明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 21

277.『坊っちゃん』怒りの日々(4)――お金と数字のマジック


 愛と生そして死。書出しの1字たる「親」。漱石文学のキーワードはこれだけにとどまらない。
 金と女。漱石の小説は金と女の話であるといって過言でない。
 この世に女について書かれない小説は無いであろうが、同じような勢いで漱石の小説にお金の話が出て来ない小説は無いと断言出来る。深刻な金銭トラブルから単に物の値段まで、先に『坊っちゃん』には金の話が百ヶ所出てくると書いたが、金銭に淡白というイメジが強い坊っちゃんにしてこれである。漱石はなぜお金のことばかり書くのだろう。

 蓄財に興味があったとはとても思えないし、実業家を単なる金銭の奴隷と見て軽蔑していたのも事実だろう。金に困った経験には事欠かなかったとはいえ、(緑雨と違って)ちゃんと帝大を出ており、父親あるいは祖父の代まで、(大したものではないにせよ)ある程度裕福な家であったこともまた事実である。
 多額の現金を相続出来る立場にあったのに、鐚一文貰えなかったという失望感が金のことばかり書かせたのだろうか。
 あるいは塩原の家が順調に推移しておれば、相続者としての立場をそこそこ享受したかも知れないという残念な想いがあったのか。

 あったはずのものがない。
 あるはずのものがなかった。
 漱石の小説における不平不満の感情の中には、この「喪失感」が強く作用しているようである。
吾輩は猫である。名前はまだ無い」という書出しは、ただ名前のない事実を述べているに過ぎないようにも見えるが、名前がないことを寂しがっている、早く名前を付けて貰いたい、あるいは名前がないことを自慢している、といったありきたりの感情の表出というよりは、本来あるべきはずのものが自分に限って無いという、無常(無情)きわまりない深い絶望感をその裏面に隠していないだろうか。それが冷笑的に構える態度に所々現れつつも、周囲に対する愛着・甘え・好奇心・観察眼・学習態度の礎になっているとも言える。坊っちゃんの愚痴や怒りもしかり、その底には喪失感が横たわっている。小説冒頭の母の死と末尾の清の死はそのためにも最初から予定されていた、小説『坊っちゃん』の必須アイテムだったろう。

 

 漱石の金についての考え方の根っ子には、結論から言うと、「仕事と道楽」という観点から、

「金があれば食うための仕事をしなくて済む。その分自分のやりたい事に邁進できる」

 という発想があるのであろう。これは嫌なことに耐えて始めて金が貰える、という潔癖性的な思い込みから出たものである。言い方を換えると、好きなことをして金を貰うのは罪悪であるという強迫観念があるのだろう。職業として教師をするということは、「教師とは嫌なことと見つけたり」を日々体現していることに他ならず、早く教師を辞めて小説を書いて暮らしたいと思う。小説家になったらなったで、「小説家とは嫌なことと見つけたり」であるから、漢詩を作ったり画を描いたりして暮らしたいと思うようになる(はずである)。
 漱石は印税で家が建つくらいになれば、(清が預言したように立派な玄関のある家を拵えるようになれば、)たぶん小説はやめたと思われる。論者の見るところ最後の則天去私三部作(『道草』『明暗』『〇〇』)を書き終えたら、筆を折るか、少なくとも(朝日を辞めて)新聞小説はもう書かなくなったのではないか。
 喪失感から金のことばかり書いても、あるいはまた別の喪失感から愛のことばかり書いても、腹はくちくならないからである。

 それはともかく、『坊っちゃん』の金の話では、最重要ランクのものは、

①清のくれた3円。

②兄のくれた600円。

③兄から清への50円。

④中学校初任給40円。

⑤再び清のくれた為替10円。

 であろうか。小説のキーノートともなるべき金額であり、⑤を除いて複数の章で語られる。(厳密には⑤の元は③であるから、⑤もまた単独に存在しているわけではない。)次の階層に移ると、

⑥学資の余り30円。

⑦宿へお茶代5円。

山嵐の奢った氷水1銭5厘。

⑨「下宿料の10円や15円」

⑩赤シャツが弟と住む家の家賃9円50銭。

⑪街鉄の月給25円、家賃6円。

 物語の中で重要な意味を持つ金額であることは確かである。物品の値段についての記述はたくさんあるが、ここに取り上げたのは⑧だけである。漱石は(氷水の)1銭5厘という記述を10回以上繰り返している(精確には18回か19回)。(『八犬伝』ならともかく)ふつう1箇の小説としてはまずあり得ないことではないか。

 それでお金の話を離れても、坊っちゃんが小説の中で数字を絡めて語っている箇所に嫌でも目が行く。
 坊っちゃんは山城屋で2日目に15畳敷の大座敷に通されたが、後に行った住田の温泉は湯壺が15畳敷の広さであると書かれる。ここで早くも「裏を返す」という漱石の『坊っちゃん』における常套手段が出たのかと思って、念のために始めから調べてみると、

坊っちゃんが着任挨拶した教員控室のメンバーが15名。(第2章)

②松山15万石。(第2章)――坊っちゃんは「25万石」の城下と書いている。

③お茶代5円ふんぱつして移った広い御座敷15畳。(第2章)

