明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 23

86.『明暗』に向かって 結婚話を断ってもいけない

 

漱石「最後の挨拶」番外篇]

(前項よりつづく)

11.結婚話を断ってもいけない

 

 『行人』の二郎は三沢に呼び出され、歌舞伎座ならぬ雅楽所で三沢の許嫁の親友という女を紹介される。二郎はその女に少なからず興味を抱くが、自分から話を進めようとはしない。いっそひと思いに女の方から惚れ込んでくれたならなどと思ったり、確かに相変わらず煮え切らない。(『行人/塵労』19~23回)。

 しかしこのくだりは、単に優柔不断というより、何か漱石の禁忌に触れているような感じすら受ける。

 

 『猫』で越智東風が金田富子嬢に新体詩を捧げたり、生徒が付け文をしたりしているが、そこでは漱石は明らかにふざけている。

 三四郎は美禰子に「あなたに会いに行ったんです」(『三四郎』10ノ8回)と精一杯の告白をしているが、肝心の美禰子に伝わっていないのでは仕方がない。

 『心』は、プロポーズがあるではないかと言われそうである。確かにそう見えなくもない。だがKは先生に自分の悩みを打ち明けただけであるし、先生の求婚はといえばお嬢さんには直接向けられない。そもそも先生は果たしてこのお嬢さんのどこを気に入っているのか読者には分からないまま、まるで見合い結婚のように、母親がお嬢さんに代わって「承諾」する。この結婚によって二人の自殺者を出しているというのに。そして『心』の先生は、その前に叔父の勧める従妹との結婚をはっきり断っている。漱石の作品で見合い話を断ったのは代助だけであり、結婚話を断ったのは先生だけである。『心』の先生は叔父に財産を騙し取られ(それでも一生働かなくてもいいくらいの財産は残っていたのだから贅沢なものであるが)、せっかくお嬢さんと結婚したものの結局は中途で挫折してしまう。

 代助と三千代も、『門』が書かれなければ二人とも(あるいは三千代だけでも)死んでしまったと思う読者の方が多いだろう。(『門』と関係なく、二人の命は繋げないだろうとする読み方も出来るように『それから』は書かれている。)

 

 津田には藤井の家の娘(従妹)との結婚話は表立っては出なかったようである。従妹を貰わなかったのはただ津田が知らん顔をしていただけと書かれているので、津田は「断った」わけではないが、考えようによっては藤井の叔母たちにとっては似たようなものだったのかも知れない。藤井の叔母も叔父も津田とお延の結婚には同情が薄い。でもまあそれだけのことであろう。津田がそのために代助や『心』の先生のような目に遭うとは考えにくい。『猫』の寒月は金田富子との話を断って田舎の女と結婚したようにも取れるが、実際は博士論文が書けなかったのだから、寒月は金田家側から拒絶されたことになる。しかし寒月については、そのことについて金田家に報告に行ったと嘘を吐いているという不思議な記述もあり(『猫』六篇)、別途稿を改める必要がありそうである。『行人』の三沢と遠縁の出戻った娘さんの話も、三沢がその娘さん(というのはおかしいが漱石が娘さん・お嬢さんと書いている)に恋慕されているとすれば、三沢にも責任があるのかも知れないが、如何せん娘さんは亡くなってしまった。しかしこの話も寒月同様改めて論じたい。

 

 全般的に漱石の小説では主人公(男)がなかなか結婚を申し込まないだけでなく、『虞美人草』のように、たまに自分の意思で結婚相手を決めると、それだけで大変な破局がやって来る。(小野さんは自分の意思というよりは、浅井の報告を受けた宗近君がなぜか急に小野を説得し、それで小野が翻意した結果藤尾は死んでしまう。浅井は宗近とほとんど顔見知り程度の間柄でしかないから、なぜ小野の私的な話を暴露しに行ったのかその理由はわかりにくい。浅井がしゃべらなければ『虞美人草』の結末は無かったのであるが、そもそも小野が藤尾でなく小夜子と結婚すべきであると宗近一が確信していたとは、読者はそれまで知らされていなかったのである。)

