明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 20

276.『坊っちゃん』怒りの日々(3)――書出しの1文字は「親」である


 『坊っちゃん』の書出しの1文字は、厳密に言うと、どの本も章番号を表わす「一」であるが、漱石は「一」とは書いていない。章の番号を書き始めるのは「二」からである。『坊っちゃん』における書出しの1文字は、「一」でなく、「親譲り」の「親」の字である。
「どの本も」と書いたが、初出(『ホトトギス』)も初版(『鶉籠』)も「一」の表記はない。いきなり「親譲りの」から(正しく)始まっている。

 いつから誰がこんなことを――、と指摘する人はいないのだろうか。(死後すぐに出た全集で早くも「一」が附されている。小宮豊隆が正式介入する前から、謂わば岩波編集部の「常識」として「一」は挿入されたのであろうか。それとも漱石が『坊っちゃん』の「一」の脱落を生前気にしていたとでも言うのだろうか。)
 驚くべきことだが荒正人の(集英社版全集の)校異には、このことがまったく触れられていない。荒正人(たち)は現存する原稿に当たって全集の校訂を行なったはずである。あの(一見)どんなことでも載っている集英社版全集に、何も書かれていないとはどういうわけか。
 校異の頁には原稿の1行目(タイトル・署名)から検討を加え、とくに書出しの1文節は、原稿・初出・初版と(変体仮名の活字まで作って)並列表示して異同を比べている。しかし校異表も含めてそこに触れた箇所はない。この2頁にも及ぶ書出し1文節の「異同表」に、小見出しの「一」は(正しくも)登場しない。全集として決して短くない編者自身の解説頁にもそのことは書かれていない。まるでそういう事実が存在しないかのようである。

 原稿準拠と称する岩波の全集もまた、何の注釈もなくいきなり「一」から始まっている。校異表にもない。(巻末の編集後記みたいな箇所には、さすがに第一章だけ章番号がないことは記されているが。)
「一」は小説ではないのだろうか。『坊っちゃん』の「一」は小説の一部分ではないのか。では『明暗』の「絶筆」として 189 とだけノンブルの振られた、あの漱石山房の原稿は何だったのだろう。あれは原稿でなく「(反故になるべき)原稿用紙」だとでも言うのか。鏡子夫人は反故を夫の形見としたのか。

 『猫』は別である。最初読切りのつもりで書かれたのであるから、原稿の書出しに「一」も「第一」もあろうはずがない。初出も同じである。後に本になるとき始めて「第一」と付加されている。荒正人も当然『猫』の校異表ではその旨記載している。『猫』でちゃんとやっていることを、なぜ『坊っちゃん』だけ素通りするのであろうか。繰り返すがどこまでも異様に細かいのが荒正人の全集である。ああそれなのに(と本ブログでも一度紹介した山田風太郎の嘆きをここでも嘆いておく)、名作『坊っちゃん』の書出しの1文字に言及しないのは、どうした理由によるものだろう。

 念の為に『草枕』を見ると、こちらは原稿が「(一)」で始まっている(なぜか括弧付きになっているが、この括弧はとくに意味がなかったらしく、初版以降では無視されているが、それはそれで已むを得まい)。原稿はその後も「(二)」「(三)」・・・と続き、初出も同じだから、漱石は『草枕』では始めから章番号を入れることを意識したのだろう。荒正人の校異にはこれも明瞭に記されている。当り前である。
 ちなみに集英社版全集の校異表では、この章番号に付された括弧が、漱石が書いたような、(一)のように文字(漢数字)の右左(東西)に配置されず、括弧が一の上下(南北・天地)に配置されている。つまり漢数字の一を天地から皿で挟み込んでしまっている。
 これは無用の誤解を生む「編集ミス」であろう。漱石はこのような書き方をしていない。縦書きの文章の中の漢数字に括弧を付けるときは、上下に付けるか左右に付けるかのどちらかであるが、それをあべこべにしてしまっては何のための異同表か分からなくなる。
 ついでに蒸し返して申し訳ないが、岩波の『坊っちゃん』の章番号「一」については、やはり後書きのような場所ではなく、本体の注釈なり語注として触れるべきではなかったか。他ならぬ漱石が原稿に書いている(書いていない)という問題である。本来校訂者があとがきのような所に書くことといえば、字が汚いとか、原稿用紙の紙質が悪いとか、そういう類いのことを書くなら書くべきであろう。漱石の「一」は本文そのものではないか。業界の常識がそうなのかも知れないが、世間の常識に従うなら漱石全集の著者は「夏目金之助博士・・」になってしまう。

