明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 27

283.『坊っちゃん』1日1回(5)――日本一有名な無人


第5章 ターナー島 (全3回)
(明治38年9月29日金曜)

1回 ひろびろとした海の上で潮風に吹かれるのは薬だと思った
(9月29日金曜)
(P292-6/君釣りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪るい様に優しい声を出す男である。丸で男だか女だか分りゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校でさえおれ位な声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、小供の時、小梅の釣堀で鮒を三匹釣った事がある。)
 ・ ・ ・ 
(マドンナだろうが、小旦那だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って、分らないから聞いたって構やしませんてえ様な風をする。下品な仕草だ。是で当人は私も江戸っ子でげす抔と云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染の芸者の渾名か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めて居れば世話はない。夫れを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。)

赤シャツ野だと課業後沖釣りへ~鮪の二匹や三匹~ターナー島の景色~マドンナとは何か

 マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染の芸者の渾名か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めて居れば世話はない。夫れを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。

 前章に続き『三四郎』に直結するくだりである。『三四郎』では実際に「森の女」という題で丹青会へ出展された。

三四郎坊っちゃん
・美禰子=マドンナ
・野々宮=うらなり
・原口=野だ
・美禰子の許婚者=赤シャツ

 ついでに、与次郎=山嵐、広田先生=校長、三四郎の郷里の母=清、といったところか。
 山嵐と校長については異論があろうが、山嵐のおかげで坊っちゃんは辞職という決定的なトラブルに見舞われるのであるから、山嵐坊っちゃんの出処進退に一定の責任がある。これは『三四郎』では与次郎の役割であろう。坊っちゃん山嵐のことを(堀田さんでなく)君と呼んでいる。
 校長は赤シャツの理解者にして庇護者である。広田先生は野々宮だけでなく里見の兄たちも教えていた。里見恭助の友人が美禰子を娶るのであるから、広田先生は媒酌人を頼まれてもおかしくなかった。赤シャツがマドンナと地元で結婚するなら、仲人は間違いなく校長だろう。
 こう見てくると、『坊っちゃん』にあって『三四郎』にないものは、赤シャツの活躍(行動とおしゃべり)である。美禰子の結婚相手はセリフのほとんどない端役に過ぎない。

 漱石森田草平の煤煙事件で、あんな女でよければおれが書いてやるよとばかりに短期間で美禰子をでっち上げた。「森の女」にしても漱石の(作中における)評価は低い。俗物丸出しの原口はともかく、三四郎も美禰子も、漱石ファンほどには作者自身は身を入れて描いていない。(それであの造形であるから恐れ入るしかないのであるが。)
 画のタイトルを考えても、本郷の丘に立つ美禰子が「森の女」なら、ターナー島の松の木の下に坐るマドンナは、いくら団扇を持たせたとしても、「島の女」か「海の女」であろう。ところでマドンナの画題にこれほど相応しくないタイトルもないと誰でも分かるように(ゴーギャンじゃないのだから)、「森の女」という題のひどさも分かるというもの。漱石もちゃんと三四郎にそう言わせている。

2回 清を連れてこんな美しい所へ遊びに来たい
(9月29日金曜)
(P295-13/此所らがいいだろうと船頭は船をとめて、錨を卸した。幾尋あるかねと赤シャツが聞くと、六尋位だと云う。六尋位じゃ鯛は六ずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込んだ。大将鯛を釣る気と見える、豪胆なものだ。野だは、なに教頭の御手際じゃかかりますよ。それになぎですからと御世辞を云いながら、是も糸を繰り出して投げ入れる。何だか先に錘のような鉛がぶら下がってる丈だ。浮がない。浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかる様なものだ。)
 ・ ・ ・ 
(赤シャツは馬鹿あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚たした奴を、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれは皿の様な眼を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引っ繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻いた。何という猪口才だろう。)

沖釣りは錘と糸と針だけ~鰹の一匹くらい~一番槍でゴルキを釣るが胴の間に叩きつけたら死んでしまった~赤シャツと野だもゴルキばかり~寝ころんで空を見ながら清のことを考える~山嵐を讒訴するような赤シャツと野だの内緒話

