明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 19

 275.『坊っちゃん』怒りの日々(2)――怒りの裏側には「おれ」がいる


 その2つの詩的情景のうちの1つ目の、誰もが認めるターナー島の描写であるが、そのターナー島なるものを始めて世に紹介しようとするくだりからして、すでに美しい。

 船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐しいもので、見返えると、浜が小さく見える位もう出ている。高柏寺の五重の塔が森の上へ抜け出して針の様に尖がってる向側を見ると青島が浮いている。是は人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。成程石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。(『坊っちゃん』第5章)

 舟の速度については漱石の実感だろうが、沖から陸地を見返ったとき誰もが一度は経験する感慨であろうか。泳いだ場合でもこれはあるだろう。むろん潮の流れにもよるが。
「向側」にルビを振っていないのは、漱石の場合「向こう側」に極まっているからであろうが、坊っちゃんは舟から港を振り返って、それから「向こう側」を見る。たぶん首を元に戻すか、半分戻して違う角度からまた別の景色を見たのだろう。そうしたら青島が目に映った。
「向こう(向こう側)」という漱石の頻出語については、前著でも1項を割いて論じたことがあるが、正鵠を旨とする漱石には珍しい曖昧語でもある。(単に反対側という意味でなかったら)一体何の「向こう」なのか、と現代人なら、あるいは理屈っぽい人なら悩むところであろうか。漱石は自分の頭の中にあることは細かいことまで書く人であるが、また同様書かない人でもある。

 そしてこのターナー島の章の末尾もまた、何でもないような書き方ながら、ターナー島に負けず劣らず美しい文章である。

 港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛がヒューと鳴るとき、おれの乗って居た舟は磯の砂へざぐりと、舳をつき込んで動かなくなった。御早う御帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶する。おれは船端から、やっと掛声をして磯へ飛び下りた。(『坊っちゃん』第5章末尾)

 なぜこんな名文になるのであろうか。女が描かれているわけではない。いや港屋だか船宿のかみさんが登場する。前項に述べた2箇所(5章のターナー島と7章の手紙)というのも、清と関連付けての「詩情」である。清と宿のかみさんは、女という観点からは似たり寄ったりだろう。といってもこのくだりの文章の簡潔さ・力勁さは、かみさんとは関係あるまい。
 一見何の変哲もない、ただの小さな釣り舟の帰宿シーンである。単にそれだけのことがこんな文章になるのであれば、漱石でなくても港屋を小説の終わりに再度登場させたくもなるわけである。繰り返すがどうしてこんな文章が書けるのか。

 これは思うに上の文中に2度も出て来る「おれ」の手柄ではなかろうか。前にも書いたが漱石は、『猫』『坊っちゃん』『草枕』の1人称小説を、律儀にも「吾輩・おれ・余」で書き分けている。(『坑夫』では最初「僕」で書き出して、すぐ「自分」に改めているが、『坑夫』についてはここでは取り上げない。)
 これら1人称小説の主人公には名前が無いことも共通している。(『坊っちゃん』と『草枕』はまったく気にするそぶりさえ見せない。まるで金之助で構わないと言っているかのようである。『猫』では流石にそういうわけにもいかないので、名前をつけてくれないとわざとらしく愚痴を言っているが、下女に野良野良と言われているのであれば、斑猫の主張にかかわらずノラという名だったのかも知れない。)
 爾後漱石はそれらを忘れて新聞小説に邁進し、『彼岸過迄』の後半から目立たぬように、「僕」という言い方で1人称小説を復活させた。「市蔵の話」では建付けは敬太郎を語り手とした3人称小説であるが、すぐ須永市蔵が「僕」として語り始める。「松本の話」ではそれすら省略して、いきなり松本恒三が「僕」として、市蔵の過去の秘密を喋りまくる。それを聞かされているのは、『彼岸過迄』の読者には田川敬太郎であると分かっているが、そう明記されているわけではない。丁寧にも「松本の話」の最後の3回は市蔵の手紙で、そこでも市蔵は「僕」と書いている。
 『行人』という小説も、長野二郎が「自分」として語る1人称小説の形は取っているが、「塵労」の最後に来て、一郎の同僚Hさんが「私」として、二郎に手紙で旅の様子を語る。これが予行演習になったのか、『心』ではついに「私」という真打の登場である。しかもダブルで。
 小説を書き始めて10年、自然主義ではない、私小説ではないと主張するためかどうかは別として、「私」という書き方を封印してきた漱石が、満を持して「私」として書いたのが、『心』という、「だんだん長くなって困った」小説であった。そうした点で『坊っちゃん』と『心』には共通点が少なからずある。