 それはまあいいとして、では『坊っちゃん』以前の作品はどうだったかというと、小説を章分けしたのは『趣味の遺伝』を以って嚆矢とするが、残念ながら原稿が残っていない。しかし『趣味の遺伝』の初出は「一」「二」「三」と3つに章分けされており、漱石の原稿がそうなっていただろうとは推測される。
 これは漱石が、『坊っちゃん』を全1章のつもりで書き始めたことを、必ずしも意味しない。漱石は勢いよく書き出して、最初の(印象的な、映像としても大成功と思われる)区切りで始めて、「二」と書いた。ではなぜ一枚目に戻って「一」と振り直さなかったのか。原稿は常に漱石の手許にあったのである。
 漱石は細かいことはどうでもいいのであった。何かあればそれを匡すのは編輯者の役目である。普通ならそれでいいだろう。普通の本ならそれで何の問題もない。しかし1字1句に(版元が)こだわる漱石全集にこんなことがあっていいのだろうか。漱石の真の処女作と言ってもいい記念碑的な名作、世界的にも著名な漱石の代表作『坊っちゃん』が、他人の(勝手に)書き加えた1文字で開始せられていた、というのはいかにも大袈裟に過ぎようが、「一」がなくてこそ漱石である、と感じる読者も少なくないのではないか。『猫』も『坊っちゃん』もいきなり始まってこその名作である。

 あるいは『趣味の遺伝』の後、本当に『坊っちゃん』は章分けしない構想のもと書き始められた小説だったかも知れない。であれば書いているうちにだんだん長くなると樗陰や虚子に訴えたのも、真実漱石の癖であったと思いやられる。『坊っちゃん』『心』『明暗』――こんな癖なら誰でも真似したいと思うだろう。『猫』は少し意味合いが異なるが(雑誌が売れるので続篇をせがまれたのであるが)、予期しないのにだんだん長くなるということでは同じである。長ければ長いほど歓迎される。こんな小説は世界にいくつもあるまい。『猫』がその代表であるが、漱石は全作品に渉ってそれが該当しよう。『坊っちゃん』の続きがあれば誰でもいつまでも読みたいと思うだろうし、三四郎や代助のその後が書かれたなら、どんなに遠くてもそれこそ宇宙旅行してでも読みに行きたいと思う。
 長ければ長いほどいい。現在ある作品にどれだけ書き足されても、読者は喜んで受け容れる。漱石以外にそんな作品があるとは思えない。(あるとすれば『サザエさん』くらいか。)

 それともタイトルと名前を書いたあと、まず「一」とだけ書いて(改行し)、それからおもむろに坐り直して本文に入るのが、当時からも純文学作家の慣わしであるが、形にこだわるようでは(あるいは書き出しに意気込む・威儀を正すようでは)、漱石みたいな後世に残る作品は書けない、ということであろうか。
 漱石の所謂初版本は、誤植ばかり多くて凡そ趣味人以外手に取っても読むものでないが、『坊っちゃん』の初版本の第1頁だけはその限りでない。まず最初にとりあえず「一」とだけは書かなければ気の済まない、文筆家の(俗に染まった)目を闢かせる効能がある。

 ちなみに漱石を一生うんざりさせた「親」という一字は、漱石にとって2組あった親と、自分がなりたくてなったわけでもない7人の子の親、全部で3種類の意味を持っていた。漱石は教師もそうだが、親という役目にも興味がなかった。それは「正しい親」「正しい教師」というもののイメジが湧かなかったためでもある。自分が間違っていないかということにのみ関心が集中していた漱石にとって、正邪の枠外にあるものはどうでもいいのであった。文学はそうではない。漱石は文学とは何かという定義からスタートして、次に自分でその文学を体現した。それは茨の道であったかもしれないが、とにかく正しい道をめざして進むことは出来た。その分漱石のような人が生きるということにおいては、文学は幸いしたと言える。(その意味では漱石は建築科を選択しても充分に目的を持って生きられたと思われる。)
 漱石にとって正しい文学とは何か。それは歴史的建築物のように、後代まで残る作品のことであろう。漱石は学生時代に早くもそれが正しいと信じていた。それはつくづく正しかった、と後代の我々から見るとそう感謝せざるを得ない。
 書出しの1行に漱石のすべてがある、と前の項で論じたが、書出しの1文字(「親」)にも漱石のすべてがある、と言っては言い過ぎか。