明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 6

69.『それから』愛は3回語られる(1)――漱石作品唯一のプロポーズ


 漱石の全作品の中で『それから』が独り聳え立っているところが一つある。それは主人公が女に直接愛を告白したことである。前著でも述べたが、男が女に直接プロポーズするのは代助が最初で最後である。しかるにその相手とは人妻で、(当時の)法を犯すような話であった・・・。

 それはいいとして、代助の告白はその前後を入れて都合3回なされている。

「姉さん、私は好いた女があるんです」(14ノ4回末尾)

「僕の存在には貴方が必要だ」(14ノ10回冒頭)

「では云う。三千代さんを呉れないか」(16ノ10回)

 言うまでもなく2番目が漱石作品唯一の、男が相手に直接発した求婚の言葉である。(当然Iであるべき)主語がIでなくYouであるのが漱石らしいが、プロポーズであることに違いはなかろう。代助は三千代にとっても必要な存在であったと思われるから、代助の言葉は不自然ではない。

 ところでこの代助と三千代の物語の、バックグラウンドで静かに進行していた佐川の娘との結婚話であるが、嫂が代助にいい加減で観念せよと迫る場面が、小説全体で同じく3回ある。

「御貰いなさいよ……賛成ですとも。因念つきじゃありませんか」
「先祖の拵らえた因念よりも、まだ自分の拵えた因念で貰う方が貰い好い様だな」
「おや、左様なのがあるの」(3ノ7回)

妙なのね、そんなに厭がるのは。――厭なんじゃないって、口では仰しゃるけれども、貰わなければ、厭なのと同なしじゃありませんか。それじゃ誰か好きなのがあるんでしょう。其方の名を仰ゃい」(7ノ6回)

「だから私達が一番好いと思うのを、黙って貰えば、夫で何所も彼所も丸く治まっちまうから、……そうでも、為なくっちゃ、生きてる内に、貴方の奥さんの顔を見る事は出来ないじゃありませんか」……「だって、貴方に好いたのがあればですけれども、そんなのは日本中探して歩いたって無いんじゃありませんか」(14ノ4回)

 ちょうど3回目のこの梅子の(ワンパタンの)発言の直後に、先に掲げた嫂に向けた告白がなされる。
 ちなみに『それから』は、主人公の父親がちゃんと自己の哲学を開陳するセリフ付きで登場する、漱石の中では稀有といっていい作品であるが、その父と代助の面談シーンも、丁寧に3回描かれている。

 3ノ3回~3ノ4回

 9ノ3回~9ノ4回

 15ノ4回~15ノ5回

 の3回である。最後の会見のラストシーンで、「もう御前の世話はせんから」と言われ、それで父の出番は終わっている。(代助の正式な放逐は兄の口を通して実行される。)

 繰り返しは3度まで、というルールが漱石にあったとは思えないが、音楽的な書きぶりも目立つのが漱石の小説であるからには、繰り返しの効果は当然意識されてはいただろう。
 佐川の見合い話では代助自身もこの「3回」を身を以って体験している。佐川の娘と3回対面しているのである。

 歌舞伎座での騙し討ちのような顔合わせ。(11ノ7~8回)

 自宅(実家)での会食。代助はまた騙されたと思っているが、実質上の正式な見合いである。先祖の因縁話から現世での利害。二人を結び付ける話が持ち上がってからの月日。ふつうの見合いでは、ここまでくればもう誰も断われない。(12ノ6・7回)

 翌日の新橋駅頭での一家を挙げての御見送り。「何うです此汽車で、神戸迄遊びに行きませんか」(13ノ1回)という高木の言葉を代助が首肯(うけが)えば、この結婚は確定していた。たまたまではあるが、代助は旅行に出るために準備までしていたのである。神戸行きもありうるという伏線では決してないが。

 ここまで来ると、読者は当然ある質問を思い浮かべる。代助の家に三千代が何回来たかという疑問である。

 神保町の宿から伝通院脇の借家への引越の前日。始めての訪問。門野と婆さんが些細なことで笑い合うシーンの直後にそれは描かれる。前著でも述べたが漱石作品ではヒロインがヒーローの家を訪れるとき、下女が笑う場面が挿入されることが多い。笑われたからではあるまいが、ヒーローとヒロインに期待されるような「濡れ場」はやって来ない。
 代助は翌日が引越であることを(三四郎みたいに)忘れていたが、三千代の用件は五百円の無心であった。男女の話に必ず金銭の話が絡むのが漱石の小説である。(4ノ3~4回)

 2度目の訪問。代助が昼寝をしていて出直したとき。「リリー・オフ・ゼ・ヴァレー」事件で名高い回である。三千代は借銭の使途について詫びに来た。(10ノ4~6回)

 3度目の訪問。漱石にはもう後がないことが分かっていた(らしい)。代助は門野を使って俥で無理やり三千代を呼び寄せた。いつものエレガントな代助らしくない遣り方である。いくら告白のクライマックス回だとしても。(14ノ8~11回)

 ついでながら上のⅡ(2度目の訪問)は、三千代の決心を明示する回でもある。誰もがよく知るこのときの三千代の(意図的な)行為は次の3点である。

 わざわざ買って来た(想い出の)白百合の花3本。

 このときだけの(想い出の)銀杏返し

 鈴蘭を浮かべた陶製の大きな鉢。その水を(わざとではないかも知れないが)飲んでしまう。それも代助の使用した洋盃(コップ)で。

 代助が学生時代に好きだった(と三千代が信じた)白い百合3本は、兄・代助・三千代の3人を象徴している。結局代助と三千代は「四五年前」を思い出すことにより、平岡に嫁す以前の状態に戻ることを希んだのであろう。
 鈴蘭の水を代助のタンブラで飲んだのは、三千代が代助の家の住人になってもよい(代助の墓に入ってもよい)という意志表示であろう。これは『行人』女景清の(男の喰い欠けの煎餅を横からひったくって食べた)エピソードを彷彿させる。癇性な代助と異なり、三千代は代助が口を付けたものを気にしないことにした。花器の水に中って死んでも構わないのであった。三千代は既にある種の覚悟を持って髪も結い直したのである(漱石のほとんどの女と同じように)。
 このため漱石は代助が三千代にプロポーズしたとき、三千代の拒絶の可能性をあたかも考慮していないような書き方が出来たのであろう。三千代がそこで迷ったり回答を渋ったりしたのでは、何のために2度目の訪問時に「決意の3点セット」を実行したのか分からなくなる。賽はすでに投げられていたのである。

 さらに言えば漱石があえて「四五年前」にこだわったのは、実際の年月(6年)をカウントすると、(6年が3の倍数であることにより)この「3」のトリックが明るみに出ることを(意識下で)懼れたからであろう。23歳で大学に入り、3年間の大学生活、卒業後1年間を経て、東京と大阪に分かれて3年間、合計7年間。そんな計算をするまでもなく、三四郎23歳、代助30歳で7年間経っていることくらい、作者の漱石には分かり過ぎるほど分かっている。それで入学2年目の春に三千代は兄に呼び寄せられているのである。代助と三千代が知り合って6年経っていることくらい、原稿紙の余白に簡単にいたずら書きしただけで分かるではないか。それをわざわざ「知り合って四五年」と書くのは、明らかに何か他の意図に基づいていたとしか思えない。