明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」道草篇 11

385.『道草』初恋考(4)――『文鳥』と『永日小品』をつなぐもの


 漱石は自分の初恋を書かなかった。書かなかったからこそ様々に喧(かまびす)しいのであろう。奥手で理屈っぽく、粗暴で含羞み屋の金之助に艶っぽい話などなくて当然とも言えるが、ただ1つ、明治42年、漱石最初のエセイ集『永日小品』の中に、その前年の『文鳥』のディレクターズカットのような、『夢十夜』の続篇のような、幻想的で不思議な断片がある。

 二階の手摺に湯上りの手拭を懸けて、日の目の多い春の町を見下すと、頭巾を被って、白い髭を疎らに生やした下駄の歯入が垣の外を通る。古い鼓を天秤棒に括りつ付けて、竹のへらでかんかんと敲くのだが、其の音は頭の中で不図思い出した記憶の様に、鋭いくせに、何所か気が抜けている。爺さんが筋向(むこう)の医者の門の傍へ来て、例の冴え損なった春の鼓をかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気が付かずに、青い竹垣をなぞえに向(むこう)の方へ廻り込んで見えなくなった。鳥は一摶に手摺の下迄飛んで来た。しばらくは柘榴の細枝に留っていたが、落ち付かぬと見えて、二三度身振を易える拍子に、不図①欄干に倚りかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。枝の上が煙る如くに動いたと思ったら小鳥はもう奇麗な足で手摺の桟を踏まえている。
 まだ見た事のない鳥だから、名前を知ろう筈はないが、其色合が著るしく自分の心を動かした。鶯に似て少し渋味の勝った翼に、胸は燻んだ、煉瓦の色に似て、吹けば飛びそうに、ふわついている。其の辺には柔かな波を時々打たして、凝と大人しくしている。怖すのは罪だと思って、②自分もしばらく、手摺に倚った儘、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身を後へ引いた。同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。自分と鳥の間は僅か一尺程に過ぎない。自分は③半ば無意識に右手を美しい鳥の方に出した。鳥は柔かな翼と、華奢な足と、漣の打つ胸の凡てを挙げて、其の④運命を自分に託するものの如く、⑤向うからわが手の中に、安らかに飛び移った。自分は其の時丸味のある頭を上から眺めて、此の鳥は……と思った。然し此の鳥は……の後はどうしても思い出せなかった。ただ心の底の方に其の後が潜んでいて、総体を薄く暈す様に見えた。此の心の底一面に煮染んだものを、ある不可思議の力で、一所に集めて判然と熟視したら、其の形は、――矢っ張り此の時、此の場に、⑥自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。自分は直に籠の中に鳥を入れて、春の日影の傾く迄眺めていた。そうして⑦此の鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた
 やがて散歩に出た。欣々然として、あてもないのに、町の数をいくつも通り越して、賑かな往来を行ける所迄行ったら、往来は右へ折れたり左へ曲ったりして、知らない人の後から、知らない人がいくらでも出て来る。いくら歩いても賑かで、陽気で、楽々しているから、自分は何処の点で世界と接触して、其接触するところに一種の窮屈を感ずるのか、殆ど想像も及ばない。知らない人に幾千人となく出逢うのは嬉しいが、ただ嬉しい丈で、その嬉しい人の眼付も鼻付も頓と頭に映らなかった。すると何処かで、宝鈴が落ちて廂瓦に当る様な音がしたので、はっと思って向うを見ると、五六間先の小路の入口に一人の女が立っていた。何を着ていたか、どんな髷に結っていたか、殆ど分らなかった。ただ眼に映ったのは其の顔である。其の顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事の六ずかしい――否、眼と口と鼻と眉と額と一所になって、⑧たった一つ自分の為に作り上げられた顔である。⑨百年の昔から此処に立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。⑩百年の後迄自分を従えて何処迄も行く顔である。黙って物を云う顔である。女は黙って後を向いた。追付いて見ると、⑪小路と思ったのは露次で、不断の自分なら躊躇する位に細くて薄暗い。けれども女は黙って其の中へ這入って行く。黙っている。けれども自分に後を跟けて来いと云う。⑫自分は身を穿める様にして、露次の中に這入った
 黒い暖簾がふわふわして居る。白い字が染抜いてある。其の次には頭を掠める位に軒灯が出ていた。真中に三階松が書いて下に本とあった。其の次には硝子の箱に軽焼の霰が詰っていた。其の次には軒の下に、更紗の小片を五つ六つ四角な枠の中に並べたのが懸けてあった。それから香水の瓶が見えた。すると露次は真黒な土蔵の壁で行き留った。女は二尺程前に居た。と思うと、急に自分の方を振り返った。そうして急に右へ曲った。⑬其の時自分の頭は突然先刻の鳥の心持に変化した。そうして女に尾いて、すぐ右へ曲った。右へ曲ると、⑭前よりも長い露次が、細く薄暗く、ずっと続いている。⑮自分は女の黙って思惟する儘に、此の細く薄暗く、しかもずっと続いている露次の中を鳥の様にどこ迄も跟いて行った。(『永日小品/心』)(全文)

