明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 33

289.『坊っちゃん』1日1回(11)――月齢が語る天誅の晨


第11章 天誅 (全6回)
(明治38年10月24日火曜~11月10日金曜/明治38年11月~明治39年3月)

1回 今朝の新聞を御見たかなもし
(10月24日火曜)
(P382-3/あくる日眼が覚めて見ると、身体中痛くて堪らない。久しく喧嘩をしつけなかったから、こんなに答えるんだろう。これじゃあんまり自慢も出来ないと床の中で考えて居ると、婆さんが四国新聞を持って来て枕元へ置いてくれた。実は新聞を見るのも退儀なんだが、男がこれしきの事に閉口たれて仕様があるものかと無理に腹這いになって、寝ながら、二頁を開けて見ると驚ろいた。昨日の喧嘩がちゃんと出て居る。)
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(おれと山嵐は校長と教頭に時間の合間を見計って、嘘のない、所を一応説明した。校長と教頭はそうだろう、新聞屋が学校に恨を抱いて、あんな記事をことさらに掲げたんだろうと論断した。赤シャツはおれらの行為を弁解しながら控所を一人ごとに廻ってあるいて居た。ことに自分の弟が山嵐を誘い出したのを自分の過失であるかの如く吹聴して居た。みんなは全く新聞屋がわるい、怪しからん、両君は実に災難だと云った。)

近頃東京から赴任した生意気なる某~再び教育界に足を入るる余地なからしむる~いや昨日は御手柄で~名誉の御負傷でげすか~赤シャツは自分の弟が誘ったせいだと弁明して回る

2回 新聞に書かれるのは泥亀に喰い付かれるようなもの
(10月24日火曜~10月26日木曜)
(P385-11/帰りがけに山嵐は、君赤シャツは臭いぜ、用心しないとやられるぜと注意した。どうせ臭いんだ、今日から臭くなったんじゃなかろうと云うと、君まだ気が付かないか、きのうわざわざ、僕等を誘い出して喧嘩のなかへ、捲き込んだのは策だぜと教えてくれた。成程そこ迄は気がつかなかった。山嵐は粗暴な様だが、おれより智慧のある男だと感心した。「ああやって喧嘩をさせて置いて、すぐあとから新聞屋へ手を廻してあんな記事をかかせたんだ。実に奸物だ」「新聞迄も赤シャツか。そいつは驚いた。然し新聞が赤シャツの云う事をそう容易く聴くかね」「聴かなくって。新聞屋に友達が居りゃ訳はないさ」)
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(つまり新聞屋にかかれた事は、うそにせよ、本当にせよ、詰りどうする事も出来ないものだ。あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭を加えた。新聞がそんな者なら、一日も早く打っ潰して仕舞った方が、われわれの利益だろう。新聞にかかれるのと、泥鼈に喰いつかれるとが似たり寄ったりだとは今日只今狸の説明に因って始めて承知仕った。)

赤シャツの策に乗ったようだ~わるくすると遣られるかも知れない~一度新聞に書かれるとどうすることも出来ない

3回 履歴なんか構うもんですか履歴より義理が大切です
(10月30日月曜~10月31日火曜)
(P388-4/夫から三日許りして、ある日の午後、山嵐が憤然とやって来て、愈時機が来た、おれは例の計画を断行する積だと云うから、そうかそれじゃおれもやろうと、即座に一味徒党に加盟した。所が山嵐が、君はよす方がよかろうと首を傾けた。何故と聞くと君は校長に呼ばれて辞表を出せと云われたかと尋ねるから、いや云われない。君は?と聴き返すと、今日校長室で、まことに気の毒だけれども、事情已を得んから処決してくれと云われたとの事だ。「そんな裁判はないぜ。狸は大方腹鼓を叩き過ぎて、胃の位地が顛倒したんだ。)
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(赤シャツには口もきかなかった。どうせ遣っ付けるなら塊めて、うんと遣っ付ける方がいい。山嵐に狸と談判した模様を話したら、大方そんな事だろうと思った。辞表の事はいざとなる迄其儘にして置いても差支あるまいとの話だったから、山嵐の云う通りにした。どうも山嵐の方がおれよりも利巧らしいから万事山嵐の忠告に従う事にした。)

