明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 34

290.『坊っちゃん』1日1回(12)――坊っちゃん最初で最後の嘘


第11章 天誅 (全6回)(つづき)
(明治38年10月24日火曜~11月10日金曜/明治38年11月~明治39年3月)

6回 野だに貴様も沢山かと聞いたら無論沢山だと答えた
(11月9日木曜~11月10日金曜/明治38年11月~明治39年3月)
(P397-13/おれが玉子をたたきつけて)
山嵐は赤シャツを坊っちゃんは野だをぽかぽか殴る~7時下宿に帰って荷造りして出る~汽車で港屋へ~退職届を投函~山嵐と午後2時まで寝た~夜6時の汽船で出立~上京と後日譚

 山嵐と一緒に暴行傷害という最初で最後の犯罪を犯した坊っちゃんは、そのまま下宿へ「朝帰り」をして荷物をまとめ始める。そして驚く萩野の婆さんに、「東京へ行って奥さんを連れてくるんだ」と、これまた漱石作品で最初で最後と言ってもいい明白な嘘を言う。(主人公が苦しんでやむにやまれぬ嘘言を吐くことはあっても、このような根拠のはっきりしない嘘は唯一無二であろう。婆さんの坊っちゃんが妻帯しているという誤解をたしなめるものだったにせよ、あるいは婆さんに事情を説明するのが面倒だったにせよ、嘘は嘘である。)

 そして小説最後の3行。ここではオリジナル原稿を掲げてみる。

 ①清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが今年の二月肺炎で死んで仕舞った。②死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの御寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待って居りますと云った。③だから清の墓は小石川の養源寺にある。

 最初の一文(①)の後半は、「気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んで仕舞った」と、2ヶ所の吹き出しで文意を補っている。しかしどうせ丁寧に書くなら、この①の文章にも最低1ヶ所くらいは読点も併せて挿入してしかるべきではないか。とにかくこの最後の3行で漱石は読点を1個しか使っていない。

 ①清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んで仕舞った。

 これは『坊っちゃん』での最長文(読点なしの)であろう。『猫』は別として、『坊っちゃん』以後漱石は、むしろ読点を細かすぎるほど挿入する書き方になった。それは後代の小説家に多大な影響も与えたが、原稿上の漱石は読点に1桝使っていない。会話の鍵括弧も同様である。したがって漱石全集の本文では、会話文の(岩波のような)1字下げは不要であるし、読点は明治時代のある種の刊本のように、活字と活字の間に強引に割り込ませるのは却って読みづらいとしても、せめて半角なり幅の狭いのサイズで版組するのが妥当と考える。それもあって本ブログ第10項~第13項(聖典発掘)での『坊っちゃん』引用本文は、実験的に半角の読点を採用してみた。余談であるが。

 この敢えて読点なしの文章にしたというのは、清との同居がせいぜい1ヶ月かそれくらい、いくら長くてもとても2ヶ月にはならない、というような意味を込めての「最長不倒」であろうか。先に校長はおそらく10月中旬頃の坊っちゃんに、「来てから一月立つか立たないのに辞職したと云うと、君の将来の履歴に関係するから」(第11章3回)と言っている。これは文字通りカウントして言っているのではなく、そのときすでに1ヶ月を優に超えていたとしても、えてしてこういう言い方をすることがある。この狸の言い方を借りれば、折角一緒に住み始めたのに「一月立つか立たないのに」清は死んでしまったと言える。
 対句というものがある。対位法という理論もあるが、漱石はこんな(重要な)ところにまで、裏を返すというしきたりを持ち込んでいたのかと、今更ながら呆れざるを得ない。

 しかしそんなことより、ここでやはり気になるのが、「②死ぬ前日おれを呼んで」のくだりである。清は寝込んで動けなくなる最後の1週間ばかりの間、再び坊っちゃんの家から甥の家へ引き取られたのではないか。坊っちゃんが勤めに出てなおかつ清の世話が出来たとは、たとえ1日、2日であっても考えにくい。薬缶1杯の湯を沸かすのさえ、大変な手間がかかる時代である。坊っちゃんは父親の亡くなるとき1週間寝ずに看病したというが、それは周囲に人がいたから可能な技であって、女手もなくて独りで清の死を看取るなどということは、街鉄の技手をやっていた当時の坊っちゃんには到底不可能であろう。

 そして③の養源寺についての疑問は先に述べた通りである。『坊っちゃん』の名を不朽のものにする、勢いと自信に満ちた結びの一句の価値は永久に変わらないとしても、小石川にあろうが小日向にあろうが、相続人の兄が家を畳んで九州へ行ってしまった以上、坊っちゃんの家の菩提寺など、もうこの世のどこにも存在しないのではないか。

 とまれ清の死を以って、坊っちゃんの武勇伝は幕を閉じた。
 マドンナの早期退場によって尻切れトンボに終わるはずの『坊っちゃん』は、清の死という大尾に至って不朽の名作となった。ヒロインを小説の最後まで引っ張るという必勝の作法を、漱石は意図しないで実行したと言える。といって清は坊っちゃんにとって慈悲観音のようなものであったが、小説のヒロインではない。清は下女であっても「女」ではない。ましてや「永遠の女性」などではあり得ない。『坊っちゃん』の真のヒロインは、多くの読者が「正しく」感じたようにマドンナである。しかし漱石は清もまたそうと読めるように書いた。それがゆえに『坊っちゃん』はいつまでも人気があるだが、漱石は2度とそのような曖昧なヒロインの物語は書かなかった。(その意味で『明暗』の中断はある誤解を残した。清子が真のヒロインであるとする読み手にとっては、お延は贋の、あるいはせいぜいオルタネートのヒロインになってしまうからである。)

 余談になるが、マドンナがこの小説の真のヒロインであることに疑義を感じる向きには、マドンナに去られたうらなりのその後の系図を見れば、『坊っちゃん』の隠れたヒーローが分かるはずである。その系図とは、

〇うらなり(古賀先生)-寒月(水島)-野々宮宗八-長井代助-野中宗助

 である。坊っちゃんは小説の主人公ではあるが、『三四郎』における三四郎のように、狂言廻し役でもある。その場合の、漱石が真に書きたかった人物とは、赤シャツでも山嵐でもなく、うらなりではなかったか(ちょうど『三四郎』における野々宮宗八のように)。そして彼らの相手こそが真のヒロインになる。その系図を示すと、

〇マドンナ(遠山の御嬢さん)-金田富子-里見美禰子-平岡三千代(旧姓菅沼)-野中米

 男は先頭から順に、K-K-N-N-Nとも読める。Kが金之助、Nが夏目であるとして、それに苦情を言う者はいないだろう。そして女の列に清という老下女の入り込む余地はない。
 那美さんと藤尾については、男を振ってはいるが、その相手というのは主人公ではない。つまり(言葉は悪いが)練習台というところであろうか。
 ついでながら、中期3部作以降もこの方針は堅持されていて、『彼岸過迄』千代子、『行人』お直とも、未遂ながら本能的に殆ど男から逃げ出しているようにも見え、『心』の御嬢さんは、Kをはっきり振っている(御嬢さんにその意識はなかったであろうが、漱石は明らかにそのように書いている)。そして『明暗』では、(未完であるからには)断定することは出来ないものの、清子はすでに他に嫁ぎ、お延もまた、いつでも逃げられる余地を残しながらの幕引きになるであろうか。
 そして「逃げ出す女」というのは、作者の側から見れば「退治された女」と言って差し支えない。退治されたから逃げ出すのである。逃げられるのはヒーローであるが、退治する者は漱石である。