明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」道草篇 3

377.『道草』へ至る道(1)――『門』から『道草』執筆まで


『門』は漱石が始めて夫婦を主役に据えた小説である。宗助と御米は好き合って一緒になった若い夫婦である。宗助は漱石を彷彿させるが、御米は鏡子と共通点のない、全体として漱石夫婦とは別世界に暮らす夫婦である。そのためというわけでもなかろうが、同じ年漱石は始めてといっていい大病と入院を経験した。
 前項で述べた『道草』の主眼点(夫婦のあり方)と執筆動機(大病の繰り返しで残された時間を意識せざるを得ない)を考えると、その2つながらの起点たる明治43年(『門』と修善寺の大患)から、『道草』執筆に至る漱石の道のりを再確認することも、無駄とは言えまい。
 そこで同期間の(ついでに終焉までの)漱石の年表を作成してみる。作物は基本的に漱石執筆ベースで、大体の該当月と共に掲げる。分かりやすくするために、
3部作作品♧
・随筆集
講演録
病気
 そしてこれも漱石の人生とは切り離せない、
旅行
 4つのアイテム各々にトランプのマークを、カウントとともに付記する。記事の選択は論者の恣意であるが、大筋において荒正人の年表(昭和59年集英社版『漱石研究年表』)及び岩波の漱石全集第27巻「別冊下」(1997年版・2004年版)・定本漱石全集(同2020年版)の『年譜』との突合を行なっている。

《『道草』へ至る道》

明治43年( 1910 年)
2月~6月 『門』(♧1)
3月 雛子誕生
4月 「白樺」創刊
5月 『四篇』刊(前年までの『文鳥』『夢十夜』『永日小品』『満韓ところどころ』)
6月 大逆事件
6月~11月 長塚節『土』連載
6月~7月 長与胃腸病院入院(♤1)
8月 修善寺療養旅行(1)
8月 日韓併合
8月~10月「修善寺の大患」(鏡子来る)(♤2)
8月 ウィリアムジェームズ死去(満68歳)
9月 長与院長死去(45歳)
10月~翌年2月 長与胃腸病院再入院
10月~翌年2月 『思い出す事など』(♢1)
11月 大塚楠緒子死去(36歳)

明治44年( 1911 年)
1月 幸徳秋水(41歳)ら死刑判決・執行
2月 長与胃腸病院退院
2月~4月 博士号問題
5月 西村梅を嫁に出す
6月 寺田寅彦帰朝
6月 長野高田諏訪旅行(鏡子同行)(2)
信濃教育会講演「教育と文芸」「高田気質を脱する」「我輩の観た職業」
8月 明石和歌山堺大阪旅行(3)
大阪朝日講演『道楽と職業』(♢2)『現代日本の開化』(♢3)『中味と形式』(♢4)『文芸と道徳』(♢5)
8月~9月 湯川胃腸病院(鏡子来る)(♤3)
9月~翌年4月 痔の切開手術とその後
9月 池辺三山辞職
10月 辛亥革命
11月 雛子の死(2歳)

明治45年/大正元年( 1912 年)
1月~2月 中華民国成立・愛新覚羅溥儀退位
1月~4月 彼岸過迄』(♧2)
2月 池辺三山死去(49歳)
4月 石川啄木死去(27歳)
4月 痔の治療
5月 長塚節『土』刊
8月 鎌倉で避暑
8月 那須塩原日光軽井沢旅行(4)
9月 田岡嶺雲死去(43歳)
9月 御大葬
9月 神田佐藤医院入院(再度痔の手術)
11月 渋川玄耳辞職
12月~翌年3月 『行人』(♧3)

大正2年( 1913 年)
2月 塩原昌之助養子縁組(8月解消)
2月 ヴェロナール事件
3月~5月 自宅で病臥(♤4)
4月 『行人』中断
4月~6月 中勘助銀の匙』連載
7月~9月 『行人/塵労』(♧4)
7月 岩波茂雄神田に古書店開く
7月 伊藤左千夫死去(50歳)
12月 一高弁論部講演「模倣と独立」
12月 中村是公満鉄総裁退任

大正3年( 1914 年)
1月 高等工業講演「おはなし」
4月~7月 『心』(♧5)
7月 志賀直哉「時任信行」違約事件
8月 ケーベル先生送別会
8月 第1次世界大戦
9月 鏡子のノイローゼ
9月~10月 自宅で病臥(♤5)
9月 『心』自費出版
10月 ヘクトー死す(牡4歳)
11月 学習院輔仁会講演『私の個人主義』(♢6)

大正4年( 1915 年)
1月~2月 硝子戸の中』(♢7)
2月 長塚節死去(37歳)
2月 義兄(従兄)高田庄吉死去(66歳)
3月 最後の京都旅行(津田青楓)(5)
3月 塩原昌之助養子縁組(2度目)
3月 異母姉高田房死去(65歳)
3月~4月 京都の宿で病臥(鏡子来る)(♤6)
5月~9月 『道草』(♧6)
11月 湯河原旅行(中村是公)(6)

大正5年( 1916 年)
1月~2月 最後の湯河原旅行(中村是公)(鏡子来る)(7)
2月 芥川龍之介と始めて会う
4月 腕の痛みはリューマチでなく糖尿病由来と判明
5月~11月 『明暗』(♧7)
7月 上田敏死去(43歳)
7月 菊池寛と始めて会う
7月 芥川龍之介菊池寛ら卒業
11月 自室で倒れる(♤7)
12月9日 逝去(50歳)

《参考》
大正6年( 1917 年)
10月 Conan Doyle "His Last Bow"
12月 『漱石全集』刊行開始
12月 雑司ヶ谷墓地に築墓

 ♧7・♢7・7・♤7。講演は漱石の責任において活字化されたもののみカウントしているが、明治43年から大正5年までの7年間で、新聞小説、随筆講演、旅行、大病(胃潰瘍)、すべてに7が揃う。規則正しいのが漱石の本領といっても、あまりの整合ぶりに言葉を失う。