、一寸襖を開けて、御米の姿を覗き込んだが、御米が半ば床の間の方を向いて、眼を塞いでいたので、寝付いたとでも思ったものか、一言の口も利かずに、又そっと襖を閉めた。そうして、たった一人大きな食卓を専領して、始めからさらさらと茶漬を掻き込む音をさせた。(11ノ2回)

 宅の門口迄来ると、家の中はひっそりして、誰もいない様であった。格子を開けて、靴を脱いで、玄関に上がっても、出て来るものはなかった。宗助は何時もの様に縁側から茶の間へ行かずに、すぐ取付の襖を開けて、御米の寝ている座敷へ這入った。(12ノ1回)

 小六は六畳から(台所を通って)茶の間に出て来て、茶の間から襖を開けて座敷に寝ている御米を(下肢の方向から御米の顔を)見たのである。漱石の筆は小六と行動を共にしているから、今現在は茶の間に立っているので「茶の間」という言葉を使うと文がくどくなる。そのためそれに続く茶漬けを掻き込むという文章で茶の間のイメージを補ったのである。
 そして宗助は役所から帰ると、以前は奥の六畳で、今は座敷で着替えをするはずであるが、いずれにしてもまず御米のいる茶の間へ直行する習慣であろう。それが御米が臥せっているので玄関からすぐ座敷へ飛び込んだと書かれる。

 建築家志望の時期もあったというのが信じられないくらい漱石の小説の中での空間認識は大雑把であるが、ここでは珍しく破綻を見せない。そして物語は夫婦の過去から安井の影に怯える宗助の鎌倉行きを経て、漱石の作品では唯一の「めでたい」エンディングを迎える。

 翌日の晩宗助はわが膳の上に頭つきの魚の、尾を皿の外に躍らす態を眺めた。小豆の色に染まった飯の香を嗅いだ。御米はわざわざ清を遣って、坂井の家に引き移った小六を招いた。
 小六は、
「やあ御馳走だなあ」と云って勝手から入って来た。(23ノ1回)

 小六は近道だから勝手口に回ったのではない。昔は玄関から出入り出来る者は(客人を除いては)一家の主と跡取りの長男だけに限られた家も多かったと聞く。菊井町の夏目家ではそんなこだわりはなかったようであるが、坂井へ書生に出た小六が、(16ノ3回でほのめかされたように)坂井によって多少なりとも躾けられたことが、垣間見える書き方がなされている。(現実にも漱石は鏡子の弟を引取って、言葉遣いから教育し直そうと試みたことがある。してみると坂井という作中人物は、まんざら宗助たちと赤の他人というわけでもない。)
 『門』は小六へのご馳走に始まりご馳走に終わる小説であるが、最後に小六が「勝手口」から入ってくるという描写によって、(小六だけでなく)この家の間取り図も大団円を迎えた。それはまた宗助と御米の愛の巣が、束の間かも知れないが成就したということであろう。こんなめでたい話が(漱石の小説の中で)ほかにあるだろうか。

(13.『門』の間取り図 畢)