明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 1

87.『門』平和な小説(1)――不滅の名文


 大西美智子の『巨人と六十五年』(2017年光文社刊)に、漱石の作品で(今現在では)何が好きですかと、著者が高齢の夫に聞く箇所がある。『それから』ですか『門』ですかと聞く妻に対して、やまいの床に臥す大西巨人は、今はまあそこらへんにしておこうか、とようやく応える。
 誇りある職業作家としては『猫』と(正直に)答えるわけにはいかない。漱石は(驚くべきことに)小説を書くつもりでなく『猫』を書いた。『明暗』も未完成であるからには、『神聖喜劇』を完結させた作家としては、挙げづらい。『坊っちゃん』も不朽の名作ではあるが、(『たけくらべ』同様)タブローというにはスケッチの方に近い。既にいくつかの価値あるタブローを書いている大西巨人としては、第一位に挙げるわけにもいくまい。『草枕』も同様である。だいいち漱石自身が晩年には『草枕』を否定している。『心』を挙げるのは高校生みたいだし、『三四郎』はもしかするともっと若いかも知れない。『道草』を信奉するのは自然主義作家だろう。といって『彼岸過迄』や『行人』ではマニアックに過ぎよう。そもそもこの二作は最優秀作ではない。
 ということで大西夫妻の(長く変わらぬ)会話になったのであろうが、小論も(偉大な大西巨人と競うつもりはないが)『それから』に続いて『門』を考察すれば、とりあえずは所期の目的は達成したとみてよいであろうか。

 論者は前著において(前著はあくまで『明暗』を論じたものではあるが)、

・『三四郎』 漱石が始めて自分の作品にサインした記念碑的作品。
・『それから』 漱石が真の職業作家になった記念碑的作品。
・『門』 漱石作品唯一のハッピーエンドたる記念碑的作品。

 と評してみた。まあどのように言おうが作品自体には関係ないのであるが、『門』のファンのためにも、(『三四郎』『それから』に比べて地味と思われている)『門』について真摯な考察を試みたい。

『門』の特徴としては一読次の3点が挙げられよう。

① 叙述が宗助を離れることがある。
② 独身女性が登場しない。
③ 物語の始めと終わりで主人公の境遇が変わらない。

 ①については、『虞美人草』は別として、漱石の3人称小説としては珍しく叙述が主人公野中宗助を離れることが時々ある。移る主体はおもに弟の小六と妻の御米である。宗助が外出して席を外しているシーンさえ描かれる。これは『三四郎』『それから』ではありえなかったことである。(『虞美人草』は通俗小説みたいに描写の主体はまちまち、『明暗』は津田とお延の交互主役である。)
 このため宗助の漱石的主張がかなり薄まって、もともと宗助は様々な事情から、性格が落ち着いて(爺むさくなって)しまっているのであるが、それがある種の平和な感じを与える。漱石丸出しのキャラクタを好む読者には物足りないかも知れないが、一定の鬱陶しさを感じる読者にとっては、好感の持てる作品ということになる。
 宗助の漱石臭の足りない部分は小六が引き受けている。つまり漱石が宗助と小六に分裂しているがゆえに、作品が平和なのであろう。

 ②は、若い女が妻の御米しか登場しないこともあって、漱石作品特有の男と女のせめぎ合いが、無いわけではないが、ずいぶん穏やかに書かれている。漱石としては前2作でそれはもう書いてしまったということだろうか。これについても①同様、物足りない読者もいれば安心する読者もいるであろう。回想シーンの実相は漱石作品で一二を争う過激さではあるが。

 ③は、『門』の最も特徴的な点かも知れない。小説(『門』)の結びの一行の次に、同じ小説の冒頭の一行が、何の違和感もなく繋がる。こんな作品は漱石の他の作品には見られない。(「世の中に片付くものなどない」と言って結ばれた『道草』でさえ、養父との絶縁という大きな成果があった。)
 この何事も起こらないという感じが、やはり平和な印象を与えるのであろう。昔起こってしまったにせよ、小説の今現在では何も起こらない。と思わせて、しかし事件はちゃんと起きている。起きているぞと書かれないから起きていないように感じるが、その実ちゃんと日々起きていて、それなりに面白いのである。

 まあこんなことばかり書いていても始まらないから、ハイライトシーンを一ヶ所抜いてみよう。それはなぜか宗助が散歩に出て留守のときにやって来た小六と、嫂御米のシーンである。お茶を入れようとする御米に、小六は若い高等学校生徒らしく、要らないと答える。

「御茶なら沢山です」と小六が云った。
「厭?」と女学生流に念を押した御米は、
「じゃ御菓子は」と云って笑いかけた。
「有るんですか」と小六が聞いた。
「いいえ、無いの」と正直に答えたが、思い出した様に、「待って頂戴、有るかも知れないわ」と云いながら④立ち上がる拍子に、横にあった炭取を取り退(の)けて、袋戸棚を開けた。⑤小六は御米の後姿の、羽織が帯で高くなった辺(あたり)を眺めていた。何を探すのだか中々手間が取れそうなので、
「じゃ御菓子も廃しにしましょう。それよりか、今日は兄さんは何うしました」と聞いた。(『門』1ノ3回)

 これがハイライトかと言う勿れ。この何でもない日常を、このように描いた小説家がかつて日本にいただろうか。漱石は何を見て④と⑤を書いたのだろう。漱石より前にこのように書いた者はいないと断言できる。そして漱石より後にこのように書いた者がいたとすれば、それは漱石から学んだのである。
 ④については(⑤も含めて)何度読み返しても舌を巻かざるを得ない。⑤については特に、先に名前を挙げた大西巨人も、漱石の叙述そのものの巧みさに感じ入っている。
 小説の始めにこういう文章を見せつけられては、何人も『門』の一字一句まで信奉せざるを得ないではないか。