明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 2

2. 『三四郎』112年目の本文改訂(2)―― 改行してはいけない


 では漱石の指示に従って、その「正しい」本文をもう一度示すと、

「違うんですか」
「一人と思って入らしったの」
「ええ」と云って、呆やりしている。やがて二人が顔を見合した。そうして一度に笑い出した。美禰子は、驚ろいた様に、わざと大きな眼をして、しかも一段と調子を落とした小声になって、
「随分ね」と云いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行って仕舞った。三四郎は立ち留まった儘、もう一遍ヴェニスの堀割を眺め出した。先へ抜けた女は、此時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向(むこう)から三四郎の横顔を熟視していた。
「里見さん」
 出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間許離れて、原口さんが立っている。原口さんの後(うしろ)に、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るや否や、二三歩後戻りをして三四郎の傍へ来た。人に目立たぬ位に、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何か私語(ささや)いた。三四郎には何を云ったのか、少しも分らない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返して行った。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向って、
「妙な連と来ましたね」と云った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、
「似合うでしょう」と云った。野々宮さんは何とも云わなかった。くるりと後ろを向いた。・・・(『三四郎』8ノ8回~8ノ9回改)

 8章の5回、三四郎は初めて美禰子の家(正確には兄里見恭助の家)を訪れる。
 三四郎と美禰子の往き合う場面は初会の「池の女」以来、物語が進行しても変わりなく新鮮で、詩的・絵画的・音楽的、ときには官能的でさえあるが、この日三四郎が最初に美禰子の姿を見たのは、里見家の応接間の、横に長い鏡の中であった。その露払いのように聴こえたヴァイオリンの幽かな音と、現実に三四郎に向かって発せられた美禰子の蠱惑的な声。

「とうとう入らしった」

 このセリフに魂を抜かれない男はおるまい。(余計なことを言うようだが、この場面での三四郎は『虞美人草』で藤尾の蜘蛛の糸に搦め取られそうになる小野さんを連想させる。)

 その日三四郎は美禰子から金を借りる。もちろん三四郎の申し入れではなく、形の上では(与次郎の画策による)半ば美禰子から押し付けられたような、まとまった額の借金(または贈与)である。借金に限らず、漱石の男が人生で大きな事件に遭遇するときには、必ずこのような、自分だけの企画立案・意思決定に拠らない、いわば決断を他人の手に委ねるような成り行きになってしまうようである。それはまた別の問題であるが、金という実際的・即物的、ある意味では興醒めなモノを介在させることによって、物語のリアリティは、中でもその人間関係(男女関係)のリアリティは格段に強まり、作品の命脈さえ永らえる。これは漱石の際立った技量であり他の追随を許さないものである。江戸市民漱石は概して金には細かいが、その分金銭の扱い方・描き方は心得ていたと言えるだろう。

 そして金を懐に入れたまま連れ立って丹青会の展覧会へ行く。引用部分で、三四郎と美禰子はお互い少し離れた位置に立っていたのであるが、声の大きい原口の「里見さん」という呼びかけに三四郎と美禰子は間髪入れず同時に反応したのである。(そしておせっかいを焼くようだが、原口のすぐ横にいた野々宮は、はかばかしい反応を見せなかったのである。)

 新聞連載では一日分として回を切らざるを得なかったが、漱石はそれまでも繰り返し描いてきた美禰子の野々宮(と三四郎)に対する示威行為、あからさまに言えば、三四郎をダシにした美禰子の野々宮に対する挑発を、(この行為を漱石は「無意識の偽善」と名付けて文学者らしいまとめ方をしたのであるが、)漱石は気が引けるのでこの美禰子のくだりを一気に書いてしまいたかったに違いない。(悠長に)改行している場合ではない。ここで漱石は珍しく思わせぶりな書き方をしているが(美禰子が三四郎の耳元で何事か囁くという)、それも念頭に置いて漱石はわざわざ「字下ゲセズ」=「改行しない」と指定したのではないか。

 漱石の指定に従って「正しく」直して読むと、『三四郎』のこの部分の文章は一段と輝きを増す(ように思える)。百年経っても色褪せない漱石の作品は今後も五百年千年と輝き続けるであろうから、今からでも遅くない、漱石の読者は須らく『三四郎』の上記当該部分を「改行しない」読み方に修正して読むべきである。