山嵐に氷水を奢って貰う。(第2章)――⑧を参照。

⑤いか銀のナントカ崋山15円にしておきます。(第3章)

⑥住田の温泉上等の大浴場15畳敷くらいで泳いだ。(第3章)

⑦赤シャツと野だの釣り上げたゴルキ15、6匹。(第5章)

山嵐に奢って貰った氷水は1銭5厘(15厘)であった。それを叩き返す。(第6章)

⑨いか銀「下宿料の10円や15円は懸物を一幅売りゃすぐ浮いてくる」(第6章)

師範学校生徒に対抗して暴れる中学生は15、6歳(中学1、2年生)。(第10章)

⑪祝勝会の夜の乱闘事件に駆け付けた巡査15、6名。(第10章)

 

 漱石がこの「15」を洒落の材料として、どうでもいいもの、ろくでもないものの一環として見ていることは間違いあるまい。してみると漱石がなぜ松山15万石を25万石の城下と書いたのか(②)、何となく分かるような気がする。読者は(『猫』で六ツ井物産と書かれたように)小説の中の話であるからわざと土地を特定されないためとか、漱石の mystification の流露であろうとか思いがちであるが、漱石は松山弁丸出しの小説を書いているのである。小説家としてのキャリアもまだ殆ど何もない。漱石にとって隠す必要のあるものなど、あろうはずがない。漱石は(15の連鎖から松山を外すことによって)、1年間お世話になった、あるいは子規の生地松山市松山城)に、それなりの誠意を示したかったのではないか。
 ではなぜ「15」にこだわるかについては誰も分からない。漱石の母千枝が亡くなったのは金之助15歳の春である。坊っちゃんの母親が亡くなったのをそれに合わせることは出来ないし、その必要もないだろう。坊っちゃんは14歳で母親を亡くしている。ところでそれについては後年だがこんな記述がある。

 母の名は千枝といった。私は今でも此千枝という言葉を懐かしいものの一つに数えている。だから私にはそれがただ私の母丈の名前で、決して外の女の名前であってはならない様な気がする。幸いに私はまだ母以外の千枝という女に出会った事がない。
 母は私の十三四の時に死んだのだけれども、私の今遠くから呼び起す彼女の幻像は、記憶の糸をいくら辿って行っても、御婆さんに見える。晩年に生れた私には、母の水々しい姿を覚えている特権が遂に与えられずにしまったのである。
 私の知っている母は、常に大きな眼鏡をかけて裁縫をしていた。其眼鏡は鉄縁の古風なもので、球の大きさが直径二寸以上もあったように思われる。母はそれを掛けた儘、すこし顋を襟元へ引き付けながら、私を凝と見る事が屡(しばしば)あったが、老眼の性質を知らない其頃の私には、それがただ彼女の癖とのみ考えられた。・・・(大正4年『硝子戸の中』37回)

 夏目千枝の命日は明治14年1月9日享年56歳である。金之助15歳の春に間違いはない。しかるにこの記述からすると、漱石は母の死を自分の14歳と結びつけて記憶していたふしがある。あるいは何らかの理由で「15歳」を封印したのかも知れないが、いずれにせよ坊っちゃんもまた漱石の「真実」を踏襲したわけである。

 そして前の項で難解とされた、野だが即座に坊っちゃんの後釜としていか銀へ入り込んだのも、下宿料が格別に安かったのがその理由と考えれば腑に落ちる。この⑨の「下宿料の10円や15円」という言い方は、勿論15円という選択肢もあるが、「たかが」という意味に取れるから、ふつうは10円の方を指すのだろう。赤シャツが弟と住む立派な玄関の付いた家の家賃は9円50銭だという。坊っちゃんは翌る年東京で清を連れて玄関付きでない家賃6円の家に入っている。いくら地方都市とはいえ賄い付きで10円は安い。いか銀の本業が下宿屋でないことの証左であろう。

 ちなみに坊っちゃんの書く金額は、兄から貰った600円を分母として、すべてきっちり割り切れるものばかりである。1銭5厘でもむろん割り切れる。まるで600円ですべてを賄ったかにように読める。まさかと思ったらやはり例外はある。上記赤シャツの家賃9円50銭と山嵐の港屋宿賃8日分5円60銭(1日70銭)である。学資の余り30円を、汽車賃等使って9円残っているとも書かれている。これも割り切れない。しかし坊っちゃん側にも言い分はある。9円50銭も5円60銭も赤シャツや山嵐の話で坊っちゃんとは何の関係もない。9円もただ財布に残っているのをそう書いたまでで、何かの価が9円だと言っているわけではない。
 いや唯一残った例外がある。それは坊っちゃんが1回だけ食べたとされる「遊廓の団子旨い旨い」2皿7銭である。7は6で割り切れない。坊っちゃんは妓楼には登らなかった(と思われる)。しかしシャロックホームズが『 The Adventure of the Second Stain 』で1度だけ呟いたように、坊っちゃん漱石)にも「外交上(営業上)の秘密」が存在したのかも知れない。
 それとも坊っちゃん(や漱石)に限ってそんな例外があろうはずもなく、住田の団子は1皿4銭で、(食いしん坊の坊っちゃんはたまたまもう1皿食ったから追加料金3銭を加算されたに過ぎない、)それなら割り切れるという強弁も、めでたく(もないが)成立する。