明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 35

291.『坊っちゃん』むすびに代えて――「おれ」と「私」の秘密


 宇宙船ともいえる漱石文学の航路に、限りない可能性を残して『坊っちゃん』は閉じられたが、それで本ブログ冒頭の宿題、以前の項(第19項)でも触れた『坊っちゃん』と『心』の共通点の話であるが、

 1人称小説。
 主人公(語り手)に名前(戸籍名)がない。
 現代日本で1、2を争う名作。
 書いているうちにだんだん長くなった。

 この4点に続く第5の共通点は、

 最後に大切な人が死ぬ。

 ということになる。

 『猫』も最後に語り手が死んでいるではないかと言う人がいるかもしれない。しかしあれはビールを舐めた斑猫が、甕に落ちて念仏(南無阿弥陀仏)を唱えただけである。『猫』の続篇が書かれれば、おさんによって甕から抓み上げられた吾輩が、びしょ濡れになった身体をぶるんと震わせ、そこら中を水だらけにして、苦沙弥に力一杯叩かれるというシーンから始まることは目に見えている。おさんの習慣として本格的に就寝する前には、台所にもう一度来て、火が完全に消えているか必ず確認するのである。加えてそもそも吾輩は人ではない。

 では『猫』はいいとしても、『虞美人草』は明らかに該当していないか。藤尾は坊っちゃんの親爺と同じ、急性の脳あるいは心臓の血管事故によって死んでしまった。しかし藤尾は那美さんよりは金田富子の方に近い仇役であり、『虞美人草』は漱石にとって2度と読み返したくない失敗作である。例えば木曜会のときに弟子の誰かが、「藤尾が服毒したときに誰某は云々――」と話し掛けて来ても、漱石は(厭な顔はするとしても)うんうんと聞いて、ふつうに答えたと思われる。決して「藤尾は毒なんか持ってやしないよ。即死できる毒といや青酸カリかい。そんなものどこに売ってるんだ」などとは言わないだろう。反対に誰かが「藤尾が心臓マヒを起こすほどのショック云々――」と言っても、漱石は「ああそうかい」で済ませたであろう。つまり『虞美人草』では藤尾は「大切な人」ではないのである。

 『明暗』のお延については意見の別れるところかも知れない。お延の行く末に死の影を見る読者も少なくない。しかし『心』で漱石自身も書いているように、「自分で死ぬ死ぬっていう人に死んだ試しはない」のである。お延は最後に臍を嚙むような思いをするにしても、決して死を択んだりしない(はずである)。仮にお延が死んだとして、ヴィトゲンシュタインではないが、それで(『明暗』の)世界が何か変わるとでもいうのか。「嬉しいところなんか始めからないんですから」と嘯く津田にとって、お延の死はせいぜい(漱石の父や兄のように)再婚のスタート台に過ぎまい。津田にとってむしろお延との(くそ面白くもない)夫婦生活の完遂(に向けた覚悟)の方が、この作品のめざす、あるいは陥ちこむゴールに相応しい。

 これに対抗できるのはやはり『心』だけか。『心』の先生は最後に長い(小説『坊っちゃん』くらいの長さの)手紙を書いた。
 当の坊っちゃんは手紙についてこんな述懐をしている。

 おれは墨を磨って、筆をしめして、巻紙を睨めて、――巻紙を睨めて、筆をしめして、墨を磨って――同じ所作を同じ様に何返も繰り返したあと、おれには、とても手紙はかけるものではないと、諦らめて硯の蓋をして仕舞った。手紙なんぞをかくのは面倒臭い。矢っ張り東京迄出掛けて行って、逢って話をするのが簡便だ。清の心配は察しないでもないが、清の注文通りの手紙を書くのは三七日の断食よりも苦しい。
 おれは筆と巻紙を抛り出して、ごろりと転がって肱枕をして庭の方を眺めて見たが、矢っ張り清の事が気にかかる。其時おれはこう思った。こうして遠くへ来て迄、清の身の上を案じていてやりさえすれば、おれの真心は清に通じるに違いない。通じさえすれば手紙なんぞやる必要はない。やらなければ無事で暮してると思ってるだろう。たよりは死んだ時か病気の時か、何か事の起った時にやりさえすればいい訳だ。(『坊っちゃん』第10章2回)

