明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 2

65.『それから』内容見本(1)――2ノ1回全文引用


 いきなり大きく構えてしまったので、次は反対に本文に即して細かい観察を試みることにする。見本として、2ノ1回を採り上げる。
 青色で示した引用本文は、「三四郎篇」同様岩波書店版の漱石全集(初版1994年5月)・定本漱石全集(初版2017年5月)に拠る(ただし現代仮名遣いに直した)。

 着物でも着換えて、此方から平岡の宿を訪ね様かと思っている所へ、折よく先方から遣って来た。①車をがらがらと門前迄乗り付けて、此所だ此所だと梶棒を下さした声は慥かに三年前分れた時そっくりである。玄関で、取次の婆さんを捕まえて、②宿へ蟇口を忘れて来たから、一寸二十銭借してくれと云った所などは、どうしても③学校時代の平岡を思い出さずにはいられない。代助は玄関まで馳け出して行って、手を執らぬばかりに旧友を座敷へ上げた。
「どうした。まあ緩くりするが好い」
「④おや、椅子だね」と云いながら平岡は安楽椅子へ、どさりと身体を投げ掛けた。⑤十五貫目以上もあろうと云うわが肉に、三文の価値を置いていない様な扱かい方に見えた。それから椅子の脊に坊主頭を靠たして、一寸部屋の中を見廻しながら、
「⑥中々、好い家だね。思ったより好い」と賞めた。代助は黙って巻莨入の蓋を開けた。
「⑦それから、以後どうだい」
「どうの、こうのって、――まあ色々話すがね」
「もとは、よく手紙が来たから、様子が分ったが、近頃じゃ些とも寄さないもんだから」
「いや何所も彼所も御無沙汰で」と平岡は突然眼鏡を外して、脊広の胸から皺だらけの手帛を出して、⑧眼をぱちぱちさせながら拭き始めた。学校時代からの近眼である。代助は凝とその様子を眺めていた。
「僕より君はどうだい」と云いながら、細い蔓を耳の後へ絡みつけに、両手で持って行った。
「僕は相変らずだよ」
「相変らずが一番好いな。あんまり相変るものだから」
 そこで平岡は八の字を寄せて、庭の模様を眺め出したが、不意に語調を更えて、
「⑨やあ、桜がある。今漸やく咲き掛けた所だね。余程気候が違う」と云った。話の具合が何だか故の様にしんみりしない。代助も少し気の抜けた風に、
「⑩向こうは大分暖かいだろう」と序同然の挨拶をした。すると、今度は寧ろ法外に熱した具合で、
「うん、大分暖かい」と⑪力の這入った返事があった。あたかも自己の存在を急に意識して、はっと思った調子である。代助は又平岡の顔を眺めた。平岡は巻莨に火を点けた。その時婆さんが漸く急須に茶を淹れて持って出た。今しがた鉄瓶に水を注してしまったので、煮立るのに暇が入って、つい遅くなって済みませんと言訳をしながら、洋卓の上へ盆を載せた。⑫二人は婆さんの喋舌てる間、紫檀の盆を見て黙っていた。婆さんは相手にされないので、独りで愛想笑いをして座敷を出た。
「⑬ありゃ何だい
「婆さんさ。雇ったんだ。飯を食わなくっちゃならないから」
「御世辞が好いね」
 代助は赤い唇の両端を、少し弓なりに下の方へ彎げて蔑む様に笑った。
「今までこんな所へ奉公した事がないんだから仕方がない」
「君の家から誰か連れて来れば好のに。大勢いるだろう」
「⑭みんな若いのばかりでね」と代助は真面目に答えた。平岡はこの時始めて声を出して笑った。
「若けりゃ猶結構じゃないか」
「とにかく家の奴は好くないよ」
「あの婆さんの外に誰かいるのかい」
「書生が一人いる」
 門野は何時の間にか帰って、台所の方で婆さんと話をしていた。
「それぎりかい」
「それぎりだ。何故」
「細君はまだ貰わないのかい」
代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になった。
「妻を貰ったら、君の所へ通知位する筈じゃないか。⑯それよりか君の」と云いかけて、ぴたりと已めた。(『それから』2ノ1回全文)

