明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 5

68.『それから』年表(2)――真の問題点

 

 論者は先に『三四郎』の本文改訂案としていくつか挙げたが、おもむきは異なるが、『それから』でも、改めて本文改訂を提案したい。

 

 誤 代助が三千代と知り合になったのは、今から四五年前の事で、(7ノ2回冒頭)

 正 代助が三千代と知り合になったのは、今から五六年前の事で、(7ノ2回冒頭改)

 

 誤 其年の秋、平岡は三千代と結婚した。(7ノ2回末尾近く)

 正 其翌る年、平岡は三千代と結婚した。(7ノ2回末尾近く改)

 

 漱石の記述が矛盾していることは確かであるが、前項の問題は誤植の範疇として、読者は一応無視して読み進めることが出来る。事実そうして百年間読み継がれてきたのであろう。1年半年食い違っているからといって、それが小説の主題でない以上あげつらうことに何の意義があろうか。

 しかし例えば前項の年表の範囲に限ってみても、また別種の疑問点が探せば見つかるようである。

 

 菅沼の急死のあと代助と平岡は卒業する。平岡は銀行員となる。二人の交際は薄まるのがふつうである。とくに代助と平岡は互いの気質に(代助と菅沼のような)共通点がほとんどないのであるから、片方の環境が変わればもう行き来しなくなるのが世の習いである。三千代の存在があったにせよ、代助にとっては無二の親友を失った直後であるにせよ、卒業後の1年間代助と平岡が兄弟同様の交わりをしたというのは、にわかには信じ難いことである。銀行員は今も昔も多忙である。専門知識も身に付けなければならない。平岡に学生時代のような閑暇があったとはとても思えない。おまけに代助はその間に過度の芸者買いまでこなしている。代助の放蕩は三千代を周旋した後の欠落感の穴埋めではなかろう。少なくとも漱石はそういう書き方をしていない。代助はただただ(時任謙作みたいに)放蕩した。

 

・新社会人平岡との濃厚な付き合い。

・三千代と平岡の恋のまとめ役。

・借金するほどな芸者買い。

・洋書の繙読、専門分野の研究継続。

 

 代助はこの年、これらをいっぺんにやったというのだろうか。頭と理屈が先行してなかなか実行が伴わない代助に、こんなバイタリティがあったのだろうか。

 

 まあこれには漱石サイドの反論も可能である。菅沼の急死を受けた卒業試験の前後。気分が昂ぶってつい芸者買いにのめり込んだ。それはすぐに兄に金を出してもらって、自分にその方面の欲求が強くないことを確認しただけで終わった。そして1年間、三千代の存在を忘れることなく平岡の余暇に目一杯付き合い、その結果として三千代を平岡に周旋することもやり遂げた。読書や研究は代助の「仕事」であるから、平岡が出仕している間は、代助の時間はそれに費やされた、というわけであろうか。

 そうかも知れない。サラリーマンが会社人間になってしまうのは戦後か少なくとも昭和の話かも知れない。銀行員平岡と高等遊民代助が、1年間兄弟のように交際してはいけない、という決まりはない。いずれにせよ読者が文句をつけることではない・・・。

 

 しかし宮仕えが大変なのは江戸時代からの変わらぬ真実であろうし、芸者買いに厭きた代助が三千代を平岡に与えたとすれば、その3年後、後悔する代助の論陣の張り方は、また別のものになりはしないか。また東京で余暇を学生時代の友人と過ごす平岡が、大阪へ行くと会社のダークなところに、大した必然性もなくどっぷり漬かってしまうのも、便宜的ではないか。現代の読者としては、何かおかしいという感じを拭えない。漱石のせいではないかも知れないが。