 『行人』の女景清のエピソードはその(男が決断すると碌なことにならないという)バリエーションのひとつである。主人公(長野一郎・二郎)の父の知人の昔話という体裁を取っているが、漱石にとって妙に身につまされるような挿話になっており、そこでは若い男がついものの弾みで同い年の召使いと結婚の約束をしたあと、若すぎるという周囲の忠告をあっさり容れて結婚話を解消する。そして二十何年か後に演芸場で偶然再会して、よせばいいのに男はあれこれ気を廻して大恥をかくというような話である。(『行人/帰ってから』13~19回)

 この場合は女の方が積極的であったということで、悲劇というよりは喜劇に近い落ちになっている。(真の悲劇はこの挿話を悲劇としか受け取れなかった一郎の性格の方であろう。しかしこのエピソードについても後述したい。)

 その意味で『明暗』の津田とお延は、津田がお延にプロポーズをしたのでない以上(つまり津田がお延に一目惚れしたのでない以上)、そしてお延の方が積極的であったとされる以上、この二人には悲劇は訪れないと言えるだろう。あえて言えば喜劇のような悲劇で終わるかも知れないが、『それから』や、とくに『心』のようなカタストロフィにはなりようがないと推測できる。

 

 なぜこんなことが言い切れるかというと、それは漱石という人が自分の倫理観・正義感の通りに小説を書いているからである。繰り返しになるが、漱石が見合いをする以上は自分からは断らないというのは、相手の女に気の毒というのも勿論無くはないが、一番の理由は自分のせいにされたくないということであろう。自分の主張を通して断った場合、その決断が正しいかどうかはまったく誰からもどこからも担保されない。自分が正しいか(間違っていないか)が最大唯一の関心事である漱石のようなタイプの人にとって、それは絶対に避けねばならぬことである。断るなら見合いをしないことだ。見合いをしないこと自体は間違いではない。見合いをした以上は、もし断って相手に嫌な思いをさせると、自分が間違っていたのではないかという疑念が払拭できないので、断れない。あくまで自分の精神状態の安定を第一義にした考え方である。これを人は誠実といい、また自分のことしか考えないともいう。見合いという男女双方の立場が明確な場合においてさえこうなのであるから、世間一般の普通のプロポーズを(そういうものがあるかどうかは別としても)漱石が出来ないのは仕方ない。そうして自分がしなかったことは書かないのが漱石の流儀である。

 自分が正しいかどうかが一番大切であってそれ以外はすべて二の次という考え方は、漱石の性格の最も特徴的なものであるから、今後とも考究を進めるに従って少しずつ明らかになると思う。

 

 『それから』における佐川の娘との見合い話には色々と不思議なことも多いが、それはまた別な機会に述べることもあるだろう。ただその論考とは別に、『それから』に描かれているような先代からの因縁が真実あったとすれば、佐川の娘との縁談はもっと早くから長井の家に持ちかけられたはずであり、代助が三十にもなってぶらぶらしているからといって取って附けたように湧いて出る話でもなかろうという気がする。これは『明暗』の津田とお延のなれそめにも言える話であり、京都で父親同士が唐本の貸し借りをしたりする親しい間柄で、互いに子息子女を東京の係累に預けているといった環境からしても、津田とお延が単にその名を見知っているという程度にとどまっていたのは不自然である。津田30歳お延23歳であれば、実家の玄関での邂逅を待たずに縁談が起こって不思議でない。『虞美人草』を何度も引き合いに出すのは気がひけるが、「美しき女の二十を越えて夫なく、空しく一二三を数えて、二十四の今日まで嫁がぬは不思議である。・・・」と書いたのは他ならぬ漱石である。お延は幸いにも嫁いだがそれまでに結婚話はなかったのだろうか。もちろんこれは余計なお世話であり小説の結構の話であるから、傍からとやかく言う筋合いのものではないのだが、事が見合いや結婚であるからには、そこには漱石の深い井戸が掘ってあって、いくら汲んでも汲み尽くせないのである。(つまりいくら考えても分からないのである。)

(この項終わり)