明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 21

84.『それから』告白がもたらす平和と嵐(2)――もう尻に敷かれている

 

 とまれ告白はなされたのであるから、賽は投げられたのであるから、もう他からとやかく言うこともないのである。

 しかしこの期に及んでもいろいろ考えさせられるのが漱石の小説であろう。

 代助は一世一代の大仕事をやってのけたからには、さぞ至福の時を過ごしていると思いきや、不安はかえって増すばかりである。むしろ悲運の淵から救い上げられた(と代助が信じた)三千代の方が、精神的には平安の日に入ったように見える。少なくとも漱石はそう書いている。

 三千代の勁さはどこから来るのであろうか。代助の弱さは・・・、といった類いの議論は、ここでは行なわない。議論をいくら積み上げても、それで漱石に肉迫できるものでもないからである。

 

 代助は三千代への告白の中で一つだけ嘘を吐いている。

 今頃告白するのなら、何故あのとき言ってくれなかったのか、というまことに尤もな三千代の問いかけに対し、代助は直接回答するのではなく、「その代り自分は今に至るまで罰を受けている」という言い方で、これは代助の癖かも知れないが、まあ厳しく言えば、逃げている。

 しかしここで言いたいのはそんなことではない。代助の言い逃れなど三千代はとっくにお見通しなのだろう。問題はその次の余計な一言である。

 

「貴方が結婚して三年以上になるが、僕はまだ独身でいます」

「だって、夫は貴方の御勝手じゃありませんか」

「勝手じゃありません。貰おうと思っても、貰えないのです。それから以後、宅のものから何遍結婚を勧められたか分りません。けれども、みんな断って仕舞いました。今度も亦一人断りました。其結果僕と僕の父との間が何うなるか分りません。……」(『それから』14ノ10回)

 

 これは厳密に言えば嘘である。漱石は嘘を吐けない人であるが、たぶん漱石は代助の気持ちに成り代わって、嫂に告白したことで佐川の縁談を断ったつもりでいるのであろう。しかし梅子はまだ代助の最終決断(翻意)に望みを捨てていない。表向きには小説の中で代助はまだこの縁談を断っていない。それどころか代助は、そもそも父に縁談の正式な断りを言う前に、何とかして三千代との関係を成就させなければいけないと、焦りまくっていたのである。これを矛盾と謂わずして何と謂おうか。

 三千代の幻影に怯えて結婚出来ないのなら、見合いなどしなければいいのではないか。あるいは見合いなどしたくても出来ないのではないか。

 

 これに対する三千代の返答は、「私は是でも、嫁に行ってから、今日迄一日も早く、貴方が御結婚なされば可いと思わないで暮らした事はありません」(14ノ10回)という、可憐で献身的なものであった。

 代助と三千代のこの落差は、三千代の「癇癪」で穴埋めされているようである。

 代助はこのあと父との会見で「己の方でも、もう御前の世話はせんから」(15ノ5回)と言われて、思わず三千代に報告に及ぶが、三千代は(母親の如く、あるいは通常の女の如く)代助を叱りつける。清淑な三千代は代助が『行人』女景清の坊っちゃんみたいに、ごめんよとばかりに前言を撤回したとしても、黙って従うであろうが、それでも三千代が怒ったのは事実である。「三千代は少し色を変えた」(16ノ3回)とまで漱石は書いている。三千代はプロポーズ時の代助の嘘に気が付く由もないから、三千代を怒らせたのは経済に窮した代助の優柔不断ということになっているが、そんなことはこれまた三千代には先刻ご承知なのであるから、ほんらい三千代が腹を立てるはずはないのであるが、漱石の倫理感に従えば、代助は何らかの罰を受けて然るべきなのである。

 

 代助のために申し添えれば、代助の嘘にはちゃんとした言い訳がある。それは代助が父と兄たちに騙されて、歌舞伎座で佐川の娘と会ってしまったということが原因している。代助は鷹揚に構えて翌日の自宅(実家)での正式に近い見合いの席にも、毒喰わばという顔で出掛けているが、しかし本来代助はこんな、相手の思う壺には意地でも嵌りたくないのは、『心』の先生と御嬢さん・奥さんとのいきさつを見るまでもなく明らかである。

 代助は分かっていたにせよ、騙されたのである。あるいは騙されたふりをしたのである。その代償ないし補填は、当然作者によって用意されている。

 代助は歌舞伎座の帰りしな、わざと俥を雇わずに電車で帰った。そして停留所で間違った場所に立つ主婦に、「御神さん、電車へ乗るなら、此所じゃ不可ない。向こう側だ」(11ノ8回)と教師のように正している(このオカミさんが電車に乗るかどうか、誰かを待っていたかも知れないのに)。

 嫂の「嘘」に直接苦情を言うことは(世渡りの上で)出来なかったので、赤の他人の主婦に教えることでその代償とした。あるいは騙されたふりをするという行為は褒められたことではないので、頼まれもしない些細な善行を代助にさせることにより、その償いとした。

 しかし嘘の言えない漱石は、代助により大きな嘘を吐かせることにより、三千代に厳しく罰してもらったと言えよう。これはバランス感覚というよりは漱石のいう「癇性」であろう。そうしないと気が済まない(落ち着かない)のである。

 

 余談だが『三四郎』で、広田先生の新しい下宿を探す与次郎たちが、佐竹の下屋敷の敷地を通って番人にこっぴどく叱られるという、何のために挿入されたか誰にも分からないエピソードが書かれるが、読者はせいぜいこれもまた漱石の(散歩中の)実体験の類いかと思う程度であろうが、それはそうかも知れないが、つまらない私用で若い人を引っ張りまわす広田先生への懲罰の意味に取れなくもない。当事者は三四郎も含め3人であるが、佐竹の番人に叱られているのは三四郎と与次郎だけであるかのように書かれているし、何にでも一言ある広田先生が、完全に沈黙しているところを見ても(黙っているとさえ書かれない)、このときの広田先生は、作者漱石に吸収されてしまって(舞台から消えてしまって)、漱石が自分で自分を裁いているように思える。

 漱石はどうしても書いておきたかった実体験を書いたのではなく、小説の肉付けや埋め草のために、またはある効果を狙って書いたのでもなく、いずれにせよ何らかの理由で書かざるを得なかったから書いたのである。

 それが病気のせいだと言えば言われよう。しかしもともと病気のせいで小説を書いたのだとすれば、この言い方では何も言っていないのと同じになってしまう。「病気」を病名やナントカ症候群に置き換えても、話は同じである。病気の概念はその時代によって変化していくものであろう。千年二千年をへだてて人を見れば、すべての人が狂っているようにも見えよう。あるいは見られよう。しかしそれでも生き残るものはある。それを具体的に言葉で残すものが文学作品である。少なくとも漱石はそれを目指して専攻を決め、遅蒔きながら(あるいは充分にその覚悟と準備をしてから)この途に乗り出した。それを僅かでも解明しようとするからには、われわれは残された漱石の作品を丁寧に読むしかないのである。

 

 ということで、話が大きくなったところで『それから』篇は終わりにしたい。次回からは『門』であるが、その前にちょっとだけ寄り道をお許し願いたい。