 前半が「鳥と自分」、後半が「女と自分」という構成。季節は春である。時代や場所は不明だが、漱石が2階にいること、待合のようなところを女に導かれて行くことから、先の項(第7項・第8項)で述べた、『硝子戸の中』に書かれた東屋(神楽坂の芸者置屋)に移る前の高田庄吉の家(通寺町)が想定されているのだろうか。少なくとも十代、書生時代の頃の話であろう。しかし時代も場所も、鳥や女さえも、夢の中の出来事のように、あるいは何かの暗喩であるかの如く、不気味で捉えどころがない。
 鳥はまず文鳥であろうが(『文鳥』は『永日小品』の前年に書かれている)、白梅の中から飛び立つ鶯に似た鳥とあるからメジロのような野鳥にも見え、しかもこの野鳥はなぜか人の手に止まって漱石の手許にあった鳥籠に入る。まさに空想上の鳥であるが、この鳥は、

・自分を見上げるポーズをとる(①)
・運命を自分に託す覚悟をもつ(④)
・向こうから進んで自分の手の中に飛び込んで来る(⑤)

 という3点セットにより、漱石の希求するタイプの女であることが分かる。漱石はいくら気に入った女であっても、自分から女に向かって行くことはしない(②)。プライドが高く失敗を懼れるからで、瘦せ我慢を厭わない。しかし真に漱石らしいのは、奇跡的に女が自ら我が掌中に飛び込んで来たとき、普通の男は即座に論理を棄却するが、漱石に限っては迂遠にも女の真意を忖度しようとする(⑦)。例えばこの女は自分に惚れたのだろうか、自分の持っている金に惚れたのだろうかと(『彼岸過迄』の田口要作)。
 そうしてその女について、どこまでも研究して、女が自分に心を許した「正しい理由」を求めずにはいられない。(これを人は変人と言い、例えば『明暗』の吉川夫人は津田由雄に研究癖があるといって鬱陶しがる。)

・自分のためだけに作り上げられた顔(⑧)
・百年前から自分を待ってその場所に立っていた顔(⑨)
・さらに百年後まで自分を従えてどこまでも行く顔(⑩)

 ここでは漱石の理想の女の条件にもう1つ、「自分を従える」という要素が加わる。つまり(『永日小品』の中では)漱石は女に従ってもいいと言っているのである。全能の神漱石にして、全能の女神に支配されたいと言っているのである。
 本当にこれは女の話であろうか。漱石は真実の母を求めているのか、それともまた何か別の話をしようとしているのか。
 そう思って文章をたどると、

・入るのがためらわれるほど細く暗い路地(⑪)
・身をかがめるように入る路地(⑫)
・どこまでも続く細くて暗い、長い路地(⑭)

 というくどくどしい書き方から、(三島由紀夫の『仮面の告白』みたいな)出生時の記憶を辿ろうとしているのか、あるいはしばしば言われるところの胎内回帰の妄想であろうか。どちらも(もう手の届かない母の胎内から生まれてしまって、)今現在生きていることの方が辛い。(だからこそ死に対して平安を感じるのである。)
 漱石は鳥の想いを知りたい。女の想いを知りたい。それは永遠に知り得ない謎であるか。
 しかし文末に来て突然解答らしきものが出される。

⑬其の時自分の頭は突然先刻の鳥の心持に変化した

「文末に来て突然」とつい書いてしまったが、漱石は推理作家ではない。前半部「鳥と自分」の終りに漱石はちゃんと書いていた。自分の手に飛び込んで来た鳥を見つめる自分の心について、思いをめぐらせる。その結論は、

(自分の心象は)自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であった

 というのである。漱石は鳥の真意を思いあぐねたように見せて、その実この小鳥は漱石自身に他ならなかった。鳥はまた漱石であった。では女もまた漱石自身ではなかったか。それは末尾の一文に明確に記される。

⑮自分は女の黙って思惟する儘に、此の細く薄暗く、しかもずっと続いている露次の中を鳥の様にどこ迄も跟いて行った。

 漱石は女の想いを知っている。鳥は漱石である。女もまた漱石であった。
 では漱石は『永日小品/心』で(文鳥らしき鳥にかこつけて)何が言いたかったのか。
 女性との体験(おそらく所謂初体験)を書こうとしたものなら、「女の思惟」は決定的に邪魔になる。(それでも単なる女性との経験に「相手女性の考え方」を持ち出さざるを得ない漱石という人の特異性に鑑みて、この「女の黙って思惟する儘に」の部分にそれ以上の意味を見出さない、「女の赴(おもむ)くままに」を少し気取って書いただけという読み方もあるが。)
 漱石はなぜこんな書き方をしたのだろうか。

 思うにこれは、自分は自分の信念に従って自分の進むべき道をどこまでも歩んで行こうという決意を述べたものではないか。
 論者は先に『三四郎』のことを、漱石が始めて自分の画布に署名を描き入れたタブローであると述べた。そして『それから』は、登場人物の君さん付けを脱した、漱石が真の職業作家になった記念すべき作品であるとも述べた。『永日小品』はまさに『三四郎』と『それから』の中間に書かれた、漱石最初のエセイ集である。朝日入社、『虞美人草』と『坑夫』で新聞小説の小手調べも済み、久しぶりに生家の近く(早稲田南町)に戻って来もした。漱石はもうこれ以上放浪するつもりも後戻りするつもりもない。その決心が『心』という小品に昇華したのであろう。

 そんな余計な想像をしないまでも、書かれたもののみから真実を追求するという意味では、この小品の謂わんとするところもまた限りなく単純である。③で止まり木代わりに右手を差し出したとあるから、用心深い現実の漱石が、(坊っちゃんが右手の親指をはすに切り込んだように)左利きであることを示しているに過ぎない。