明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」道草篇 13

387.『道草』先行作品(2)――『文鳥』と『夢十夜』(つづき)


 最後にもう1つだけ。先の項で漱石の初恋にかこつけて『文鳥』の記述をあれこれ探ったが、この小品に綴られた1羽の文鳥そのものの印象は、『行人』三沢の初恋(おそらく)の女に似ている。例の出帰りの娘さんである。

 宅のものが其娘さんの精神に異状があるという事を明かに認め出してからはまだ可かったが、知らないうちは今云った通り僕も其娘さんの露骨なのに随分弱らせられた。父や母は苦い顔をする。台所のものは内所でくすくす笑う。僕は仕方がないから、其娘さんが僕を送って玄関迄来た時、烈しく怒(おこ)り付けて遣ろうかと思って、二三度後を振り返って見たが、顔を合せるや否や、怒る所か、邪見な言葉などは可哀そうで到底(とても)口から出せなくなって仕舞った。其娘さんは蒼い色の美人だった。そうして黒い眉毛と黒い大きな眸を有っていた。其黒い眸は始終遠くの方の夢を眺ているように恍惚(うっと)と潤って、其処に何だか便のなさそうな憐を漂よわせていた。僕が怒ろうと思って振り向くと、其娘さんは玄関に膝を突いたなり恰も自分の孤独を訴えるように、其黒い眸を僕に向けた。僕は其度に娘さんから、斯うして活きていてもたった一人で淋しくって堪らないから、何うぞ助けて下さいと袖に縋られるように感じた。――其眼がだよ。其黒い大きな眸が僕にそう訴えるのだよ」(『行人/友達』33回)


 漱石の初恋もまた、助けを求める漱石自らの魂の叫びであったとすれば、その相手を(漱石の作品を離れて)興味本位に探ろうとする試みは、(この文鳥もしくは娘さんに免じて)厳に慎まなければなるまい。

・プレ第1集B『夢十夜』明治41年7月

第1夜「白百合」 「百年待っていて下さい。屹度逢いに来ますから」~百年後に咲いて自分に絡みつく白百合の花~「百年はもう来ていたんだな」
第2夜「結跏」 禅坊主との対決~無とは何ぞ~朱鞘の短刀
第3夜「人殺し」 百年前に人を殺したことがある~目の潰れた6歳の子供を背負っている~その子供に導かれて百年前の現場へ
第4夜「蛇」 蛇を探して川の中へ入って出て来ない爺さん~飴屋の笛を吹くと手拭が蛇に変わる~手拭を箱の中に入れて川へ入って行く
第5夜「天邪鬼」 神代の敗将が自分の女を天邪鬼に殺された話~白馬を駆って自分に逢いに来る女~夜明けを告げる鶏の擬声
第6夜「運慶」 運慶がまだ仁王を彫っている~木の中に仁王が埋まっているのだという~自分も彫ってみたが明治の木には仁王は埋まってなかった
第7夜「異人船」 どこへ向かうのか分からない大きな異人の船に乗っている~サロンのピアノの前に1組の男女がいる~心細くて悲しいので身を投げることにする
第8夜「床屋」 床屋の鏡に色んなものが映る~白い着物の職人に自分の将来を尋く~札を数えるおかみと店の外の金魚売り
第9夜「幕末」 母から聞いた古い話~父がいなくなったので母は3つの子を背負って御百度踏む~父はとっくの昔に浪士に殺されていた
第10夜「庄太郎」 パナマ帽子の庄太郎が女に7日間攫われた話~毎日無量の豚を谷へ叩き落とす~7日目に精根尽きて豚に舐められてしまう

