明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 22

85.『それから』見合いを断ってはいけない ~『明暗』に向かって(第10項)


漱石「最後の挨拶」番外篇》

『それから』篇の終わりにあたって、内容は一部重複するが、再び前著(『明暗』に向かって)からの引用を以って補足としたい。引用文冒頭のお見合いというのは、『明暗』の(継子と三好の)話である。

Ⅰ 四つの改訂
10.見合いを断ってはいけない

 岡本の子息の一(はじめ)漱石の子供をモデルにしているから、その姉たる継子もまた、漱石の(沢山いる)子女の一人たる資格を有している。いずれは彼女たちも結婚していかねばならない。漱石は将来の不安感と、(鏡子夫人以外の)自分の経験した過去の見合いらしきものに対する罪悪感・嫌悪感から、この見合いのシーンを迷亭のように茶化して台無しにしてしまうような振舞いに出たのであろうか。
 それとも漱石はお見合いを厭う何か特別の理由があったのだろうか。元来漱石のようなタイプの人は見合いをした以上は自分からは断らない。よく知られる鏡子夫人との見合いで「歯並びが悪いのに強いてそれを隠そうとしない」云々の話は、後から取って附けた話である。「始めから断るつもりは無かった」と言えば鏡子が慢心するので、話を拵えたのであろう。歯並びの良くないのは事実としても。

 前項(前掲書第9項/歌舞伎座お見合い席順の謎のこと)でも少し触れたが、『それから』の代助は、三千代の存在が日増しに大きくなっているにもかかわらず、佐川の娘と見合いをしている。三千代が(何年ぶりかに銀杏返しに結って)白い百合の花をたずさえて代助の家を訪れ、鈴蘭の鉢の水を飲んでしまうという「事件」(これは三千代が代助の家の人間になってもいいという意思表示であろう)があってなお、物語の始めから提出されていた佐川の縁談は、バックグラウンドで静かに進行している。そのあと歌舞伎座で変則的ではあるが顔合せも済ませ、その上での自宅(実家)における正式に近い見合いである。この時代でなくても常識的にはもう(結婚を)あえて断る理由はない。父親は代助が自分のことしか考えないと激怒した。ふつうなら兄も嫂も一緒になって怒るところである。(父親というものに同情がない漱石はとりあえず父親だけを怒らせている。それより佐川サイドから苦情は来なかったのだろうか。佐川の両親が同席していたらこんなことでは済まされまい。)
 なぜ代助はこの見合い話をすぐに断らなかったのだろうか。佐川の娘が(漱石はそうでもないかも知れないが)代助の好みでないことははっきりしている。代助が三千代に傾斜していく過程に平岡(の顛落)だけでなくこの(面白くもない)結婚話が使われるのは、小説としては(そのように書かれているので)そう理解するしかないが、やはり少し変である。
 さらに不思議なのは、代助がこの縁談を断る前に三千代に求婚しなければならないと思い込んでいたことである。「姉さん、私は好いた女があるんです」(『それから』14ノ4回末尾)と嫂についに打ち明けた代助は、父には自分から正式に断りを言うつもりであったが、嫂にそれを強く念押しせず、反対に嫂から父に言いつけられてしまう可能性を残したまま、長井家を後にする。代助はこの縁談が消滅する前に、何とか三千代に求婚してしまわなければいけないと焦りまくる。そして強引にも、門野に三千代を連れて来させるという甚だエレガントでないやり方で、しかし昔話をして立て直して、ついには「僕の存在には貴方が必要だ」(同14ノ10回)と変に客観的な言い回しで告白する。
 ちなみに決して女性に無関心でない漱石が、自己の小説の中で男が相手に直接自分の好意を打ち明けるというシーンは、この一箇所だけであるが、この場合相手は人妻で、それは突き進めば姦通という犯罪にもつながる求愛であった。つまり普通の意味のプロポーズではまったくない。つまりプロポーズをしたことのない漱石が、『明暗』で清子がなぜ去ったか津田に悩ませていることになる。漱石が書きたかったのはその理由ではなく、津田の悩みそのものの在り方であろう。その津田の悩みは真っ当なものであるか、邪なものでない真面目なものであるか、漱石はそれを読者に示そうとしていた。(清子が去った理由は書くまでもない、津田がまったく求婚しなかったからである。)

