明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 1

1.『三四郎』112年目の本文改訂(1)―― 字下ゲセズ


漱石「最後の挨拶」三四郎

はじめに―― 論者より
  論者(筆者=明石吟平)は前著「『明暗』に向かって」(2020年2月刊)において、漱石の遺作『明暗』の結末をあれこれ空想した。その過程において、漱石の人と作品に潜む様々な謎を取り上げた。今回、『明暗』の結末からはいったん離れて、漱石作品の謎そのものを、おおむね作品ごとに探求してみたい。内容は重複するところもあろうが、『明暗』からひとまず自由になることによって、また異なった見方が生じるかも知れない。本ブログでは手始めに初期三部作の第一作『三四郎』から取り掛かることにする。作家が始めて自分のタブローにサインを描き入れた作品と思うからである。

三四郎』の本文は漱石死後百余年を経て既に確定したかに見えるが、その中に一箇所、漱石の意に反する箇所が存在する。
 それは第8章の後半、(第8章は三四郎が美禰子から金を借り、一緒に丹青会を訪れるというこの小説のハイライトの章でもあるが、)そのほぼ大詰めに近い所、三四郎ヴェネチアの風景画(複数)の前でそれらの作者が兄妹であると気付かないで美禰子に笑われ――

「違うんですか」
「一人と思って入らしったの」
「ええ」と云って、呆やりしている。やがて二人が顔を見合した。そうして一度に笑い出した。美禰子は、驚ろいた様に、わざと大きな眼をして、しかも一段と調子を落とした小声になって、
「随分ね」と云いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行って仕舞った。三四郎は立ち留った儘、もう一遍ヴェニスの堀割を眺め出した。先へ抜けた女は、此時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向(むこう)から三四郎の横顔を熟視していた。
「里見さん」
 出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。
 美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間許離れて、原口さんが立っている。原口さんの後(うしろ)に、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るや否や、二三歩後戻りをして三四郎の傍へ来た。人に目立たぬ位に、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何か私語(ささや)いた。三四郎には何を云ったのか、少しも分らない。聞き直そうとするうちに、美禰は二人の方へ引き返して行った。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向って、
「妙な連と来ましたね」と云った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、
「似合うでしょう」と云った。野々宮さんは何とも云わなかった。くるりと後ろを向いた。・・・(『三四郎』8ノ8回~8ノ9回)

三四郎』第8章は、新聞連載では全10回に分かたれているが、青色で示した上記引用部分の上半分、「出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。」までが8ノ8回(末尾)、「美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。」以降、下半分が8ノ9回(冒頭)である。ほとんどの版は新聞掲載時の回数表示をしないので、これまで刊行されたどの『三四郎』も本文はほぼ上記引用文の通りである。つまり傍線で示した「出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。」と「美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。」の二つの文章は、引用の通り「改行」して印刷されている。この箇所は連載回の切れ目であるからにはそれも当然と人は思う。

 しかるに9回冒頭(美禰子も三四郎も等しく顔を・・・)は、漱石の原稿では、

「一字下ゲニゼズ」

 という注記で開始せられている。(それは岩波の全集注解にわざわざ自筆原稿の写真版入りで紹介されてもいるので、漱石ファンならずとも多くの人の知るところであろう。)
 これは誰が考えても、8回末尾の一文「出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。」と、9回の始まりである「美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。」以下の文章との間は、

「改行無用である」

 という指示書きに他なるまい。漱石ほどの大家の指示がなぜこうも易易と無視されてしまったのか。驚く前にいっそ不思議でさえある。「改行するな」と作者が命じている以上、われわれは(頭で諒解するだけでなく、実際に)それに従うべきではないか。