 どの夢も死と直結している。どの夢の話も怖い。死と直結しているから怖いのか。そうではあるまい。生き物である以上(本能として)死を厭うのは当然としても、死は苦しいことのみ多い人生に永遠の平穏をもたらす、唯一の秘薬であると漱石もまた信じていた。
 生は謎であるが(自分が今ここに、なぜ自分として生を受けているかは、本人にとっては永遠の謎である)、死は生の帰結であるから謎ではない。生あって始めて死ねるのであるから、漱石も死はいっそめでたいものであると言っている。これを大庭葉蔵(『人間失格』の)は、「死はコメ(喜劇)、生はトラ(悲劇)」と言った。では生が怖いのか。
 生が怖いとすれば、それは生に死が貼り付いているからであろう。とすれば話は元に戻ってしまう。生と死が鶏と卵のような、終りのない議論に落ち込まないためには、時間という概念を払拭する必要がある。だがそれは並の人間に出来る技でもなければ、考えて分かるものでもないようだ。
 3段論法ではないが、結局怖いのは時間ということになる。いっぽう夢には時間がない。百年の恋も一瞬で見るのが夢である。その一瞬を非時間と解して、ヴィトゲンシュタインは、「今を生きる者は永遠に生きる」と言った。(本ブログ野分篇23を参照のこと。)
 生と死同様、夢もまた怖くない。怖いのは時間である。漱石の『夢十夜』が怖いのは、その中に漱石の感じる不気味な「時間」が、読者にも(巧みな話術のせいで)伝わって来るからである。
 時間とは何か。これを凡人が答えることは出来ないが、夢がそのヒントになると想像することは許されるだろう。心理学を離れても、夢を脳細胞の単なる気まぐれと見るか何かの顕現と見るかは自由であろうが、夢は時間という「物質」の正体(本質)を、我々にそっと教えてくれるかのようである。

 そんな理屈を差し置いて、漱石の『夢十夜』が怖いのは慥かであるが、一番怖いのが第2夜「結跏」(座禅)であろうか。

 自分はいきなり拳骨を固めて自分の頭をいやと云う程擲った。そうして奥歯をぎりぎりと噛んだ。両腋から汗が出る。背中が棒の様になった。膝の接目が急に痛くなった。膝が折れたってどうあるものかと思った。けれども痛い。苦しい。無は中々出て来ない。出て来ると思うとすぐ痛くなる。腹が立つ。無念になる。非常に口惜しくなる。涙がほろほろ出る。一と思に身を巨巌の上に打けて、骨も肉も滅茶滅茶に摧いて仕舞いたくなる。
 それでも我慢して凝っと坐っていた。堪えがたい程切ないものを胸に盛れて忍んでいた。其切ないものが身体中の筋肉を下から持上げて、毛穴から外へ吹き出よう吹き出ようと焦るけれども、何処も一面に塞って、丸で出口がない様な残刻極まる状態であった
 其の内に頭が変になった。行灯も蕪村の画も、畳も、違棚も有って無い様な、無くって有る様に見えた。と云って無はちっとも現前しない。ただ好加減に坐っていた様である。所へ忽然隣座敷の時計がチーンと鳴り始めた。
 はっと思った。右の手をすぐ短刀に掛けた。時計が二つ目をチーンと打った。(『夢十夜』第2夜末尾)

 座禅をして無とは何かを考えようとしているのであるが、漱石の文脈でいえば無とは「父母未生以前本来の面目」ということであろう。しかしこの夢はそんな「文芸的な」苦しみを訴えたものではなくて、漱石を隔年くらいに襲う精神的パニックについて、その剝き出しの恐怖心を書いたものではないか。
 漱石は(『虞美人草』甲野さんで少し披瀝したあと、)『行人』一郎に託してその恐怖心を半分くらい描いた。残りの半分を『道草』健三が分担したわけであるが、発狂の恐怖はおそらく死ぬまで持ち続けたことであろう。短刀(九寸五分)は自死への願望であり、時計はそれを現実に引き戻す魔法のランプである。漱石の小説に時計(時刻)がよく出てくるのは、それが救いにつながると漱石が信じていたからではないか。それでも発狂の恐怖そのものについて、『夢十夜』のような直截的な書き方は、他の小説の中には見られない。
 ところが1ヶ所だけ、『猫』の大喜利たる寒月のヴァイオリン事件にかこつけて、その片鱗が覗える記述がある。

