明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 14

136.『停留所』一日一回(6)――25回~36回


25回 西と東2つの小川町停留所

 尾行のミッションは、電車で三田方面から来て小川町で降りる男。市電は小川町(江戸の子漱石はわざわざ「おがわまち」と正しくルビを振っているが、おそらく当時は一般には「ちょう」の方が優勢だったのだろう。山手線をヤマテセンと呼んだ類いである。神田須田町・美土代町・神保町とくれば誰でもオガワチョウと言いたくなるではないか)で左右に分岐する。右(東)が須永や敬太郎の棲む須田町・本郷方面。左(西)が神保町・九段・飯田橋方面である。
 浅草には詳しいが地方出身者の敬太郎は、何となく自分のよく利用する線路(東)の方に立っていた。丁字路で日比谷の方から電車が来るのが見渡せる。手持ち無沙汰にショウウィンドゥを眺めながら西の方へ移動すると、敬太郎はここで始めて小川町の停留所が西にもあることに気付く。西と東、どちらで待つべきか。迂闊を後悔する敬太郎は決断を迫られる。

26回 矢っ張り東が好かろう

 江戸川橋行電車に飛び乗ろうとした男に蹴飛ばされたステッキの、蛇頭の部分が東を向いて倒れた。敬太郎はせっかく占い婆の予言したステッキを信じないわけには行かない。東の停留所に移動してそれに賭けることにした。
 するとそこで廂髪に結った一人の若い女を見る。

27回 田口千代子2回目の登場

 千代子はここで2回目の登場であるが、敬太郎はそれとは気付かない。当然名前もまだないが、このあと長い前奏部が続く。『三四郎』の池の女をしのぐ力の入れようである。漱石にとって美禰子は思いつきで創造した「新しい女」の一人に過ぎなかったが、あれから4年経って、千代子は少し垢抜けて再登場したのだろうか。「鼻が低い」と書かれる以上、ヒロインの資格はないのだろうか。それとも容貌を超える何かがあるのだろうか。

28回 敬太郎断念す

 4時から5時という到着時刻の指示、その5時をとっくに過ぎて、前述のように敬太郎は癇癪を破裂させる。『心/先生と遺書』で、虱のたかった羽二重を根津の泥溝へ叩き込んだ友人みたいに、敬太郎も森本の洋杖をへし折って、御茶ノ水に放り込む発作に駆られる。実際癇癪持ちの若い漱石は、何か品物を神田川に叩き込んだ経験があるに違いない。

 しかし敬太郎はこの回の前後、漱石の代行者として、千代子の描写に専念することによって、ミッションの失敗を忘れようとする。前作『門』の、延々と続く公案のシーンほどではないが、この敬太郎の目を通した千代子の描写シーンほど、結果的に虚しい叙述は無い。ここで描かれた千代子の外形は、『彼岸過迄』のハイライトたる『須永の話』と、何の所縁もない別の話になってしまっている。

29回 女を見ていたら突然目的の男が現われる

 それでも停留所と女という組合せは漱石にとって悪くないシーンのようである。『風呂の後』11回に出て来た、内幸町の停留所で見た「玄人のような素人のような」蛇の目の女。それを受けて小川町の停留所に登場する、これまた身分不明の女。敬太郎は女が自分の乗るべき電車を見失ったのではないかと思うが、幸いにも声は掛けなかった。読者はいやでも『それから』で代助が乗り場の間違いを教えてやった女を想起する。代助は嫂の策略にわざと乗って歌舞伎座で佐川の娘と見合いをする。騙された代助はその帰り途、たぶん築地であろうが、子供を負ぶった主婦にお節介にも「御神さん、電車へ乗るなら、此所じゃ不可ない。向こう側だ」と声を掛ける。主婦は(千代子みたいに)誰かを待ち合わせているかも知れないのだから、このシーンの真意は、「代助は騙される男である」であろう。漱石の男は苦沙弥も坊っちゃんも、ずっと続いて最後の津田に至るまで、全員騙される男である。敬太郎も広い意味ではこのとき田口に騙されていたとは言える。

30回 敬太郎はなぜ目的の人物を特定し得たのか

 1時間以上も経った時刻に、女の前に立ちはだかった男は、一応田口の指定した年恰好ではあった。外套の色は判然としない。中折だけが一致している。といっても当時男は全員帽子を被っていたから、中折の男もまた無数にいるだろう。眉間の黒子を確認するには、敬太郎と男の距離が遠すぎた。しかし敬太郎は男を目当ての人物と断定した。随分乱暴な即断である。神田小川町は、天下堂という名が示す通り、当時の繁華街である。まず男の黒子にぶち当たらない限り、人物の特定など不可能ではないか。

31回 4時~5時のデートに6時到着とは

 敬太郎は男女を追って宝亭に入る。漱石は宝亭を知っている。敬太郎も宝亭を知っている。だから宝亭と書く。在京の読者は宝亭を、半分は知っているかもしれない。地方の読者は宝亭を、知っている人がいるかも知れない。漱石はそういうことに関心がない。まさに江戸の文化人である。浮世絵である。そこに描かれた世界を、知らない人に説明するという発想が無い。その必要を認めない。べつに東京に在るから必要を認めないのではない。松山のソバ屋でもいい。そこにあるからそう書くのである。知らない人に教えるつもりはない。知らなくて結構。ただ自分でまさしくそう書くだけである。それが百年の命脈を保つ。へんに気取って自分の住む町の喫茶店なりを、客観を装って描写する。その寿命は当該飲食店の寿命より却って短かろう。

32回 敬太郎は男の眉と眉の間に大きな黒子を認めた

 宝亭の内部の描写はさすがである。自分の知っているレストランの内部を描写する。誰でも出来ることかも知れない。しかしタブローに描くことを想像すると、誰もがそれをセザンヌやファンゴッホのようにやり遂げるわけでもない。

33回 男女の話はちっとも分からない

 敬太郎は聞き耳を立てるが、男と女の話はとりとめなくてちっとも分からない。小鳥の料理が出て来る。胃腸の弱い漱石がそんなものを食べてはいけない、と漱石ファンなら思うが、鶫や鶉がとくべつ消化に悪いわけではないようだ。塩落花生もしかり。

34回 敬太郎は先に店を出る

 最後の会話。こめかみの黒子がみっともないから、早く取ってしまえと無遠慮に言う女に対し、男は生まれつきだから仕方ないと応える。名前が付かないのも親譲りの無鉄砲なのも、生まれつきだから敢えて直されなくてよいのである。漱石愛読者としては安堵すべき見解であろう。これが則天去私である。

35回 男と女謎の反転

 洋食屋を出てからの男女の動線はやや難解である。小川町の丁字路の上辺を右から左へ(東から西へ)進むのは、賑わう店舗を覗くためか。あるいは女は西行の電車(江戸川橋行)に乗る男を見送ろうとしたのか。ところが男女は線路の走る大通りを1回南へ渡り切り、さらにもう1回東に渡り返して、美土代町の停留所へ歩いた。洋食屋から直接停留所へ向かうとすれば、結果として大きく迂回したことになる。女は南下する電車で帰った(内幸町)。この理由が後段で書かれることがあるのだろうか。食後の腹ごなしに無駄に歩いたのだろうか。

36回 尾行失敗

 江戸川橋の終点で男も敬太郎も下車する。降り出した雨のなか俥を雇う男。敬太郎も俥で追いかける。矢来の坂を交番まで上がると、一筋道が二股に割れている。神楽坂の方か早稲田の方か。敬太郎は男を見失った。