 この代助の、父に正式に佐川の娘を断る前に、三千代に告白しなければならない、という強迫観念は、なかなか理解されにくいだろう。ゲスな考えでは、もし三千代に断られたら佐川の娘に行くのか、となってしまう。(ふつうはどんな場合でも断る方が先であろう。話が漏れたら先方に失礼だし、何より二股かけていたのかと思われたらアウトである。)もちろんそんなことは夢にも思わない漱石としては、父親に縁談を断る理由として、「何々という女と結婚することになったので佐川の娘は貰われない」という、誰からも(論理の上では)反対されない態勢を取っておく必要があると信じていたのであろう。言い方を変えれば、こんなあからさまな、理由にもならない理由を挙げないと、漱石という人は縁談を断れないのである。本来こんな理由はない。この場合の「縁談」を「見合い~結婚」と言い換えてみると分かる。「見合い~結婚」を断るのに「他との結婚」を挙げるのは乱暴な話である。それなら見合い写真を受け取る前に断らなければならない。
 なぜ漱石はそんな追い詰められたようなものの考え方をするのか。一般的には見合いをして相手(の容姿)が今ひとつ気に入らないとか何とかで断ると、それは(断るという行為そのものは)見合いした本人の責任になる。自分の好悪で、余人でない自分の判断でノーと言うわけである。しかし他に結婚相手が決まっているというような理由で断ると、それは誰のせいでもない、如何ともしがたい、本人の責任ではないということになる。少なくとも漱石の頭の中の理屈ではそうなる。(ではなぜ見合いをしたかということが問題になろうが、それは本人のせいというよりは父兄の方により責任がかかる、と漱石の中ではそういう理屈になるのだろう。)

 逆ではないか、とつい漱石に言いたくなる。梅子の立場に立ってみると、驚いた梅子はどうするか。梅子は佐川の推進者である。まず代助の(三千代に対する)首尾を見届けるであろう。決して父にしゃべったりしない。三千代が応じたという返答を得ても、尚多くの障碍が控えているのだから、代助の計画がいつ頓挫してもおかしくない。佐川の娘の可能性が完全に消滅するまでは、必ずや代助の行動を見守るだろう。事実小説は表面的にはこのように進行している。漱石は梅子(長井家)の立場に立っていたのであろうか。そうでないことは、代助が梅子に先に喋られては大変だと心配していることからも明白である。では梅子以外に代助に同情する者、例えば代助の親友が別にいたと仮定して、代助から同様の告白を受けたとしよう。三千代の気持ちも便宜上判っていると仮定して、この親友が見合いの断りの前に一刻も早く三千代にプロポーズせよと言うであろうか。(勿論どちらも急ぐべきではあるが。)
 漱石は代助に全面的に同情しているわけではないが、まあ代助の友であろう。その立場で見ても代助の思考は理解しにくい。嫂に先に喋ってしまって、嫂の口から父に知られては面目丸潰れになるのだから、それを回避するには「一刻も早く」自分で父に釈明することであろう。すると父がそんな女はやめてしまえというのは火を見るより明らかであるから、代助はまず父と喧嘩別れした後に(父にもうお前の世話はせんと言われてから)その亢奮を以って三千代に告白する。三千代が承諾すれば小説は終わってしまう。代助はすぐに「赤い電車」に乗らなければならない。漱石はそんな(三文小説的な)展開を嫌って、より物語にふくらみを持たせるだけのために、代助を急がせたのであろうか。漱石は一応このときの代助の心情を説明しているが、その説明に納得する読者は一人もいまい。
 告白の順序が違う、というのは『心』の(先生とKの)問題にも通ずることであるから、また触れることもあるかも知れない。

 ついでながら、『それから』の佐川の娘は、一見どうでもいいような女性として描かれていると思われがちだが、作品の中では代助と三千代の(三年ぶりの)再会の前に結婚話が持ち上がっており、以下物語のほとんど終盤までその状態は維持されている。物語全体を覆っているという意味では『猫』の真のヒロイン金田富子嬢や『明暗』の清子と同格であるし、人物も少なくとも『心』のお嬢さん程度には造型されている。
 漱石は面長の女性が好みだったが実際には丸顔の鏡子と結婚した。佐川の娘も丸顔と書かれており、小説本など読まないところも代助や読者にとっては物足りないだろうが、漱石はむしろそれを歓迎する。またアメリカ人のミスの教育を受けて清教徒のようでもあると書かれていて、これも『猫』の細君の「そんなに英語が御好きなら、何故耶蘇学校の卒業生かなんかをお貰いなさらなかったんです。あなた位冷酷な人はありはしない」(『猫』二篇)と併せて見ると、漱石にとってこのお見合いが決して代助と三千代の物語の添え物でなかった、あるいは代助が煮え切らないことだけを描こうとしたのではなかったことが分かる。