明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 32

288.『坊っちゃん』1日1回(10)――坊っちゃん最後の事件


第10章 祝勝会の夜 (全4回)
(明治38年10月23日月曜)

1回 祝勝会に生徒を引率
(10月23日月曜)
(P368-8/祝勝会で学校は御休みだ。練兵場で式があると云うので、狸は生徒を引率して参列しなくてはならない。おれも職員の一人として一所にくっついて行くんだ。町へ出ると日の丸だらけで、まぼしい位である。学校の生徒は八百人もあるのだから、体操の教師が隊伍を整えて、一組一組の間を少しずつ明けて、それへ職員が一人か二人宛監督として割り込む仕掛けである。仕掛だけは頗る巧妙なものだが、実際は頗る不手際である。生徒は小供の上に、生意気で、規律を破らなくっては生徒の体面にかかわると思ってる奴等だから、職員が幾人ついて行ったって何の役に立つもんか。)
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(おれは邪魔になる生徒の間をくぐり抜けて、曲がり角へもう少しで出様とした時に、前へ!と云う高く鋭い号令が聞えたと思った。師範学校の方は粛粛として行進を始めた。先を争った衝突は、折合がついたには相違ないが、つまり中学校が一歩を譲ったのである。資格から云うと師範学校の方が上だそうだ。)

こんな奴等と一緒では人間が堕落するばかり~早く東京へ帰って清と暮らしたい~日本人は皆口から先へ生まれた

 中学生は意味もなくうるさい。そしてその動機は純なものではない。それがそのまま大人に成長したのがこの社会である。碌でもない世間の、その発生元が中学校である。
 中学校への不満は『猫』でも散々ぶちまけられたが、『坊っちゃん』を最後にぴたりと止んだ。小説を(職業的に)書くことにより、自分のかつての職業の対象であった者たちに対する攻撃は影を潜めるようになった。そうだとすれば、『野分』を最後に、あるいは明治39年を最後にぴたりと止んだ、と言った方がより適切か。

 しかし坊っちゃんの理屈では、こんなこと(中学教師)を1年も続けていては自分自身も朱に染まって堕落する。一刻も早くこの地を去るべきであるという結論に、たった1、2ヶ月で達している。
 世間に出たらその碌でもない世間によって自分の良心さえスポイルされかねない。一刻も早く逃げ出すべきである。
 これで何事か解決するわけのものでもないことは重々承知だが、自分の力ではどうしようもない。腕力に頼るわけにはいかないが、世の中というものは最後はそういう下らない力で物事が動いて行く。

 これが『坊っちゃん』の最後のドタバタ喜劇の山場である。小説においてこれを救うものがあるとすれば、それは女(愛)の存在だけである。しかしその灯は第7章、マドンナの登場と退場を以って消えてしまった。消したものは端的にいえば、坊っちゃんの「追い抜きざまの振り返り」であろうか。
 これが第8章以降の小説の閉塞感に繋がる。第8章(うらなり転勤事件)、第9章(うらなり送別会)、第10章(日露戦捷祝賀会)、書き振りは処女作と思えないほど堂に入って面白いが、読者が厭きるぎりぎりのところで、小説は最後の大決戦(大乱闘)を迎える。
 それはめでたいが、女がいなくなると漱石の小説は急速に詰まらなくなる。漱石はこれに気付いて以後しばらくは、女が途中退場することはなくなった。『草枕』『虞美人草』、どんな形であれヒロインは最後まで描かれ切っている。『三四郎』からの3部作しかり。ヒロインは常に作品と共に在る。
 しかしそれは漱石が心の底から希むところではなかったようだ。漱石は自分の造型したマドンナを、結局は自身で退治するところまでやってしまいたいのではないか。中期3部作で漱石は再びそれに挑戦したかのように見える。『彼岸過迄』『行人』『心』、すべてヒロインの退場後に一定のドラマが設定される。『心』の御嬢さんは、「奥さん(静)」「御嬢さん(名無し)」と人生を2度生きているが、Kの亡くなった後は急速に表舞台から姿を消す。というより御嬢さんはヒロイン・マドンナというにはあまりに影が薄いようである。(『心』では御嬢さんより「奥さん(御嬢さんの母親)」の方が存在感がある。漱石はこれを多として受け容れ、そのまま『道草』に受け継いでしまった。つまり細君がヒロインになってしまった。)
 『行人』は当初の予定ではお直の退場と共に物語が終わるはずであったと、誰もが思いがちであるが、小説について漱石の見込み通り事が運んだ試しはない(『三四郎』を除いて)。疾いに倒れなくても現行の『塵労』に近いものは書かれていたのではないか。してみるとこの異名の多い中期3部作のもう一つの呼称は、「(ヒロイン)途中退場3部作(*)」であろうか。
 漱石はここでチャレンジしたあと、いったん『道草』では小説の結びまでヒロインが頑張る方式に戻した。あるいは『道草』はそういうことと無縁の小説であるという位置付けか。いずれにせよ『明暗』の終結部もまた、お延(あるいは清子)とともにあるとすることの方が自然であるように思える。しかし(話が飛躍するようだが)幻の最終作品は女が早くに自裁する話であると想定されるから、この晩期3部作(則天去私3部作)においてはヒロイン退場時期としては統一されないことになる。漱石はそれが自然であると見做すかも知れない。漱石は則天去私の看板の下、最終作で大いなる統合を目論もうとしたのではないか。

