明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 11

267.『坊っちゃん聖典発掘(2)――松山弁の呪縛(つづき)


 『坊っちゃん』で有名になったのは中学校生徒の発する松山弁の方であろうが、授業やおなじみのバッタ事件のくだりに虚子の手はほとんど入っていない。これはエピソードが半ば坊っちゃんの口で語られていることと(セリフ形式でなく)、漱石は実際に伊予中学で1年間教鞭を取っていたのだから、生徒に変な松山弁を喋らせなくて済むわけである。それで漱石の心配したのは、明らかに(モデルはいたにせよ)創作である萩野の婆さんのシーンである。
 宿の女中やいか銀の主人、中学の教師等、ある程度の社会性を持たせる登場人物には、漱石は(ネイティヴの)松山弁の必要性を認めない。(マドンナは松山弁どころか、一言もセリフを発していない。)松山弁を丸出しにするのは中学生でなければ下宿の婆さんしかいない。
 その萩野の婆さんの活躍から、念の為にもう1ヶ所だけ抜いてみる。うらなり都落ちの真相が語られる第8章である。写真版原稿の97枚目から99枚目まで、凡そ3枚分。

《第8章の岩波版全集本文=青字、うち虚子添削部分と思われるもの=赤字》

 所へ不相変婆さんが夕食を運んで出る。今日も亦芋ですかいと聞いて見たら、いえ今日は御豆腐ぞなもしと云つた。どつちにしたつて似たものだ。
「御婆さん古賀さんは日向へ行くさうですね」
ほん當に*御気の毒ぢやがな、もし」
「御気の毒だつて、好んで行くんなら仕方がないですね」
「好んで行くて、誰がぞなもし
「誰がぞなもしつて、當人がさ。古賀先生が物数奇に行くんぢやありませんか」
「そりやあなた、大違ひの勘五郎ぞなもし
「勘五郎かね。だつて今赤シやツがさう云ひましたぜ。夫が勘五郎なら赤シやツは嘘つきの法螺右衛門だ」
「教頭さんが、さう御云ひるのは尤もぢやが、古賀さんの御往きともないのも尤もぞなもし
「そんなら両方尤もなんですね。御婆さんは公平でいゝ。一体どう云ふ訳なんですい」
「今朝古賀のお母さんが見えて、段々訳を御話したがなもし
「どんな訳を御話したんです」
「あそこも御父さんが御亡くなりてから、あたし達が思ふ程暮し向が豊かになうて御困りぢやけれ、御母さんが校長さんに御頼みて、もう四年も勤めて居るものぢやけれ、どうぞ毎月頂くものを、今少しふやして御呉れんかてゝ、あなた
「成程」
「校長さんが、ようまあ考へて見とこうと御お云ひたげな。夫で御母さんも安心して、今に増給の御沙汰があろぞ、今月か来月かと首を長くし待つて御いでた所へ、校長さんが一寸来て来れ*と古賀さんに御云ひるけれ、行つてみると、気の毒だが学校は金が足りんけれ、月給を上げる訳にゆかん。然し延岡になら空いた口があって、其方なら毎月五円余分にとれるから、御望み通りでよからうと思ふて、其手続きにしたから行くがえゝと云はれたげな。――」
「ぢや相談ぢやない、命令ぢやありませんか」
「左様よ。古賀さんはよそへ行つて月給が増すより、元の儘でもえゝから、こゝに居りたい。屋敷もあるし、母もあるからと御頼みたけれども、もうさう極めたあとで、古賀さんの代りは出来て居るけれ仕方がないと校長が御云ひたげな」
「へん人を馬鹿にしてら、面白くもない。ぢや古賀さんは行く気はないんですね。どうれで変だと思つた。五円位上がつたつて、あんな山の中へ猿の御相手をしに行く唐変木はまづないからね」
唐変木て、先生なんぞなもし
「何でもいゝでさあ、――全く赤シやツの作略だね。よくない仕打だ。まるで欺撃ですね。それでおれの月給を上げるなんて、不都合な事があるものか。上げてやるつたつて、誰が上がつて遣るものか」
「先生は月給が御上りるのかなもし
「上げてやるつて云ふから、断はらうと思ふんです」
「何で、御断はりるのぞなもし
「何でも御断はりだ。御婆さん、あの赤シやツは馬鹿ですぜ。卑怯でさあ」
「卑怯でもあんた*、月給を上げておくれたら、大人しく頂いて置く方が得ぞなもし。若いうちはよく腹の立つものぢやが、年をとつてから考へると、も少しの我慢ぢやあつたのに惜しい事をした。腹立てた為めにこないな損をしたと悔むのが當り前ぢやけれ、お婆の言ふ事をきいて、赤シやツさんが月給をあげてやろと御言ひたら、難有うと受けて御置なさいや」
「年寄の癖に余計な世話を焼かなくつてもいゝ。おれの月給は上がらうと下がらうとおれの月給だ」
 婆さんはだまつて引き込んだ。・・・(『坊っちゃん』第8章)