 平岡は代助の新しい家(借家)を知らない。代助は年賀状で始めて住所を知らせたという。転地するという(2週間前に届いた)平岡の手紙に驚いたが、いきなり訪問を受けるつもりもなかったであろうことは、冒頭の「こっちから宿を訪ねようと思っていた」という記述からも伺われる。平岡に例えば地図入りの手紙を出していたとはとても思えない。
 代助の家(神楽坂藁店)は坂のどん詰まりの分かりにくいところにある筈であるが、このくだりを読む限りでは、平岡が始めての家を訪れるような感じはしない。平岡の性格をよく表しているともいえるが、俥で勢いよく乗り着けたのは不思議だという気もする。

 20銭の「寸借詐欺事件」については前著でも取り上げた。蟇口を忘れたのにその夜代助と外で一杯やった平岡は電車で宿へ帰る。電車代はどうしたのか。代助から更に借りたのか。おしゃれな代助は当然金は持って出たであろうが、小銭までジャラジャラ懐中していたのだろうか。平岡は庭先でああは言ったものの、ポケットに銅貨くらいは忍ばせていたのか。
 論者は平岡が20銭の俥代を15銭に値切って帰りの電車賃を確保していたと推測したが、むろん為にする話である。

 いきなり「学校時代の平岡」という言葉が遣われるが、代助と平岡は卒業してからの1年間、ほとんど兄弟同様の付き合いをしたと書かれるから、濃厚な記憶に新しい1年間を跳び越えて、その前の(3年間の)学生時代の平岡を思い出したことになる。金銭にだらしないところのあった学生時代、卒業して銀行に入った1年間はそうではなかったのだろうから、漱石がそう書くのは理屈には合っているが、代助としては器用な思い出し方をしたものである。
 漱石も気が引けたのか、そのあとの平岡が眼鏡を汚いハンケチで拭く箇所でも「学校時代からの近眼である」と学校時代を重ねている。要は金銭にこだわる漱石はついそういう書き方をしてしまうのであろうか。

 平岡は代助の家に洋間があることに感心した。下宿に毛の生えたような、『三四郎』の広田先生の家くらいに思っていたのだろうか。しかし平岡はそれこそ学生時代から南青山の長井の家に何度も遊びに行っていたのであるから、洋間や椅子くらいでは驚かないはずである。使用人が大勢いることも知っている。代助の家は裕福なのである。30歳で洋間。思い切ったのは漱石の方であろう。

 この記述は難解である。関西でしくじってこんな扱いになってしまったのか。もともと平岡にはこんなところがあるのか。後の記述を見ると平岡の性格に豪放磊落・野武士的なところはないから(漱石の登場人物にそういう男は出て来ない)、このときの平岡はやはり半分捨て鉢になっていたのか。だとすると、少し勇み足のような感じも受ける。代助は「手を取らんばかりに」平岡を迎えたのである。このあとに語られる平岡の失敗の、前触れとしての描写とも取れなくもないが、漱石はそんな細工は嫌いであろう。

 これも④に同じ。平岡は代助の新居については殆ど何も聞かされていない状態である。同時に代助の新居についてそれほど関心があるとは思えない。平岡は代助が結婚を前提に引っ越した可能性を考えているが、せいぜいその程度である。それとも平岡は世辞を言ったのだろうか。平岡は世辞を言う人間か。

「それから」という言葉が小説の中で使われる。それを象徴するかのように、この回(2ノ1回)は『それから』の全体像を明示している回でもある。『それから』はおそらく小説の本文でタイトルが参照されるほとんど最後の作品であろう。以後漱石は小説のタイトルに独自の趣味を発揮するようになる。
 『門』はこじつけである。弟子がこじつけたのであるが、漱石も(評判の悪い)参禅シーンで、それに乗ったように見えるが、三題噺じゃあるまいし、小説『門』は、(宗門・山門という意味での)門という言葉とは無関係の小説である。

 眼をぱちぱちさせる人物は、平岡のあと、『門』の宗助、『彼岸過迄』の森本に(3作品連続して)受け継がれて、いったん絶滅したかに見えたが、最後『明暗』の小林で不死鳥のごとく蘇った。思うに余裕のない生き方をしている(と漱石が判断した)人物に固有の癖なのであろう。
 『それから』では平岡だけでなく、代助が1回だけ瞬きをしている。三千代が始めて代助の家にやってきたとき、

 三千代は顔を上げた。代助は、突然例の眼を認めて、思わず(またたき)を一つした。(4ノ4回)

 ここでの瞬きは数回でなく1回きりであるから、同列には扱えないが、このときの代助が余裕を失っていることは確かであろう。漱石も眼が大きく綺麗なので、ぱちぱちさせればそれはそれで目立ったであろう。

(この項つづく)