明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 18

274.『坊っちゃん』怒りの日々(1)――怒りの裏側には滑稽と書いてある


 さて『坊っちゃん』の物語は「いたずら5連発」で始まっているが(2階飛降り・西洋ナイフ・勘太郎退治・茂作人参畠・古川の井戸)、その底に横たわっているものは「怒りの感情」である。それも自分に対する腹立ち・イライラである。坊っちゃんはまず誰よりも自分自身に怒っている。そもそもその怒りの具体的発現たる「無鉄砲」を、「親譲り」と書いていること自体が、それを証明している。心底親のせいだと信じるなら、むしろ黙っているだろう(貧困だとか家柄がよくないとか)。人に言っても仕方ないからである。
 続いて回想される家族についても、イライラ5連発になっている。

①父。貴様はそそっかしくて何をやっても物にならない。

②母。兄許り贔屓にしてちっとも可愛がってくれない。

③兄。女みたいな狡い性格で(と漱石は思った)、仲が悪い。

④後悔する自分。母の死に目に会えなかった原因となる台所での宙返り事件。

⑤飛車投擲事件(勘当事件)。(以上第1章)

 この5番目は無理に付け足したわけではない。前述したが、この事件以後坊っちゃんは本当に危ないことはやらなくなったのである。

 少年期の記憶はともかく、松山へ行ったあとの坊っちゃんの怒りは、大きなものだけでも5つではとても収まらない。

①天麩羅蕎麦の度を超えた冷やかし。
「天麩羅先生」まではよかったが、「一.天麩羅四杯也.但莫可笑」と更なる「天麩羅を食ふと減らず口が利き度なるものなり」にはブチ切れた。坊っちゃんは短気なのでしつこいのは嫌いである。天麩羅の油で舌が廻りやすくなるのは事実だろうが。(第3章)

②バッタ事件・咄喊(吶喊)事件で生徒が白(しら)を切るのに直面したとき。
 自分のやったことはやった、悪いことは悪いと認めて始めて人間である。(第4章)

③釣り舟で野だに、浮がないと釣りが出来ないのは、「補助輪がないと自転車に乗れないのと同じ」と言われたとき。
 江戸っ子は洒落は言っても、当てこすりは許せない。坊っちゃんは野だに「沖釣には竿は用いません、糸だけでげす」と言われたときも、赤シャツに「浮がなくっちゃ釣が出来ないのは素人ですよ。こうしてね、糸が水底へ付いた時分に……」と言われたときも怒っていない。正しいことを言っているからである。ただし相手の無知(欠点)を相手の面前で当てこするのは、まったく次元の違う行為である。プライドの高い坊っちゃんは決して許さない。まさか『自転車日記』を根に持っていたわけでもあるまいが。(第5章)

山嵐が生徒を扇動して坊っちゃんに嫌がらせをした。
 山嵐はいか銀が讒訴したのを真に受けた。怒った坊っちゃん山嵐と絶交した。(第6章)

⑤職員会議での狸・赤シャツ・野だの事勿れ主義的発言に。
 悪いのは校長でもなければ坊っちゃんでもない。生徒だけに極まっている。正しい理屈の通らない「世間」に無性に腹が立つ。だからその世間から勲章をくれるといっても博士号をくれるといっても相手にしないのである。坊っちゃんが受け容れるのは恣意的でないものに限られる。清から貰った小遣いでさえ、坊っちゃんは借りたと言い張っているのである。例外的に兄から貰った600円は、当然の権利として受取るべき相続(の一部分)という認識であったろう。(第6章)

⑥うらなりの延岡転勤が赤シャツの策謀であることを知ったとき。
 しかし坊っちゃんはそれを立証できないので余計に腹が立つ。(第8章)

⑦古賀先生の送別会で主役そっちのけで酔態をさらす吉川先生その他に対して。
 坊っちゃんは酒が飲めないので早く家へ帰りたい。うらなりは自分が先に帰るわけにはいかないのでかしこまっている。坊っちゃんはそれがまた無性にじれったく悔しい。坊っちゃんはついに野だをポカリと殴る。(第9章)

⑧祝勝会の夜の事件。
 師範学校と中学校の乱闘騒ぎが翌日の新聞に出た。山嵐坊っちゃんは首謀者にされている。坊っちゃんは新聞に対して本気で怒った。丸めて庭に投げ捨てたものをもう一度拾い直して、便壺に叩き込んでいる。この感情は朝日入社後も基本的には消えていない。漱石は朝日を半分信用していない。(もちろん他の新聞も出版社も、漱石はおおむね信用していない。)(第10章)

山嵐が校長に処決を促されて辞職を決めたことが分かったとき。
 すべては赤シャツの仕組んだ罠であった。動機はマドンナである。坊っちゃんにもう学校に残るという選択肢はなくなった。思えばこれが坊っちゃんの最大の怒りであったろうか。坊っちゃんにはマドンナには何の意もないが、マドンナの存在が坊っちゃんの怒りを増幅させたことは間違いない。ケツを捲るということは漱石の人生では絶えて無かったことである。創作にせよこれほどの怒り(が具体的な行動として結実したこと)は珍しい。漱石の人物はたいていどんなことにも耐える。則天去私の態度である。例外は『心』のKであろうか。怒り(自分自身に対する)は昇華しないまま自裁の途に突き進み、その余波は、いつまでも融けずに残って空中に舞う雪の粉のように、後年の先生にまで及んだ。(第11章)