山嵐は校長に処決を求められた~誰が両立してやるもんか~校長室での談判~辞職されてもいいから代わりのあるまでどうかやってもらいたい

4回 奥さんの御ありるのに夜遊びはおやめたがええぞなもし
(11月1日水曜~11月8日水曜)
(P391-4/山嵐は愈辞表を出して、職員一同に告別の挨拶をして浜の港屋迄下ったが、人に知れない様に引き返して、温泉の町の枡屋の表二階へ潜んで、障子へ穴をあけて覗き出した。是を知ってるものはおれ許りだろう。赤シャツが忍んで来ればどうせ夜だ。しかも宵の口は生徒や其他の目があるから、少なくとも九時過ぎに極ってる。最初の二晩はおれも十一時頃迄張番をしたが、赤シャツの影も見えない。三日目には九時から十時半迄覗いたが矢張り駄目だ。駄目を踏んで夜なかに下宿へ帰る程馬鹿気た事はない。四五日すると、うちの婆さんが少々心配を始めて、奥さんの御有りるのに、夜遊びはおやめたがええぞなもしと忠告した。)
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(「天誅も骨が折れるな。是で天網恢々疎にして洩らしちまったり、何かしちゃ、詰らないぜ」「なに今夜は屹度くるよ。――おい見ろ見ろ」と小声になったから、おれは思わずどきりとした。黒い帽子を戴いた男が、角屋の瓦斯燈を下から見上げた儘暗い方へ通り過ぎた。違って居る。おやおやと思った。其うち帳場の時計が遠慮もなく十時を打った。今夜もとうとう駄目らしい。)

山嵐退職~枡屋の2階から角屋を見張る~1週間頑張っていい加減飽きてきた~八日目に山嵐は眼を輝かせた~小鈴の入るのを見たという

 物語の大詰。一挙に結末を迎えるべく山嵐が辞表を出した第4回。この回だけで数字が30ばかり並ぶ。おもに日数と時間を数えているのであるが、ふつうの作家が書くとうるさくて小説にならないだろう。漱石はとくに意識しないで書いているようにも思われる。第11章の真ん中辺の「一行アキ」の箇所から、文庫でも全集でも3頁分くらい。1から9までの数字がすべて満遍なく並ぶのはいいとして、時刻も7時、9時、10時、11時、12時。半とか何分とか細かく刻まれることもある。「8時」は登場しないが、その代り8という数字はちゃんと別の用法で何回も使われる。

六日目には少々いやになって、七日目にはもう休もうかと思った

 というのは、8日目に天誅を実行したという展開の、単なる説明・橋渡しの役目を帯びただけの記述と思われがちであるが、先述した曜日が書かれないという『坊っちゃん』の特徴的な例外に、「7日目に休む=日曜日」という、最後に神の降臨があったようにも読める。これでは作中に気楽に曜日を書き込めなかったわけである。
 さらに言えば、坊っちゃんが松山を訪れることになったのは、卒業してから「8日目に」校長が呼びに来たからであるが、漱石はこんなところにもちゃんと平仄を合わせて、坊っちゃんの松山退去を祝福している。

 ところで時計の好きな東洋人漱石は、月の出入りについての記述もまた、どちらかといえばする方である。しかしそれは日月星晨に対する関心があってのことではないようだ。

 おれは一貫張の机の上にあった置き洋燈をふっと吹きけした。星明りで障子丈は少々あかるい。月はまだ出て居ない。おれと山嵐は一生懸命に障子へ面をつけて、息を凝らして居る。チーンと九時半の柱時計が鳴った
 ・・・其うち帳場の時計が遠慮なく十時を打った。今夜もとうとう駄目らしい。
 世間は大分静かになった。遊廓で鳴らす太鼓が手に取る様に聞える。月が温泉の山の後からのっと顔を出した。往来はあかるい。すると、下の方から人声が聞えだした。窓から首を出す訳には行かないから、姿を突き留める事は出来ないが、段々近付いて来る模様だ。(論者注:赤シャツと野だがやって来たのである。)

 先に『坊っちゃん』のカレンダー作成で、山嵐の退職を10月末、11月10日頃には新橋着としたが、この最後の天誅事件が11月8日頃であることはとくに問題ないだろう。
 いずれにせよ日露講和の明治38年、10月下旬から11月上旬にかけての(松山における)月の出入りの時刻は、当然ながら小説の記述とはまったく合わない。その時期実物の漱石帝国大学で講義しているのだから、あるいはせいぜい『猫』を書いているのだから、合わなくて当り前である。
 反対に月の出が夜10時であるような11月第1週を持つ年はと言えば、それは他のどの年でもない、漱石が松山にいた明治28年である気象庁の過去データによる)。漱石は(日露でなく)日清の戦捷祝賀を実見もし、同じ頃小説に書かれた同じ時刻頃、湯の町の山影から昇る大きな半月も見たに違いない。

 ちなみに山嵐が目撃した小鈴という芸者は、うらなり送別会(第9章)で野だが鈴ちゃんと呼んでいた赤シャツの馴染みの芸者である。マドンナ同様教師仲間でも名の知られた芸者だったのであろう。単なるスケルツォあるいは幕間のファルスのような送別会の夜のドタバタ喜劇であるが、

山嵐との仲直りと友情の確認。
山嵐は増給を断わった坊っちゃんを褒めて、ついでに自分の免職を覚悟する。
③赤シャツのような奸物は鉄拳制裁しかないと、山嵐は石のような二の腕を見せる。
④赤シャツに笑って挨拶した一番若くて綺麗な芸者を、野だは鈴ちゃんと呼ぶ。
坊っちゃんはどさくさ紛れに野だをポカリと殴る。山嵐は野だを後ろから払い倒す。