「それから、我に帰って、あたりを見廻わすと、庚申山一面はしんとして、雨垂れ程の音もしない。はてな今の音は何だろうと考えた。人の声にしては鋭すぎるし。鳥の声にしては大き過ぎるし。猿の声にしては――此辺によもや猿は居るまい。何だろう? 何だろうと云う問題が頭のなかに起ると、之を解釈し様と云うので今迄静まり返って居たやからが、紛然雑然糅然として恰もコンノート殿下歓迎の当時に於ける都人士狂乱の態度を以て脳裏をかけ廻る。其うちに総身の毛穴が急にあいて、焼酎を吹きかけた毛脛の様に、勇気、胆力、分別、沈着抔と号する御客様がすうすうと蒸発して行く。心臓が肋骨の下でステテコを踊り出す。両足が紙鳶のうなりの様に震動をはじめる。これは堪らん。いきなり、毛布を頭からかぶって、ヴァイオリンを小脇に掻い込んでひょろひょろと一枚岩を飛び下りて、一目散に山道八丁を麓の方へかけ下りて、宿へ帰って布団へくるまって寝て仕舞った。今考えてもあんな気味のわるかった事はないよ、東風君」
「それから」
「それで御仕舞さ」
「ヴァイオリンは弾かないのかい」
「弾きたくっても、弾かれないじゃないか。ギャーだもの。君だって屹度弾かれないよ」
「何だか君の話は物足りない様な気がする」(『猫』第11篇)

 東風との会話はふざけているように書かれてはいるが、寒月の恐怖心は『夢十夜』に書かれたものと同じであろう。

 次に怖いのが第7夜「異人船」である。
 大きな船とは社会とか地球、人生そのものであろう。異人ばかり乗っているというのは仲間がいなくて孤独ということ。心細いので身を投げようかと早くも思っている。女が1人デッキで泣いている。悲しいのは自分だけではないらしい。サロンのピアノの前の1組の男女はまるで別世界の人のよう。意を決して海中へ飛び込む。その瞬間急に命が惜しくなった。しかし既に目の前に昏い海が迫る。

 そのうち船は例の通り黒い煙を吐いて、通り過ぎて仕舞った。自分は何処へ行くんだか判らない船でも、矢っ張り乗って居る方がよかったと始めて悟りながら、しかも其の悟りを利用する事が出来ずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。(『夢十夜』第7夜末尾)

 いくら死はめでたいと言っても、生き物はそれを自らは行なわないことになっている。ヴィトゲンシュタインは「死は人生の1イベントではない。人は死を経験しない。死は人の経験するものの範囲を超えた、何物かである」と言ったが、自らそれを実行するとなると、最期の一瞬には「無限の後悔と恐怖」に見舞われることがありうる。ありきたりの文言がかえって不気味さを増す。

 第3夜「人殺し」(急に石のように重たくなる背中の子供)も普通に恐い。生家の近くの原っぱを歩く男も負ぶさった子も同じ漱石であるところが怖い。明治41年の百年前が文化5年である。今は明治41年である。今年「六つになる子供」は3女栄子が該当するが、栄子が6歳なら愛子4歳純一2歳、そして伸六が鏡子の腹の中にいる。やはりこの話の6歳の子は漱石自身であろう。漱石6歳の明治5年は、塩原昌之助が金之助を自身の嫡男として入籍した年であるが、まさかそれを言っているのではないだろう。

 第8夜「床屋」には死は登場しないではないかと言われそうである。そうかも知れない。床屋の中か、床屋の鏡に映る世界か、鏡に映らない者もいるが、表の金魚売りか、帳場で立膝のまま札を際限なく勘定する女か、どれもが彼岸の世界のようである。何より鏡の前の椅子に座った自分が、「(将来)物になるだろうか」と鋏と櫛を持った職人に問い掛けるところが、たまらなく不気味である。
 万華鏡に映る往来の先頭人物に、第10夜の主人公パナマ帽の庄太郎が登場する。『夢十夜』で唯一、夢をまたがった連携である。庄太郎はもちろん最後にパナマ帽と共に死んでしまう。

 その第10夜「庄太郎」と第1夜「白百合」が、平たく言えば女に取り憑かれる男の話である。『夢十夜』の最初と最後に女の話を配した。結局女が一番怖いという漱石一流の洒落とも取れる。
 第1夜の白百合は『それから』で三千代のテーマとして奏でられ、第10夜の庄太郎を舐めた豚は『三四郎』の冒頭で髭の男によって「気をつけなければいけない」というオチのために登場する。この『三四郎』のエピソードが森田芳光監督(筒井ともみ脚本)の名作映画『それから』に転用されたのは、『夢十夜』を重く見たゆえであろうか。広田先生の豚の戒飭は直接女を指すものではないが、三四郎にとっては前夜の汽車の女の振舞いを思い起こさずにはいられない話であり、映画『それから』でも代助の遊蕩シーン(芸者に囲まれたシーン)に使われている。豚が(『夢十夜』の作家の主張通り)女に対する戒めのシンボルになっているのである。