 ここでは坊っちゃんの地口の啖呵が炸裂する。前の章からの引継ぎであるが、この回では歯止めが効かなくなってしまった。

①「なもした何だ。菜飯は田楽の時より外に食うもんじゃない」(第4章2回)
②「マドンナだろうが小旦那だろうがおれの関係した事でない」(第5章1回)
③「ゴルキが露西亜の文学者で丸木が芝の写真師で米のなる木が命の親だろう」(第5章2回)
④「おれの様な数学の教師にゴルキだか車力だか見当がつくものか」(第5章2回)
⑤「バッタだろうが足踏だろうが非はおれにある事じゃない」(第5章2回)

 この「足踏」が初出以来「雪踏(せった)」で通ってきた。

バッタだろうが雪踏だろうが、非はおれにある事じゃない」(昭和までの本文)

 もちろん「バッタだろうがセッタだろうが」で正しい。ルビもまあ不要であろう(初出まではルビなし、全集版より「せった」とルビ)。おそらく漱石も雪踏(雪駄)という意味で、わざと「足踏」と書いたのだろう。草履・下駄を念頭に「せった」と書くのに、「雪」の字より「足」の字の方が実物のイメジに近い。足駄という高下駄のような履物も実際に存在する。漱石は雪踏(雪駄)の代わりに「足踏」と書いたが、植字工が勝手に「雪踏」に直してしまった。もちろん誰も気付かないし原稿を見て異を唱える人もいない。漱石本人も元々「雪踏」のつもりであるから、何とも思わない。(原稿に)ルビを付けていないことからも、漱石は特別な読みを想定していたのではないことがうかがわれる。平成版の岩波全集は原稿通りに(ルビなしの)「足踏」に戻したが、(雪踏という先入観のある)読者に対しては却って分かりにくくなったようだ。一番妥当と思われるやり方は、「足踏」とするのはいいとして、原稿にないルビを(その旨注記して)「せった」と振ることであろう。あるいは注釈を付けて従来通り「雪踏」を踏襲してもいい。間違っても、「バッタだろうがアシダだろうが」と読ませようとしてはいけない。漱石の当て字は有名だが、無理筋の当て字を認めたくないのであれば、「雪踏」を使うべきだろう。
 字面(用字)の話を度外視して漱石に、「先生坊っちゃんは、バッタだろうがセッタだろうが、と言ったのですね」と聞いてみるとよい。漱石は「うん、そうだよ」と答えるに違いない。(話は飛躍するかも知れないが、仮にここで「先生坊っちゃんは、バッタだろうがアシダだろうが、と言ったのですね」と聞いたとすると、その場合も漱石は「うん、そうかも知れない」と答えるだろう。つまり漱石の追求する真実はほかの処にあるのであって、この類いの問題については、漱石の許容範囲は限りなく広いのである。)
 しかしまあここはセッタでなければ収まりが着かないところであろう。何のために啖呵を切っているのか、寅さんが何のために雪駄を履いているのか、分からなくなってしまう。

 もう帰ろうかと赤シャツが思い出した様に云うと、ええ丁度時分ですね。今夜はマドンナの君に御逢いですかと野だが云う。赤シャツは馬鹿あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚たした奴を、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれは皿の様な眼を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引き繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻いた。何と云う猪口才だろう。

 坊っちゃんはここでも本気で怒っている。自分のよく知らない話を、とくに若い女の話を内緒でされるほど癇に障ることはない。「すべてお見通しだぞ」と坊っちゃんは言いたかったに違いない。あるいはおれはお前が思うほど単純な坊っちゃんではないと言いたかったのか。ここも主格が「おれ」であるがゆえの名調子であろう。繰り返すが漱石が「おれ」を主人公としてもう1作書いたなら、こうしたストレートな表現がさらに楽しめるものをと思わざるを得ない。

 もうひとつ言えば、「バッタだろうがセッタだろうが」に始まる文章と、「もう帰ろうかと赤シャツが思い出した様に云うと」の文章をつなぐ、その間に書かれている何行かの叙述に心を動かされない人はいないと思われる。

 青空を見て居ると、日の光が段々弱って来て、少しはひやりとする風が吹き出した。線香の烟の様な雲が、透き徹る底の上を静かに伸して行ったと思ったら、いつしか底の奥に流れ込んで、うすくもやを掛けた様になった。
 もう帰ろうかと赤シャツが・・・

