明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 3

3. 『三四郎』112年目の本文改訂(3)―― 則天去私


 ところで前回までの引用本文は、(青色で示した)文章自体は概ね、原稿準拠と称する岩波書店版の漱石全集(初版1994年4月)・定本漱石全集(初版2017年4月)に拠ったものであるが(ただし現代仮名遣いに直した)、同全集は新聞の連載回を小見出しとして表記している。その漱石全集(第五巻)の該当箇所は以下の通りである。

 ・・・先へ抜けた女は、此時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向(むこう)から三四郎の横顔を熟視していた。
「里見さん」
 出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。

   八の九

美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間許離れて、原口さんが立っている。原口さんの後(うしろ)に、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。・・・(『三四郎』8ノ8回~8ノ9回)

 少し分かりづらいかも知れないが、8ノ9回冒頭の原稿「一字下ゲニセズ」を「文字通り」反映して、「美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。」という文が(通常のような字下げをしないまま、谷崎潤一郎みたいに)ページの先頭、1文字目から印刷されている。
 どうしてこのようなことになったのだろうか。このような体裁になっているのは、漱石の作品の中で当然乍らこの箇所のみである。連載回ごとに本文表記する以上他にやりようがないとも言えるが、結果として漱石の指示を無視していることに変わりはない。

 そこで岩波の全集版についていえば、論者(筆者のこと。以下同断)の改訂案はつぎのようなものである。

 ・・・先へ抜けた女は、此時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向(むこう)から三四郎の横顔を熟視していた。

   *八の九

「里見さん」
 出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。*美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間許離れて、原口さんが立っている。原口さんの後(うしろ)に、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。・・・(『三四郎』8ノ8回改~8ノ9回改)(*は注解の位置を示す。注解の中身は、前者は回数分けの位置変更、後者は言うまでもなく漱石原稿の「一字下ゲニセズ」である。)

 前回も含めこのような『三四郎』本文改訂提案に対してすぐに思いつく疑問は、結局改行した形で上梓されて生前の漱石も格別それに苦情を言わなかったのであろうから、漱石はそれをよしとしたのではないか、とする考え方である。その通りかも知れない。しかし元々漱石という人はいったんリリースされた自分の作品に対しては、殊更その瑕疵を改めるようなことはしない人であった。それは書肆の仕事である。自分の仕事ではない。つまり自分の責任ではない。自分の責務でない以上、自分は介入しない。(誤植は気にはなったであろうが。)

 新聞連載が終わってすぐ、明治42年に出た『三四郎』の初版本も、当該部分はあっさり、

「里見さん」
 出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。
 美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間許離れて、原口さんが立っている。・・・

 となっており、後年誰かが漱石の原稿をほじくり返さなければ、疑義など生じようがない。もし原稿が失われていたら、このくだりは永久に問題視される気遣いはなかったのである。本にするときに漱石が改めて手を入れたのではないかという、あるいは追認したのではないかという、一般的にはもっともな疑いも、後期の漱石でない限り、その可能性はないだろう。

 漱石にとって自分の小説はある意味で自分の子供に似ている。子供の顔が横に長いのが気に入らないといって縦に長く改めるわけにはいかない(応接間の鏡じゃないのだから)。子供の人生は子供のものである。自分のものではない。市場に出た『三四郎』は世間のものである。自分のものではない。これを人は誠実・清廉潔白といい、ある人は身勝手・自分のことしか考えないともいう。漱石本人はこの人生態度(処世方針)を則天去私と呼んだ。

 ある朝(晩でも)自分の娘が突然盲いたとしても、それをそのまま受け容れるというのが則天去私の態度である。いわんや校正ミスの二つや三つ。漱石は晩年には『草枕』さえ否定的に見ていたくらいだから、そもそも漱石は自分の旧作にはそれほど関心はないのである(自分の子供のように)。もっと大事なこと、今書いている、あるいはこれから書こうとしている小説の方にいつも気を取られていたのである。