2回 山嵐が牛肉を持って訪れる
(10月23日月曜)
(P371-14/祝勝会の式は頗る簡単なものであった。旅団長が祝詞を読む、知事が祝詞を読む。参列者が万歳を唱える。それで御仕舞だ。余興は午后にあると云う話だから、一先ず下宿へ帰って、此間中から、気に掛っていた、清への返事をかきかけた。今度はもっと詳しく書いてくれとの注文だから、可成念入に認めなくっちゃならない。然しいざとなって、半切を取り上げると、書く事は沢山あるが、何から書き出していいか、わからない。)
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(「愉快だ。そう事が極まれば、おれも加勢してやる。夫で今夜から夜番をやるのかい」「まだ枡屋に懸合ってないから、今夜は駄目だ」「それじゃ、いつから始める積りだい」「近々のうちやるさ。いずれ君に報知をするから、そうしたら、加勢して呉れ給え」「よろしい、いつでも加勢する。僕は計略は下手だが、喧嘩とくると是で中々すばしこいぜ」)

清に手紙を書こうとしたが1字も書けない~庭にある1本の蜜柑の木~湯島のかげまた何だ~君そこの所はまだ煮えていないぜ~赤シャツには馴染みの芸者がいる~赤シャツ退治の秘策

 清へ宛てた手紙が書けなかったこと(筆まで墨に浸したのに)、蜜柑の木がもう3週間で熟れるだろうという記述は、(都会人坊っちゃんが生まれて始めて見る蜜柑の木の、完熟する時期がなぜ分かったのかは永遠の謎であるが――萩野の婆さんに教わったとしか思えない、)これは大団円への伏線であろう。伏線を張る(というには込み入っているが)という書き方は、漱石に始めから染み付いたもので、癖というよりは(オチに向かって突き進む落語のような)、謂わば約束事のようなものである。創作上の技巧とは関係なく、『坊っちゃん』の書き方だから、『三四郎』だからという区別でない、『明暗』まで一環した漱石の書き方であると言える。

 山嵐の2度目の坊っちゃん宅訪問は前述の通り。牛肉持参は坊っちゃん山嵐の真の和解の象徴であろうか。この牛肉を、鮪の刺身・蒲鉾の付け焼きに続く坊っちゃんの好物と見るか、天麩羅蕎麦・団子に続く松山での(3回目の)ご馳走と見るかは、読者の自由であろう。要所要所で食い物が登場するのが、(酒の吞めなかった分食いしん坊であった)漱石の常套であるが、こちらも細々とではあるがその後も継続された。
 ちなみに坊っちゃんはこのあと、3週間でなく2週間でこの地を去ることになる。坊っちゃんが愛媛名産の「完熟」蜜柑を食べることはなかった。