 第8夜での床屋という舞台もまた、小説では『草枕』(第5章)に登場して印象深いが、(おそらく)最後に『硝子戸の中』で、名残を惜しむかのように漱石の円熟した筆で描かれた。髪結床(浮世床)は落語の定番で、漱石には馴染みの深いものであったろうが、それでもこの『夢十夜』を除いては、生涯で小説と随筆にわずか1回ずつしか書かれることがなかった。読者は漱石作品がいかに贅沢に作られていることか、と感嘆せずにはいられないが、ただありきたりの舞台にそうそう載りたくないという気持ちが働いたせいともいえる。
 第9夜「幕末」のような御一新当時のエピソードも、漱石の小説では『それから』で1回、そしてやはり『硝子戸の中』で1回、印象的に語られるのみである。漱石は自分や自分の家が(かつて)仕えた政府に関心がなかった。その両者がかつて闘ったことがあるなどということは、さらにどうでもよいことであった。本当はそうではないのかも知れないが、少なくとも漱石の言動からは維新の活動家や戊辰戦争に対する興味は(日露戦争ほどにも)伺われない。

 第4夜「蛇」は『永日小品』に直結する。怪しげな親爺は大道芸人的な香具師の世界にもつながるが、その起源は養父塩原昌之助であろうか。自分の「父」ではあるものの、限りなく胡散臭く、また懐かしいのである。

 第6夜「運慶」も漱石としては珍しい歴史物に属するが、中世と現代との対比を行なっている。一番の違いは宗教観であり、信じる力の違いが偉大な芸術作品に現前するということであろう。その力とは、ただ中世の人が輪廻転生を信じていたからに過ぎないという言い方もあるが。

 第5夜「天邪鬼」は神代の話である。西洋も東洋もない混沌の時代であろうが、男女の愛はすでに存在した。それを妬む邪神さえ知られていたのである。天邪鬼のルーツは西教にあるから、第5夜は第7夜「異人船」と並ぶ西洋物とも言えよう。

 漱石は初期の習作で図らずも倫敦や英国を題材にしたものをいくつか書いたが、『猫』と『野分』にも西洋人をちょっとだけ登場させた。
 その趣味は『夢十夜』にも引き継がれたわけだが、続く『三四郎』『永日小品』『それから』『満韓ところどころ』『思い出す事など』に、(景色の一部としてであれ)西洋人は少しずつ出て来る。
『門』だけが例外であるが、これは宗助御米夫婦の生活に余裕がないことの象徴か、それとも小説冒頭大連駅頭において、露西亜政府要人と会う伊藤博文が撃たれたことで、もうそれ以上のことは書けなくなったのか。あるいは安井と坂井の弟の蒙古における馬賊まがいの冒険譚に、外国のことはまかせたのか。
 それはともかく小説に西洋人を書き込む癖は、『彼岸過迄』『行人』『心』の3部作まで律儀に継続された。登場シーンはほんの一瞬であるものの、読者は明石の砂浜での戯れ、紅が谷の別荘地でのピアノの音、真夏の鎌倉の海水浴場を忘れることができない。
 ところで最後の3部作『道草』『明暗』で、漱石の小説から西洋人のエキストラは一掃されてしまった。『硝子戸の中』も純国産である。何か理由があるのだろうか。
 西洋人の出て来ない『坊っちゃん』『草枕』『虞美人草』にしても、その必要がないくらいハイカラな小説である。西洋かぶれの赤シャツ。英語入り都々逸の芸者。シェリーの詩を暗唱し、メレディスを原書で繙読する画工。日本人離れした登場人物揃いの(最も日本人らしい藤尾の母は「謎の女」と書かれる)『虞美人草』。あとの小説は(前述の『門』以外)、『心』まですべて西洋人の出番がある。
 それが洋行帰りの健三を描いた『道草』から、嘘のように西洋人が閉め出された。まさか急に国粋主義者になったわけではあるまい。こんなところにイザヤベンダサンが漱石日本教の教祖呼ばわりした要因があるのかも知れない(正確には『草枕』を日本教の創世記に喩えただけであるが)。