明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 29

285.『坊っちゃん』1日1回(7)――マドンナ野芹川の夜の遭難


第7章 マドンナ (全5回)
(明治38年9月30日土曜~10月9日月曜)

回 萩野の家へ宿替え
(9月30日土曜~10月6日金曜)
(P322-6/おれは則夜下宿を引き払った)
いか銀の女房の狼狽~士族屋敷で下宿探し~うらなりの家を訪ねる~その夜から萩野の家の下宿人となる~清からの手紙を待ちわびる~萩野の婆さんの世間話

 前章で職員会議の午後を土曜としたのは、とくに理由あってのことではないが、仮にそれが間違ってないとすれば、ターナー島での舟釣りは前日金曜の課業後であり、職員会議の日を限りに坊っちゃんがいか銀を引き払って、その日のうちに新しい下宿へ入った、そして翌る日曜には野だが坊っちゃんの後釜に坐ったと見れば、理屈は合う。坊っちゃんは早速転居先を告げるために一度いか銀に戻り、そこで野だの転入話を聞いたのであろう。坊っちゃんは松山に到着早々山城屋から清に手紙を出し、その山城屋気付とした清の返事は、いか銀を経由したあと萩野の下宿へ届いた。漱石も(坊っちゃんも)大雑把なようでいて案外細かいのである。
 そして職員会議(狼藉生徒処分)のとき、山嵐坊っちゃんのことを「まだ生徒に接してから20日に満たない」と言っていることからも、坊っちゃんの着任日も含めて、カレンダーのおおまかなところは想像出来よう。(現実にそれが明治38年の暦に合致しているかどうかは別として。)

2回 渾名の付いてる女にゃ昔から碌なものがいない
(10月6日金曜)
(P326-4/「然し今時の女子は昔と違うて)
婆さんの語るマドンナとうらなりの婚約事件~赤シャツの横槍~山嵐の仲介~赤シャツと山嵐の確執

 うらなりがマドンナとうまく行かなくなったのは、うらなりの家が金満家でなくなったことが原因している。女が金に靡くというのは、(金に靡かない男はいないという意味で)陳腐化した発想のようでもあるが、女が独りで生きられる(生活できる)社会という観点からはまた、永遠のテーマであるとも言える。
 文学士にはなっても文士になるつもりのなかった漱石にとっての「文学的な」始まりは、半分馬鹿にしていた『金色夜叉』であろうが、この同期の文豪の死を受けて自らの文学的キャリアをスタートさせた漱石は、『猫』『坊っちゃん』『草枕』の「処女作三部作」の通奏低音に、まるで紅葉へのオマージュとも取れる「金(地位)に靡く(かも知れない)女」というテーマを配置した。
 それは『虞美人草』『三四郎』に微妙な形で引き継がれた後、漱石自身の生活の(金銭的)安定とともに、『それから』の三千代が「すぐにやめてしまったわ」と弁解した派手な半襟のように打ち捨てられた。――つまり三千代以降のヒロインは(生活の安定でなく)露骨に愛の存在について語り出したのである。(金田富子とマドンナは黙して語らないが、)那美さん・藤尾・美禰子の「三姉妹」は、その最後の哀しい女性の叫びであったとも言えよう。――しかし金そのものに対する漱石のこだわりは、その後も消えることなく生き続けた。

3回 やっと届いた清からの手紙
(10月6日金曜~10月9日月曜)
(P329-9/分り過ぎて困る位だ)
山嵐て何ぞなもし~符箋つきの清の手紙を読む~もし渾名をつけたら清だけに知らせろ~お小遣いがなくて困るかも知れないから為替で10円あげる~芋責めの食事を生卵でしのぐ

 待ちわびた清からの手紙。萩野の婆さんは坊っちゃんの奥さんから来た手紙と思い込んでいるが、坊っちゃんは格別訂正を申し込まないようだ。坊っちゃんが手紙を出してから1ヶ月ほどが経っている。その経緯は小説の中で丁寧に説明されて、かつ説明くさくない。符箋で10日以上、清の手紙の内容で、風邪で寝込んだ1週間+不得意な手紙を書くのに1週間、ちゃんと話の辻褄を合わせている。
 坊っちゃんはあげたつもりのない50円を(それは兄の金だから)、清は坊っちゃんがくれたものと信じている。清のくれた3円と10円を、坊っちゃんは借りたと主張する。その坊っちゃんと清の関係が母と子や夫婦の絆に似て、一方600円については坊っちゃんと兄の見解は一致しているものの、その人間関係はとっくに消滅している。金の認識の不一致は愛情の本という謎かけであろうか。それとも大金のやり取りは人間関係を破綻させるという俗な喩えであろうか。代助が三千代に遣った200円はぎりぎりセーフだったのか。三千代の申し出通り500円渡していたら『それから』はそこで終わってしまったのだろうか。

 清は坊っちゃんの身を案ずるあまりくどくどとかき口説く。

坊っちゃんは竹を割ったような気性だが、ただ癇癪が強過ぎてそれが心配。
②人に恨まれるもとになるから無暗に渾名なんかつけるな。
③田舎者は人がわるいから気を付けて苛い目に遇わないようにしろ。
④気候だって不順に極まってるから寝冷えをして風邪を引いてはいけない。
⑤頼りになるのは御金ばかりだから、なるべく倹約して万一の時に差支えないようにしろ。

 そして坊っちゃんの手紙(150字)は短かすぎて様子がよく分からないから、今度はもう少し長いのを書いてくれろという。坊っちゃんも嬉しかったのだろう。くだくだしい清の手紙を省略なしに紹介している。坊っちゃんは後刻長い手紙を書こうと努力するが、結局書けないまま自分の方が先に東京へ着いてしまった。なるほど気も短いわけである。