3回 祝勝会の余興
(10月23日月曜)
(P376-2/おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略を相談して居ると、宿の婆さんが出て来て、学校の生徒さんが一人、堀田先生に御目にかかりたいてて御出でたぞなもし。今御宅へ参じたのじゃが、御留守じゃけれ、大方ここじゃろうてて捜し当てて御出でたのじゃがなもしと、閾の所へ膝を突いて山嵐の返事を待ってる。山嵐はそうですかと玄関迄出て行ったが、やがて帰って来て、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかって誘いに来たんだ。)
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(ことに六ずかしいのは、かの万歳節のぼこぼん先生だそうだ。三十人の足の運びも、手の働きも、腰の曲げ方も、悉くこのぼこぼん君の拍子一つで極まるのだそうだ。傍で見て居ると、此大将が一番呑気そうに、いやあ、はああと気楽にうたってるが、其実は甚だ責任が重くって非常に骨が折れるとは不思議なものだ。)


赤シャツの弟が山嵐を誘いに来た~くす玉の花火が上がる~太鼓と真剣による高知の踊り

 おれは踴なら東京で沢山見て居る。毎年八幡様の御祭りには屋台が町内へ廻ってくるんだから汐酌みでも何でもちゃんと心得ている。土佐っぽの馬鹿踴なんか、見たくもないと思ったけれども、折角山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になって門へ出た。山嵐を誘いに来たものは誰かと思ったら赤シャツの弟だ。妙な奴が来たもんだ

 前述したが、「妙な奴」という書き方で分かるように、坊っちゃんは赤シャツの弟が山嵐を(坊っちゃんの下宿まで)誘いに来た真相を、このときはまだ知らない。最終章でその策謀が明らかになるのだが、その導入部となるべき、疑問符のままであることを表わす1句である。蜜柑の木の逸話といい、漱石も芸が細かいと言わざるを得ない。細かい熟練を要する土佐の剣舞の芸と、いい勝負をしている。

4回 師範と中学の乱闘騒ぎに巻き込まれる
(10月23日月曜)
(P379-5/おれと山嵐が感心のあまり此踊を余念なく見物して居ると、半丁許り、向の方で急にわっと云う鬨の声がして、今迄穏やかに諸所を縦覧して居た連中が、俄かに波を打って、右左りに揺き始める。喧嘩だ喧嘩だと云う声がすると思うと、人の袖を潜り抜けて来た赤シャツの弟が、先生又喧嘩です、中学の方で、今朝の意趣返しをするんで、又師範の奴と決戦を始めた所です、早く来て下さいと云いながら又人の波のなかへ潜り込んでどっかへ行って仕舞った。)
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(然し頬ぺたがぴりぴりして堪らない。山嵐は大分血が出て居るぜと教えてくれた。巡査は十五六名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、捕まったのは、おれと山嵐丈である。おれらは姓名を告げて、一部始終を話したら、とも角も警察迄来いと云うから、警察へ行って、署長の前で事の顛末を述べて下宿へ帰った。)

赤シャツの弟が先生喧嘩ですと呼びに来る~止めに入る山嵐坊っちゃん~巡査に捕まったのは2人だけ

 乱闘に巻き込まれて身動きも出来ないくらいだったのが、警官隊が駆け付けて生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。坊っちゃんは動きが急に楽になった。これは小説のはるか始めの方で、質屋の勘太郎が袷の袖ごと崖の下へ落ちたので、腕が急に楽になった故事を踏まえている。田舎者の逃げ足の速いのを、敗戦ロシアの総司令官クロパトキンに喩えているからには、この祝勝会はやはり日露戦争時のものだったのだろうが、それでも坊っちゃんの手記が書かれたのが日露の直後だったので、坊っちゃんはついホットな例え話を書いてしまったが、実際には日清戦捷の頃の追憶をしていると、未練がましいようだが、まあ強いて言えないことはない。
 その議論の最大の拠り所は、やはり漱石自身が日清の頃に松山にいたという1点であろうか。「日清談判」の雄叫びもそうだが、漱石は嘘の吐けない性格なのである。それは歴史的事実をも動かしかねない。況や小説ごときの設定をや。

*注)異名の多い中期3部作 論者のこれまでのブログでは次のような「諱」で呼ばれている。「短編形式3部作」「善行3部作」「不思議3部作」「括弧書3部作」「自画自讃3部作」「謀略3部作」「一人称3部作」「鎌倉3部作」そして「ヒロイン途中退場3部作」