 論者ごときがあえて言うのも失礼に当たるかも知れないが、坊っちゃんこそが(瞬間的とはいえ)、まことの詩人という名に値するのではないか。

3回 さあ君は率直だからまだ経験に乏しいと云うんですがね
(9月29日金曜)
(P300-13/船は静かな海を岸へ漕ぎ戻る。君釣はあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから、ええ寝て居て空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻烟草を海の中へたたき込んだら、ジュと音がして艪の足で掻き分けられた浪の上を揺られながら漾っていった。「君が来たんで生徒も大に喜んで居るから、奮発してやって呉れ給え」と今度は釣には丸で縁故もない事を云い出した。「あんまり喜んでも居ないでしょう」「いえ、御世辞じゃない。全く喜んで居るんです、ね、吉川君」「喜んでる所じゃない。大騒ぎです」と野だはにやにやと笑った。)
 ・ ・ ・ 
(なある程こりゃ奇絶ですね。時間があると写生するんだが。惜しいですね。此儘にして置くのはと野だは大にたたく。/港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛がヒューと鳴るとき、おれの乗って居た舟は磯の砂へざぐりと、舳をつき込んで動かなくなった。御早うお帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶する。おれは船端から、やっと掛声をして磯へ飛び下りた。)

山嵐に気を付けろという謎かけ~赤シャツのアドバイス坊っちゃんの書生論

「そんな面倒な事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したから伺うんです」
「そりゃ御尤もだ。①こっちで口を切って、あとをつけないのは無責任ですね。夫れじゃ是丈の事を云って置きましょう。②あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は始めての、経験である。所が学校と云うものは中々情実のあるもので、そう書生流に淡泊には行かないですからね」

「正直にして居れば誰が乗じたって怖くはないです」
「③無論怖くはない、怖くはないが、乗ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、気を付けないといけないと云うんです」

「気をつけろったって、是より気の付け様はありません。わるい事をしなけりゃ好いんでしょう」
 赤シャツはホホホホと笑った。・・・
「④無論悪るい事をしなければ好いんですが、自分丈悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分らなくっちゃ、矢っ張りひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落な様に見えても、淡泊な様に見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、滅多に油断の出来ないのがありますから……。」

 赤シャツの助言は、邪魔者山嵐に対する誹謗の部分を除けば、至極尤もなものである。次に掲げる坊っちゃんの「書生論」を蹴散らす理屈を備えている。

 ・・・別段おれは笑われる様な事を云った覚えはない。今日只今に至る迄是でいいと堅く信じて居る。考えて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励して居る様に思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じて居るらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、⑤坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。夫じゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世の為にも当人の為にもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。⑥清はこんな時に決して笑った事はない。⑦大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツより余っ程上等だ。

 赤シャツの言うことはいちいち尤もである。『猫』の鈴木藤十郎君同様言うことがまともである。①②③④とも常識人としての漱石の良心を真面目に語らせているといってよい。赤シャツは半ば以上漱石である。一方坊っちゃんの書生論は面白いが説得力がない。真実味に乏しい。清の助けを藉りたい気持は分かるが、世間的にはここでは褒めるよりは窘める方が坊っちゃんの為であろう。⑥の決して笑わない態度は立派だが、感心までする必要はない(⑦)。
 それより漱石がここで⑤の「坊ちゃん」と書いていることの方が気になる。「坊ちゃん」が一般名詞で「坊っちゃん」が固有名詞(この小説の主人公)であると言いたいのだろうか。漱石はそんな器用な書き分けをするだろうか。

 そしてこの章の結びの一節は何度繰り返しても飽きない。不器用なはずの漱石がなぜこのような文章が書けるのか。坊っちゃん自身がついさっき書いたように、「底の奥」がまだある。たしかに奥が深いと思わずにいられない。

 港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛がヒューと鳴るとき、おれの乗って居た舟は磯の砂へざぐりと、舳をつき込んで動かなくなった。御早う御帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶する。おれは船端から、やっと掛声をして磯へ飛び下りた。

 『坊っちゃん』を映像化するのであれば、このシーンを使わぬ手はない。というより、どのような作品に流用しても、素晴らしい効果を発揮するだろう。まことの詩人たる所以である。そして繰り返すが、この文章(のリズム)は3人称ではこうは行かないのである。