明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 13

135.『停留所』一日一回(5)――24回


24回 漱石作品中唯一の策謀「法学協会雑誌」事件

 敬太郎は出かけるのに、知らん顔して傘立てから洋杖を抜き取って出ればよい。しかし正直な敬太郎は平静を装うことが出来ない。そもそも漱石のような噓の吐けないタイプの人間は、知らん顔ということが出来ない。その理由は「知っている」からである。
 それで漱石の作中人物は、こんなときには出かけることが出来ずに、みすみすチャンスを逃す(ばかりでもないだろうが)。
 珍しく敬太郎は不要とも思われる策略をめぐらし、雷獣に法学協会雑誌を取りに行かせて、その隙に森本の洋杖をマントの下に隠す。おそらく漱石としては、忸怩たる思いで、このくだりを書いたのであろう。こんな策謀シーンは、漱石の全作品を探しても他に見つからない。

 これが尾を引いたのだろうか、次の『行人』『心』になると、話が意外な方向に発展して、登場人物が意図しないまま、その実読み方によっては、大策略のストーリーが描かれる。
 それは勿論『行人』の「和歌の浦一泊事件」と『心』の「先生の求婚事件」である。
『行人』は、見方を変えると、一郎の謀略と言えなくもない。愛情をためすと言いくるめて弟をそそのかし、不貞・離縁からお直二郎の抹殺を企む。この企画は上手く行かなかったが、二郎とお直が2人きりで同じ部屋で一夜を共にした事実は残る。母親は不快なそぶりを見せるが、ふつうならそんな程度では済むまい。父親(と芳江)が和歌山旅行に参加しなかったわけが妙に納得される。
『心』の先生は、Kを出し抜いてお嬢さんに求婚する。謀略に成功した先生は、お嬢さん を手に入れたものの、Kの自殺によって意外の報復を受ける。前著でも述べたことだが、先生は死刑判決を受け、12年(十二年)の後その刑は執行された(ように見える)。
 このような「謀略」は、『三四郎』『それから』『門』の三部作はおろか、あの『虞美人草』にさえ見られなかったことである。

 もうひとつ、この読み方を敷衍すると、『彼岸過迄』のハイライトたる『須永の話』の中の、市蔵とお作が2人きりで幾晩か(3夜、恐らく丸2日)を過ごす逸話が、市蔵の「母親」の深慮遠謀に基づくものであったとする見方が可能である。前著で論者は、このシチュエーションについて、漱石作品最大の疑問であると述べた。その考えは今でも変わらないが、これが須永の母が無意識にたくらんだことと見れば、母親は(赤の他人の)市蔵を、自分の夫と同じ罪を犯させることにより、亡き夫とその忘れ形見市蔵に復讐しようとした、と言えなくもない。
 そうではない。母は自分の血筋を(婚家に)残すために、妹の子(千代子)と市蔵の結婚を望んだ。しかしそう主張しているのは、実弟の松本だけである。だいたい血筋を残すという発想が男のものであろう。須永の父がそれを望むというなら分かる。嫁に来た須永の母が婚家の血脈を残したがるだろうか。
 須永の母は夫の意を体現して余生を生きたのだろうか。須永の母は実の子(妙)を失っている。あるいは市蔵がその身代りとして母親の生き甲斐になったのだろうか。しかしこれらの仮定は、漱石の本貫からすると、むしろ有り得ないことの部類に属するのではないか。立場は少し違うが、『虞美人草』の甲野欣吾と義理の母(謎の女)との隔絶のような描き方が、本来の漱石である。

 それはともかく、このように『彼岸過迄/停留所』の「法学協会雑誌事件」は、後段の「市蔵お作疑似恋愛事件」のきっかけとなっただけなく、それに続く3部作の中に「和歌の浦一泊事件」「先生の求婚事件」を呼び起こしたと言える。その意味で『彼岸過迄』『行人』『心』は「謀略3部作」と言えなくもない。漱石の意図は別としても。

 では同じ『停留所』13回で、須永の母によって語られた剽軽者田口要作の、「贋ラヴレター事件」はどうであろうか。たわいもない悪戯といえばそれまでだが、謀略の基本要件は備えている。この事件の仲間は、『猫』(アンドレア・デル・サルト事件、トチメンボー事件)、『坊っちゃん』(バッタ事件)、始め漱石作品の至る所に充ちみちている。締め括りは『明暗』吉川夫人の、(津田を清子のいる温泉宿へ送り込むという)画策であろうか。漱石はこれも単なるイタズラであると釈明している。
 これらの違いは結局、後ろめたさを持つかどうかの違いであろう。敬太郎は明らかに罪の意識がある。漱石は敬太郎に自省的な言辞を吐かせていないが、敬太郎が雷獣の裏をかいたことに拘っていることは確かである。後に敬太郎は尾行に失敗したと思ったとき、怒って洋杖をぶち折り、御茶ノ水に叩き込もうとした(実行はしなかったが)。

 この罪の意識は、後の3つの事件(市蔵の母・一郎・先生)では巧妙に隠された。しかし漱石の中では生き続けたのではないだろうか。それは不幸にも、最後の『道草』と『明暗』で、読者にある種の誤解を与える基(もとい)となった。
 悪意に満ちた描き方をされる島田。互いに詭謀的な言辞を繰り返すように見える津田とお延。漱石の書きたかったのはそういうことではあるまい。漱石の目的とかけ離れた読み方をされてしまったのは、その源流にある「謀略3部作」に通底する漱石の後ろめたさであろうが、しかしこれはまた別の機会に述べることにしよう。