明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 3

66.『それから』内容見本(2)――2ノ1回全文引用(つづき)


(前項よりつづき)

 物語は(『三四郎』と違って)高等商業の学校騒動、『煤煙』、日糖事件等の記述から、明治42年以外の何物でもないことが分かるが、平岡の上京の季節もまた明示されている。代助の父も同時期関西へ旅行していて、それは佐川の見合い話のためでもあったが、念の入ったことにその父も後段で関西の桜の話をする。
 物語はそれから梅雨が明けて夏らしい日差しが強くなってくるまでの約4ヶ月間、これは『三四郎』の9月~12月の4ヶ月間に同じ。漱石も同じリズムで書き、読者も同じリスムで読めるので、『三四郎』のファンは『それから』のファンでもある筈である。執筆自体も6月から8月中旬まで、暑い時期にさらに暑くなるストーリー、最後には主人公も赤く焼け尽くされるという、これまた念の入りようである。

「向こう」というのは大阪のことである。漱石は平岡の転勤を「京阪地方のある支店詰め」(2ノ2回)としか書かない。しかし平岡の上司の支店長が東京へ戻る順番しか気にしていないことを見ても、この場所が大阪(市)であることは明らかである。父の浪士時代の京都、上記でも述べた佐川の家を神戸とはっきり書いているにもかかわらず、平岡と三千代の3年暮らした街を、なぜちゃんと大阪と書かなかったのだろう。三千代の(菅沼の)出自も「東京近県」(7ノ2回)とぼかしているが、この気まぐれな秘密主義は『明暗』でも活躍する。
 もちろん漱石の意図はよく分かる。例えば平岡夫妻の関西時代にあまりリアリティを(生活臭を)感じさせないようにして、その分伝通院脇の今の生活の印象を強調するのだろう。しかし似たようなことは前にも述べたが、「大阪」「大阪辺」に置き換えてそのくだりを読んでみても、作品の印象は変わらないのである。まあ漱石の代弁をすれば、漱石は頭の中に在ることを正確に書いているので、どのように書いても同じと言えば言える。

 このくだりも解釈は難しい。世間話の出来ない漱石としては(少しはしたであろうが)、通りすがりに天気の話をされても返答に困るのであろうが、例えば何を言われても鸚鵡返しに同じことを言っておけば済むところを、真面目に論理建てで喋ろうとするのであろう。代助と平岡は互いに無意味な問答をしないことで友情を繋ぎ続けてきたとは想像される。

 これも同じ。読者は代助と平岡が(『明暗』の津田と小林のように)なぜ親友たりえたか不思議に思うところであるが、互いに世辞を言わない、心に無いことは言わない、『心』の御嬢さんの言葉を借りれば、空の盃で献杯の応酬をしないという点に、共通点を見出したのだろうか。婆さんの意味のないおしゃべりと愛想笑いに、ふたり揃って無視を極め込む。そういうところは妙にウマが合うのである。

 そしてどうでもいいことでもちゃんと確認をする。いい加減な性格のようでいてその実まじめなのである。対人関係に誠実なところがあるのである。

「ありゃ何だい」「婆さんさ」

 言わなくてもいいこと、場面のリアリティにあまり寄与しそうにないこと、おそらく並の作家なら書かないで済ませたであろう会話をちゃんと書く。これもまた百年の命脈を保つ漱石の秘密(のごく一部)であろうか。
 しかしここでは別の不可解さに直面する。平岡は玄関で婆さんに俥代を立て替えてもらっているのである。婆さんが使用人であると分かっていたからこそ20銭借りたのであろう。もし婆さんがこの家の使用人でない場合は、(「コロンボ」みたいな)ギャグ(事故)になるわけだが、その金は所詮代助の金であるから、婆さんに重ねて礼を言う話ではないだろうが、それでも「ありゃ何だい」はないだろう。金に細かいのが漱石の小説であるからには、読者は先程の20銭の顛末について気にせざるを得なくなる。

 先に「漱石作品最大の謎」で述べたように、独身者は小間使いの年齢にも気を配らねばならない。代助もちゃんと分かっている。続く『門』でも小六との同居に当たって漱石は細心の注意を払っている。しかるにその次の『彼岸過迄』で漱石はおもむろに市蔵と作を二人きりにする。それはそれで作者として小説の結構であるから構わないとして、市蔵の母がそのことに無関心なのはおかしいと論者は不満を述べた。このときの代助ももちろん論者に同意見だと思われる。

 代助は少し顔を赫らめた。代助は(「坊っちゃん」のように)結婚したくてたまらぬほどでないにせよ、結婚する用意は十分にある。嫂への遁辞にかかわらず代助には結婚願望がある。佐川の娘をすぐに切り捨てなかったのもそのためである。その代助が小説の終盤で三千代に向き合ったとき、漱石は代助の(三千代も)性的衝動を完全に抑え込み、代助による三千代の救済に「対価」を示さなかった。代助の愛は無報酬の愛であった。
 漱石は『それから』の結末について、「本来なら宗教に持って行くべきだろうが今のおれがそれをすると嘘になる」(林原耕三による)と言ったという。しかしこんな「宗教的な」話があるだろうか。代助の倫理は『それから』全体を救済していると思われるが、その倫理感は代助本人の潔癖性を超えて、いっそ宗教的ではないか。

 先の(⑦の)「それから」と、この三千代の名前を出す前に「ぴたりとやめた」の2つが、この小説の内容をよく表している。その意味でもこの2ノ1回は、『それから』を象徴する回である。この上手な、言い方を変えればあざとい手法は、『猫』や『坊っちゃん』には見られないものである。そしてその芽は日増しに大きくなり、『明暗』では連載回ごとに用いられさえする。読者の好みはあろうが、漱石はそのどちらも上手くこなしたと言える。