4回 マドンナ初登場
(10月9日月曜)
(P333-6/今日は清の手紙で湯へ)
停車場でうらなりと会う~遠山の母娘登場~赤シャツも来る~金鎖りと金側の赤シャツの時計~上等の切符で下等の車輛に乗り込む

「あなたは大分御丈夫の様ですな」
「ええ瘦せても病気はしません。①病気なんてものあ大嫌いですから
 うらなり君は、おれの言葉を聞いて②にやにやと笑った
 所へ入口で若々しい女の笑声が聞えたから、何心なく振り反って見るとえらい奴が来た。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並んで切符を売る窓の前に立っている。おれは美人の形容抔が出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか③水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握って見た様な心持ちがした。年寄の方が背は低い。然し④顔はよく似て居るから親子だろう

 ①は職員会議のときの「そんな頓珍漢な処分は大嫌いです」を受けたセリフである。坊っちゃんの自分に不都合なものを好き嫌いで論じる滑稽に、うらなりがちゃんと反応していること(②)を書きたかったのだろう。漱石の小説の「にやにや」登場回数では、『猫』の寒月が圧勝したが、《本ブログ心篇25『先生と私』1日1回(11)にやにや笑いの怪――欄外にリンク》先の「うらなり=野々宮」論と、「野々宮=寺田寅彦=寒月」論の融合から、「うらなり=寒月」の裏付けとなる一文である。うらなりも寒月もマドンナ(金田富子)に逃げられるところはまるで双子の兄弟である。延岡も高知も東京から見れば一帯であろう。松山から見ても似たような近さ(遠さ)である。

 そして満を持してマドンナの登場となったわけであるが、③の描写は坊っちゃんらしくない言い回しである。これはむしろ清の手紙にこそ相応しい形容であろう。美人を見ると性格が変わったように俄かに描写が艶っぽくなるのが漱石の常道だが、ヒロインの初登場に必ず庇護者が附着するというのも前著で論者の散々説いたところ。マドンナの場合は実の母親(④)であるから、そのフラグシップモデルと言えるだろう。

5回 野芹川の散歩デート
(10月9日月曜)
(P336-13/温泉へ着いて三階から)
温泉を出て散歩する~化物が寄り合う物騒な世界~早く切り上げて東京へ帰りたい~野芹川の堤で赤シャツとマドンナに出くわす

 おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖を擦り抜けざま、二足前へ出した踵をぐるりと返して男の顔を覗き込んだ。月は正面からおれの五分刈の頭から顋の辺り迄、会釈もなく照す。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促がすが早いか、温泉(ゆ)の町の方へ引き返した。

 坊っちゃんも思い切ったことをしたものである。赤シャツとマドンナにすればわざわざ汽車で温泉町まで行って、誰も通らないと思って川縁の土手で散歩していたら変な若い男がぬっと現れる。赤シャツはともかくマドンナはさぞ驚いたことだろう。このときの坊っちゃんの不可解な行動について、『三四郎』にこんな記述がある。

「丁度好いじゃありませんか」と早口に云ったが、後で「御貰をしない乞食なんだから」と結んだ。是は前句の解釈の為めに付けた様に聞えた。
 所へ知らん人が突然あらわれた唐辛子の干してある家の陰から出て、何時の間にか河を向うへ渡ったものと見える。二人の坐っている方へ段々近付いて来る。洋服を着て髯を生やして、年輩から云うと広田先生位な男である。此男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子を睨め付けた其眼のうちには明らかに憎悪の色がある三四郎は凝と坐っていにくい程な束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。其後ろ影を見送りながら、三四郎は、
「広田先生や野々宮さんは嘸後で僕等を探したでしょう」と始めて気が付いた様に言った。美禰子は寧ろ冷やかである。
「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」(『三四郎』5ノ9回)

 下宿へ帰って、湯に入って、好い心持ちになって上がって見ると、机の上に絵端書がある。小川を描いて、草をもじゃもじゃ生やして、其縁に羊を二匹寝かして、其向こう側に大きな男が洋杖を持って立っている所を写したものである。男の顔が甚だ獰猛に出来ている。全く西洋の絵にある悪魔を模したもので、念の為め、傍にちゃんとデヴィルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いた許である。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、端書の裏に、迷える子を二匹書いて、其一匹を暗に自分に見立てて呉れたのを甚だ嬉しく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとより這入っていたのである。それが美禰子の思わくであったと見える。美禰子の使った stray sheep の意味が是で漸く判然した。(『三四郎』6ノ3回)

 この土地の所有者なのかも知れないが、いくら男の顔がデヴィルと明記されていても、このくだりは『三四郎』で唯一何のことか分からない叙述であった。迷える子羊の宗教的意味合いを強調するための道具立てとするしか解釈の仕様がないのであろうが、散歩する無心のカプルに不可抗力的な邪魔が入ることがあるという、哲学的な警告が発せられたのかも知れなかった。そうであれば『坊っちゃん』のこのシーンも、坊っちゃんの怒りの表出ばかりでなく、散歩する赤シャツとマドンナにとって甚だ縁起の悪い、悪魔の役目を坊っちゃんは演じていたのかも知れない。演出家はもちろん漱石以外にいないが、坊っちゃんがなぜこんな行為に及んだのか、合理的な説明は外につかない。坊っちゃんはとりあえず自分の出来る範囲で、このときこの2人を罰したのであろう。それとも漱石は赤シャツに只々一度「あっ」と言わせたかっただけだったのか。

漱石「最後の挨拶」心篇 25 - 明石吟平の漱石ブログ

238.『先生と私』1日1回(11)――にやにや笑いの怪