⑩最後の事件。
 待つこと8日、やっと現れた赤シャツと野だ。2人は坊っちゃんたちの悪口を言って、笑いながら角屋へ入って行った。「あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊っちゃんだから愛嬌がありますよ」「増給が厭だの辞表が出したいだのって、ありゃどうしても神経に異状があるに相違ない坊っちゃんは跳び出して殴るところを珍しく辛抱した。山嵐の計画の成就のためである。坊っちゃんは自分で言うほど無鉄砲ではなかった。(第11章)

 大きくない怒りもちゃんとある。大きな怒りだけではバランスしない。小さな怒りは半分ユーモアでもある。『坊っちゃん』は怒れる小説一辺倒ではない。

⑪港の鼻たれ小僧。(中学校はどこかと問われて)「知らんがの」(第2章)

坊っちゃんの顔を見てにやにや笑う山城屋の下女。台所で皆の大きな笑い声が聞えた。坊っちゃん江戸前の啖呵の適度な着火剤になる。(第2章)

⑬遊廓の団子旨い旨いと落書きする、小僧ならぬ大僧。(第3章)

⑭物事について考えるという習慣のない学校の小使い。(第4章)

⑮いか銀。いかさま骨董屋にして赤シャツ一派に懐柔された下宿の主人。赤シャツの金側時計は鎖り諸共贋物である。その金メッキにも及ばない銀メッキがいか銀である。(第3章・第6章)

 この15番目のいか銀の下宿については、坊っちゃんの後を襲って野だがすぐ入居した事情が分からない。赤シャツと野だによる山嵐追い落しの一環であろうか。野だは(スパイのように)何かの痕跡を探ろうとしたのか。まさか坊っちゃんがいか銀に残して行ったお茶が目的ではあるまい。それはともかく、山嵐の顔でしか入れないのなら、野だの出る幕はないだろうし、赤シャツ一派の自由になる宿なら、山嵐が紹介したという話自体が怪しくなってくる。『坊っちゃん』に難解なところはないのであるが、唯一あるとすればこの野だ下宿事件であろうか。下宿の後始末については(倫敦時代も含めて)漱石には何か書くに書けない、気にかかることがあったのかも知れない。

 ほかにも些細な腹立ちは無数にあるだろう。赤シャツや野だの一挙手一投足がいちいち癇に障る。もちろん漱石はわざとそう書いているのだが、坊っちゃんがイライラするほど読者はおかしい。落語の影響だろうか。落語の影響は『三四郎』までははっきり残っている。(『三四郎』で小さんと円遊の名を出したのを記念として、以後漱石の小説から落語の匂いは、表面的には消え去った。)

 ところで松山以降の上記怒り(大)①~⑩、怒り(小)⑪~⑮を見て、小説の後半へ進むにしたがって怒りが量質とも増大していくのが分かるが、第7章だけそれがないようだ。第7章はマドンナの章である。萩野の婆さんから聞くマドンナの噂話。清からの手紙のエピソードを挟んで、温泉行の停車場で当の本人たちに出くわし、最後は野芹川の土手で散歩デートする赤シャツとマドンナに急接近。坊っちゃんは2人を追い越していきなり振り返るという荒技も見せる。これが即ち怒りであると言えなくもないが、それを明らかにするにはまた別途検証が必要である。この章はうらなりの御母さん、萩野の婆さん、清、マドンナの母親と、坊っちゃんの好きな年寄り4人揃い踏みであるが、それが怒りの緩衝材になったのかも知れない。ちなみにマドンナの母親だけは毛色が異なるようである。マドンナの母親は途中で行方不明になる。いつの間に帰ったのだろうか。それとも温泉の座敷で休んでいたのだろうか。

 怒りとユーモアの記述だけではつまらない。『坊っちゃん』には発表誌『ホトトギス』にふさわしい詩情豊かなシーンもある。
 それはわざわざ論者が言うまでもなく、

 ターナー島の情景。こんなところへ清を連れて来たい(第5章)。

 符箋のたくさん付いた清からの便り。坊っちゃんは心地よい秋風に吹かれながら、それをひらひらさせて読む(第7章)。

 2つとも清をからませていることはさておくとしても、ストイックな漱石はあきらかにこの手の書き方を2ヶ所だけに抑えている。ほかの章では明らかにこのような寄り道的叙述を控えている。しかし1ヶ所だけというやり方も、漱石は取らなかった。なぜか。なぜ1ヶ所でなく2ヶ所なのか。

 遊びの世界に「裏を返す」という言い方がある(遊びに限らないかも知れないが)。1つだけじゃ詰まらないから、せめてもう1つないと格好がつかない。あるいはもういちど繰り返されて始めて最初の1回が活きるということでろうか。
 『坊っちゃん』でも、この長くもない小説に、あらゆることが一度は繰り返されるようだ。それは章を跨ぐこともあるし、小説の始めと終わりに置かれることもあるかも知れない。それは『坊っちゃん』が長くないからこそ試みられた手法であると言ってもいいだろう。読者の記憶力をあてにして差し支えのない短篇であるからこその、リピートであろうか。上に述べた(詩情的という)書き方そのものの話から、様々のエピソード、大道具小道具に至るまで、『坊っちゃん』に埋め込まれた仕組みであると言える。

 繰り返しは3度までという音楽的なルールを、例えば漱石も採用しているとして、しかしこの話はそれとはまた別の、ある箇所に書かれたことが、また別の箇所で書かれて、そのお互いが共鳴し合って独特の効果を生む(ことがあるかも知れない)という話である。あるタッチなり色彩が同じ画布の別なところに現れる。あるリズムなり旋律が同じ曲の別なところに刻まれる。そういう絵画的音楽的なものを、『坊っちゃん』は有っていないだろうか。