明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 28

150.『須永の話』(6)――市蔵のカレンダー


 とりあえず市蔵と敬太郎の今柴又にいるのが明治45年2月として、市蔵のカレンダーを作成してみよう。市蔵は後半の鎌倉事件のことを、「僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。」(『須永の話』13回)と語り始めるから、市蔵の大学修業年限は4年であった。従って市蔵の場合は少し早まっている可能性はあるものの、三四郎・代助・宗助の大学入学時23歳を、ここでも仮に踏襲しておく。漱石臨機応変の作家ではない。
 千代子は市蔵の6歳下でいいだろう。原稿では「四つか五つ違」とあったのを、初版本で「五つか六つ違」に直しているから(『須永の話』1回)、まあ6歳年下であろう。5歳年下ならわざわざ直すこともないからである。(もちろん真実5歳下であることも考えられる。「四つか五つ」という表現自体を変更したかっただけかも知れない。ただ漱石の書く夫婦はたいていの場合、もっと歳が離れている場合の方が多い。)

①母は僕の高等学校に這入った時分夫となく千代子の事を仄めかした。(『須永の話』6回)

②母は高等学校時代に匂わした千代子の問題を、僕が大学の二年になる迄、凝と懐に抱いた儘一人で温めていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂のあった或日の晩――そっと僕の前に出して見せた。・・・僕は何心なく従妹は血属だから厭だと答えた。(同6回)

③「妾行って上げましょうか」(同7回)

④「市さん久し振りに一局やろうか」(同8回)

⑤夫から二ヶ月許の間僕は田口の家へ近寄らなかった。(同9回)

今の一番仕舞の物語は何時頃の事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生位の時の出来事だと須永は答えた。(同13回)

僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。(同13回)

 ⑥は風邪引き留守番事件と代理電話事件の日のことを指す。⑦はこれから語られる鎌倉の事件のことである。
 市蔵の年表は次の通り。⑧~⑫は『彼岸過迄』の物語の進行に沿うたものであるが、⑫『須永の話』のみ須永の喋っている柴又の今現在を表わし、その中身が①~⑦ということになる。

明治37年 高校1年 20歳 ①
明治38年 高校2年 21歳
明治39年 高校3年 22歳
明治40年 大学1年 23歳
明治41年 大学2年 24歳
明治42年 大学3年 25歳 ②③④⑤⑥
明治43年 大学4年 26歳 ⑦
明治44年 卒業年度 27歳 ⑧⑨⑩⑪
明治45年 その翌年 28歳 ⑫

 両者を合体すると、

①ほのめかし(6回) 明治37年後半 市蔵20歳・千代子14歳

②貰ったらいい(6回) 明治42年4月 市蔵25歳・千代子19歳

③④⑤(7回~9回) 明治42年夏頃 市蔵25歳・千代子19歳

⑥留守番事件(13回)  明治42年秋頃 市蔵25歳・千代子19歳。

⑦鎌倉事件(13回以降) 明治43年夏頃 市蔵26歳・千代子20歳。

⑧『風呂の後』  明治44年11月 市蔵27歳・千代子21歳。

⑨『停留所』   明治44年12月 市蔵27歳・千代子21歳。

⑩『報告』    明治44年12月 市蔵27歳・千代子21歳。

⑪『雨の降る日』 明治44年11月・12月 市蔵27歳・千代子21歳。

⑫『須永の話』  明治45年2月 市蔵28歳・千代子22歳。

『雨の降る日』は『須永の話』同様、(千代子の喋っている)明治45年の年初とすべきであろうが、『彼岸過迄』の物語の本筋に直接影響しないから、ここでは分かりやすくするため、事件(宵子の事故)の起こった月とする。
 年表を作ってみると、問題が3つ浮かんで来よう。
 1番目は②結婚問題の「大学2年の春休み」から、⑥風邪引き留守番事件の「大学3年位の時」までの期間が、いかにも長過ぎるという点である。市蔵が田口家をご無沙汰する2ヶ月間は、ちょうど年度替わりの夏休みでいいとしても、春休みの4月から、3年生になった9月までの半年間は、そんなことでは追い付くまい。市蔵は母と千代子が抜け駆けせぬかと気を揉んでいたのだが、半年間も気を揉んでいたのでは身体が持つまい。

 もうひとつは千代子の「成長」の問題である。
 千代子は暦の上からは、③-⑥-⑦-⑨-⑩-⑪と活躍する。19歳-20歳-21歳である(当り前だが)。小説に描かれる順番は、⑨-⑩-⑪-③-⑥-⑦である。21歳-19歳-20歳である。21歳の千代子はあくまで脇役、19歳の千代子は前項で終わり、これから書かれるのが20歳である。漱石もなかなか難しい書き方にチャレンジしたものである。年月を遡及すると、カレンダー的に辻褄の合わなくなることの多い漱石であるが、前後に矛盾が生じないか、『須永の話』後半のチェックポイントであろう。

 最後、⑥(留守番事件)のあと、「これが今から1年前の出来事であったなら」(『須永の話』11回)と市蔵が悔やむというのであるが、市蔵がそう悔やむのは分かるが、さてその暇があるかという問題である。1年後は鎌倉帰りの大喧嘩が待っている。2年後は『松本の話』の中身、それから『彼岸過迄』の物語が始まるのであるが、市蔵の悔やみ方は少し苦しいのではないか。その後に引き続いて起こる諸事件は、無視されているのではないか。
 そして敬太郎も、⑥(留守番事件)について、その毀誉褒貶を過去1年に絞って、市蔵から改めて聞き出そうとしている(『須永の話』13回)。留守番事件から2年半は経過しているのに、直近の1年間にこだわる理由が分からない。

 だがこの年表は、『須永の話』後半および『松本の話』によって、更新されるだろうか。疑問点は解消されるかも知れないし、さらに拡大する可能性もある。