 坊っちゃんは愛する者への手紙の必要性は無いと言っている。しかしこの書き振りからは、とてもそうは思えない。あの癇癪持ちの坊っちゃんが同じ所作を何回も繰り返したと書かれる。
 やはり『坊っちゃん』という独白小説は、天国の清に向けた手記だったのだろうか。
 漱石はこうは書いたものの、8年後の『心』ではその本音を吐露するかのように、先生は全56回(正確にはプラスもう1回)の「手紙」を書いた。今回『坊っちゃん』の(仮にだが)全45回は、その言い訳を、あるいは預言を、(8年前に)わざわざしていたようなものである。
 ちなみに『心』の連載回数が『坊っちゃん』より多いのは、執筆の勢いの違いと、何より『心』のときは志賀直哉のドタキャンで連載の引き延ばしを考えていたせいもあろう。色んな事情に関係なく優れた作品に仕上がってしまうのが漱石の常である。

 それより気になるのは、引用文太字で示した、「遠くから清の身を案じてさえいれば真心は清に通じる」という坊っちゃんの奇妙な楽観論である。これが漱石の心からのものでないことは漱石ファンでなくても自明であろう。その頃書かれた習作に多くこの傾向のものが見られるといっても、漱石は(コナンドイルのような)心霊現象信奉者ではない。むしろ合理主義者漱石にとって、精霊の存在を信じたことなど一瞬たりともなかったと言える。(その手の話を怖がったというのは、信じていたから怖がったのではなく、話の底に潜む人間の暗黒部分を感じるからであろう。)
 ではなぜこんな記述になったのか。
 坊っちゃんは、ここでも自分の正邪の観念に囚われ過ぎて、清の身上を案じるという自分の行為(心情)にのみ心を奪われていたのではないか。自分さえ間違っていなければ後のことは瑣事である。
 自分の行ないが正しければそれは(その正しいということは)他者にも通じる。
 これが漱石の倫理観である。漱石の倫理は汎く弟子たちに受け容れられた。しかし家族に受け容れられることはなかった。家族の中、夫婦の中では、「正しい」「間違っていない」などということよりもっと大切なものがある――。

 最後にもう1つ。ここまで書いて来て切に思うのは、『坊っちゃん』と『心』を結びつけるものは、やはり(の)1人称小説ということであろうか。「おれ」で始まった漱石の小説世界は「私」を以って(いったん)閉じられた。
 その意味で『道草』からの3部作は、漱石にとってまた新たなスタートになったはずである。その最後の幻の作品は、内容については前著でも述べたことがあるが、外形的には、健三-津田-お延に連なる3人称小説になることだけは確言できる。
 3人称の小説を書くと精神的に俗了してしまう(と漱石は言っている)。『明暗』が思ったより長くなった執筆期間の後半、漱石はリフレッシュのためと称して1日1首、とまではいかないがそれに近い勤勉さで漢詩を作った。漱石にとって漢詩がなぜリフレッシュになるのだろうか。漢詩には主語がない。主格がない。誰のことを詠んでいるか明確であっても、それを書き込む必要がない。思うに漢詩は(俳句も含めた詩歌全般は)、究極の1人称文芸であるからであろう。
 1人称で書くとストレスにならない。かどうかは別としても、その1人称小説の代表が『坊っちゃん』と『心』ということになる。

 ここでくどいようだがもう一度、『坊っちゃんターナー島の場面から、坊っちゃんの詩人たる証拠の文章を掲げてみる。

 青空を見て居ると、日の光が段々弱って来て、少しはひやりとする風が吹き出した。線香の烟の様な雲が、透き徹る底の上を静かに伸して行ったと思ったら、いつしか底の奥に流れ込んで、うすくもやを掛けた様になった
 もう帰ろうかと赤シャツが思い出した様に云うと、ええ丁度時分ですね。今夜はマドンナの君に御逢いですかと野だが云う。赤シャツは馬鹿あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚たした奴を、少し起き直る。・・・(『坊っちゃん』第5章再掲)

 断るまでもないが、この文章は間違いなく(文学の苦手な)坊っちゃんが語っているのである。これはそのまま漱石漢詩の世界にスライドしておかしくない。
 じじつ明治45年7月、大帝崩御の頃横山大観に贈った五言絶句があるが、その後半に曰く、

 信手時揮灑 雲煙筆底生

 漱石全集(第18巻漢詩文)による読み下し文は以下の通り。

 手に信(まか)せて 時に揮灑(きさい)すれば 雲煙 筆底より生ず

 苦しんで作った(と言われている)このときの漢詩であるが、本人がすでに6年前にその鑑賞文(訳文)を書いていたわけである。漱石は画伯のことを謂ったのであろうが、現代の読者が見ると、漱石自身のことを詠んでいるとしか思えない。まさに杜甫の詠んだ「揮毫落紙如雲煙」を地で行っている。杜甫もまた友人だかのことを詩に書いたつもりで、識らず自分の天才を詠嘆しているのである。