註* ほん當に御気の毒 前項でも述べたところであるが、第7章と同じく、「ほんに」から「ほんとうに」の改訂がここでも行われている。「ほんに御気の毒ぢやがなもし」を「ほん當に御気の毒ぢやがなもし」に改めている。この「當」の字を挿入したのは誰か。字を見れば漱石、方言の視点からは虚子、ではあるが、第8章のこの部分の吹き出しの「當」は、また筆跡が微妙に異なるようにも見えなくもない。
 調子に乗って調べたら『坊っちゃん』全体で當の字は60何ヶ所か書かれている。(白紙の原稿用紙に)勢いよく書かれた字は大抵同じ書き方である。訂正箇所のようなところに書く場合は、スピードが落ちて楷書でいくらか丁寧に書かれるようだ。はっきり別人の書き入れとは断じ難いが、漱石が直すのであれば、「當」だけ吹き出しで入れるより「ほん」を「本當」に改めないだろうか。「ほんに」という関西風を「ほんとうに」と改めたいのは虚子の方であろうが、だからといって虚子が當の字だけ挿入したとも考えにくい。「ほん當」という字面で平気なのは、むしろ漱石の方であるが。

 話が込み入るので前項では触れなかったが、第7章の方の萩野の婆さんとの会話への導入部分、

 それぢや僕も二十四で御嫁を御貰ひるけれ、世話をして御呉れんかなと田舎言葉を真似て頼んで見たら、御婆さん正直に本當かなもしと聞いた。
本當ほんとう本當ほんまつて僕あ、嫁が貰ひ度つて仕方がないんだ」

 このくだりは一番始めの、「本當かなもしと聞いた」の「本當」は、「ほんま」とルビを振ったものが、後から消されている。誰が消したのであろうか。それが誰であっても、この部分の「本當」は最終的にはふつうに「ほんとう」と読んで構わないということだろう。だから次の「ほんとうほんまのって」は当初、「ほんまほんとうのって」と続くべきところを、ポジションを入れ替える校正の指示がなされて、現行のような本文になっている。
 ここは漱石が推敲時に直したのかも知れないが、元来このくだりは坊っちゃんの飛ばしたヨタに単純な婆さんが(形だけにせよ)引っかかったという洒落である。それで漱石はいきなり本當(ほんま)という無理筋のルビを使って、そのあとにすぐ「本當(ほんま)の本當(ほんとう)のって」と教師らしい訂正を含んだセリフを続けているのである。

 萩野の婆さんに「ほんま」ではなく「ほんとう」と言わせたい人間がいるとすれば、それは漱石よりは虚子の方であろう。虚子は「ほんに」も「ほんま」も認めたくなかった。この一連の流れを見ると、「本當」がらみは皆んなまとめて虚子のせいに出来なくもない。そう思って高浜虚子の写生文(小説)にあたってみると、「ほんに」も「ほんま」も使用例は皆無に近いようである。虚子は「本当」「本当に」の方を使っている。(これは東京生れの漱石も同じであるが。)

 ということで、こんなことを続けていたら『坊っちゃん』が『明暗』になってしまうので、これで止める。なお岩波の本文は「ほん当」であるが、説明がさらに煩雑になるので、ここだけ漢字の旧字体を使った。論者は当でも當でも構わない方であるが、こういう論点からすると旧字体のメリットは大いにあると言えよう。しかし自分で言うのもナンだが、どうでもよい話と見る向きも多かろう。

註* 一寸来て来れ ここは(第11章「来て来れなくても」ともども)漱石の(確信犯的)誤記であろう。岩波の本文「一寸来て」は強引に過ぎよう。いくら「来」が「く」とも読めるからといって、ここは「一寸来て呉れ」と直して済むところである。昭和の全集の本文「一寸来てくれ」(第8章)「来てくれなければ」(第11章)でもいいが、それでは敗北主義であると、平成の全集作成者は感じたのか。漱石が「く」に漢字を使っていることは事実である。しかし「来て来れ」などという日本語がある筈がないではないか。

註* あんた ここは間違いなく虚子の添削漏れ、見落としであろう。おかげで「あなた」に統一されている(はずの)岩波の本文も、この1ヶ所だけ「あんた」になってしまった。思えば虚子も中途半端なことをしたものである。

 さて第2ブロックになると、さすがに虚子の添削の量は減ったようである。漱石も慣れて来たのか、それとも虚子の方が(配本時間も迫って)余裕が無くなってきたのか。

《『坊っちゃん』本文の引用元》
集英社版直筆で読む「坊っちゃん」(2007年10月)
岩波書店漱石全集第2巻(1994年1月)・定本漱石全集第2巻(2017年1月)