 すべてが最後の活劇へ繋がる前奏曲にもなっている。

5回 増給が嫌だの辞表を出したいのって、ありゃどうしても神経に異状があるに相違ない
(11月8日水曜~11月9日木曜)
(P394-7/世間は大分静かになった。遊廓で鳴らす太鼓が手に取る様に聞える。月が温泉の山の後からのっと顔を出した。往来はあかるい。すると、下の方から人声が聞えだした。窓から首を出す訳には行かないから、姿を突き留める事は出来ないが、段々近付いて来る模様だ。からんからんと駒下駄を引き擦る音がする。眼を斜めにするとやっと二人の影法師が見える位に近付いた。「もう大丈夫ですね。邪魔ものは追っ払ったから」正しく野だの声である。「強がる許りで策がないから、仕様がない」これは赤シャツだ。)
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(野だは余っ程仰天した者と見えて、わっと言いながら、尻持をついて、助けて呉れと云った。おれは食う為めに玉子は買ったが、打つける為めに袂へ入れてる訳ではない。只肝癪のあまりに、いつぶつけるともなしに打つけて仕舞ったのだ。然し野だが尻持を突いた所を見て始めて、おれの成功した事に気がついたから、此畜生、此畜生と云いながら残る六つを無茶苦茶に擲き付けたら、野だは顔中黄色になった。)

赤シャツと野だがやっと現れる~坊っちゃんの悪口を言っている~朝5時までの辛い監視~角屋から出て来た2人を尾行~城下をはずれたところで襲撃~野だの顔へ玉子を叩きつける

 角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾けた。一番汽車はまだないから、二人とも城下迄あるかなければならない。温泉の町をはずれると一丁許りの杉並木があって左右は田圃になる。それを通りこすとここかしこに藁葺があって、畠の中を一筋に城下迄通る土手へ出る。町さえはずれれば、どこで追い付いても構わないが、可成(なるべく)なら、人家のない、杉並木で捕まえてやろうと、見えがくれについて来た*。町を外れると急に馳け足の姿勢で、はやての様に後ろから、追い付いた。何が来たかと驚ろいて振り向く奴を⑥待てと云って肩に手をかけた。⑦野だは狼狽の気味で逃げ出そうと云う景色だったから、⑧おれが前へ廻って行手を塞いで仕舞った(注*来た=行ったの東京訛り)

 本来山嵐坊っちゃん不法行為をしようとしているわけであるが、これは漱石にあっては異例のことである。少なくとも『明暗』現行の中断部まで、漱石の小説に主人公が法を犯すシーンはない(『心』の先生が1度だけ立小便しているが、先生は明治の人間である)。坊っちゃんが最初で最後である。そのせいでもなかろうが漱石は、第4回の1週間にわたる見張り番から、この第5回の徹夜での監視を経て、郊外の土手における鉄槌の場面まで、実に丁寧に描いている。第4回の数字の「密集」もその丁寧さの表われであろうか。まるで証人席・参考人席に立ったように、ありのまま、現実に起こった事実をそのまま、順を追って論述している(かのようである)。
 そもそも枡屋での1週間の空振りは、先に生徒が喰らった1週間の禁足の対をなすもので、漱石も律儀にバランスシートの辻褄を合わせにかかっていると言ってよい。
 読者に対する気遣いは、坊っちゃんの活躍する町の様子の、分かりやすい描き方にも表れている。船で港に着くと港屋という旅館がある。おもちゃのような汽車に乗るとすぐ坊っちゃんたちの住む城下である。勿論中学校もある。城下の停留所から港とは反対方向に乗って行くと湯の町である。角屋という待合みたいな旅館の前に山嵐坊っちゃんの潜む枡屋がある。坊っちゃんたちは早朝枡屋を捨てて(始発の前なので)徒歩で赤シャツと野だを追いかけ、城下の手前の人気のない誰にも迷惑のかからない(邪魔されない)場所で凶行に及んだ。漱石は詳細に描いている。まるでその情景を残すことによって、坊っちゃんたちの免罪を図るかのように。

 ところでこの⑥の「待てと云って肩に手をかけた」という句を含む文章には、人称代名詞がすべて省略されているが、誰の行為であるか。⑦と⑧の記述から、⑥は山嵐の赤シャツに対する行為であることが推測される。最初に手を出したのは(坊っちゃんでなく)山嵐であった。この私闘が山嵐の赤シャツに対するものであったことが、丁寧に念を押されているのである。前述したが坊っちゃんは赤シャツには一切手を出していない。坊っちゃんは従犯である。野だを殴るのも始めてではない。
 そしてこのときの坊っちゃんの、追い抜いてくるりと振り返るという仕草もまた、先に野芹川の土手で赤シャツとマドンナの行く手を塞いだ場面を思い起こさせる。坊っちゃんは1回リハーサルをしていたのである。
 つまり坊っちゃんは単なる暴行犯罪人というよりは、舞台稽古の本番に臨んだ役者という位置付けであった。坊っちゃんをここまで庇うものは、もちろん漱石である。