①1人称小説。
②主人公に名前がない。
③名前はないが呼び名はある(「坊っちゃん」と「先生」)。
現代日本で1、2を争う名作。
⑤書いているうちにだんだん長くなった。
⑥(漱石であるからには、もう1つくらい必ずあるはずであるが、それはいずれ判明するであろうか。)

 ①について、「おれ」と「私」の書き別けは、オリジナリティを重視した漱石による「オマケ」であろう。「おれ」も「私」も(「吾輩」や「余」とともに)、漱石の中では唯一無二のものとして聳え立っている。「僕」もそれに近い。「僕」という1人称で語られる作品は、漱石の中では『彼岸過迄』(の「須永の話」「松本の話」)だけである。「自分」も、(『坑夫』をなかったことにすれば)『行人』だけである。「僕」「私」などという一般的な1人称の用語が、その作家の中でユニークな座を占めるということが、他の作家であり得るだろうか。
 改めて漱石の1人称小説をまとめてみるとこうなる。

A おれ 『坊っちゃん
B 吾輩 『猫』
C 余  『草枕
D 僕  『彼岸過迄
E 自分 『行人』
F 私  『心』

(『坊っちゃん』は『猫』の完結の前に書き終わっている。『猫』の「吾輩」はこのときまだ「確定」していない。『暗夜行路』みたいに最後の最後で突然「吾輩」でない語り手に取って代わるとまでは言わないが。)

 ②③についてはその通りだろう。漱石は短篇の連作のつもりで『心』というタイトルを仮に附したが、始めから長篇を書くのであれば、『先生』という題にしていたかも知れない。
 『坊っちゃん』も『心』も、主人公どころか登場人物もたいていは名前が埋もれてしまっている。前者は渾名の方が有名であるし、後者はK・先生・奥さん・御嬢さんで通っている。『坊っちゃん』の清と『心』の静(奥さん)が唯一の例外のようにも見えるが、清は年配の下女の世襲名と見れば、立派にその仲間入りが出来よう。先生の奥さんも小説の中では、基本的には名無しの美人の奥さんである。静はたまたまそう呼ばれた(ことがある)に過ぎない。それとも先生の奥さんは主人公の仲間から外されているのだろうか。存在感のなさのゆえに、あるいはその無垢の精神性のゆえに。
 ④日本一かどうかは漱石の知ったことではないが、『明暗』を書いているときの漱石には、もうそれくらいの自負はあったのではないか。『明暗』が完成すればまた話は変わるかも知れないが、今の自分の代表作は『坊っちゃん』か『心』だろう。――『猫』は漱石の中ではナンバーワンではなかった。『猫』は(贅沢にも)小説というより習作・作文(写生文)という位置付けであった。
 ⑤は『明暗』の専売特許のように思われている。慥かに『明暗』は「書いてるうちにだんだん長くなった」作品のチャンピオンであろうが、それでも未完成である以上、完成のあかつきに作品の長さについて、漱石が何か別のことを言い出す可能性は残っている。それに『明暗』がそうだからといって、『坊っちゃん』と『心』の共通点でなくなるというわけのものでもあるまい。

 『心』のことはさておくとしても、『坊っちゃん』の上記2つの引用文のような書き振りを見ると、「おれ」という主人公で、漱石がもう1作書いていたらと、ないものねだりをついしてしまう。しかしそれは「私」でも「吾輩」でも同じことで、漱石にあってはすべてが(人生のように)1回こっきりのものである。同じものはおろか、似たようなものすら皆無なのであるから、漱石を一般の基準で「文学者・作家」(「芸術家」でも「詩人」でもいいが)などと分類することさえ憚られる。そもそも漱石を作家論とか文芸評論とかの土俵で論じること、他の作家と比べること自体意味がないのではないか。漱石が職業作家であれば、『猫』の続篇や『坊っちゃん』のような作品をもう1つという(記者や読者の)要請に、ご愛嬌にも応えることが(1回くらい)あってよさそうなものであるが、漱石に限ってその心配はない。その限りで漱石は職業人ではないことになる。もちろんアマチュアでもあり得ない。
 人間の男子という分類には流石の漱石も否定はしまいが、それもあと五百年千年のうちにはその分類も怪しくなってくるかも知れない。いわんや文筆業とか小説家などという呼称は、漱石を含む無数の現近代の作家たちと共に、その寿命を終える時が必ず到来するであろう。つまり漱石漱石としてのみ(紫式部兼好法師のように)、五百年千年後を生き続けるだろう。