明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 20

83.『それから』告白がもたらす平和と嵐(1)――繰り返し奏されるトリオ


 さて『それから』全110回のカタログを作成してみると、改めて第14章(全11回)が最も長く、ハイライトの章であることが再確認される。漱石作品最初で最後の「直接告白」の含まれる章であるからには、それも当然であろう。(ただし相手は人妻で、姦通罪に問われかねない行為ではあったが。)
 その「告白」のために代助が準備した「3つの段取り」というのは、先の項で述べた愛の3点セットの先駆けとなるべきものである。(14ノ7回)

Ⅰ 嫂への電話(父の家には明日行くと言って、横槍を封じる)。

Ⅱ 白百合の花束で部屋を飾る。

Ⅲ 門野に俥で三千代を連れて来るよう命じる。

 自分がプロポーズするのに相手の所へのこのこ出かけて行かないのが漱石のやり方である(他に例がないので何とも言えないが)。だからこそ準備も出来るのである。そしてくどいようだが、これらの「3点」は論者が任意にピックアップした3点ではなく、本当に漱石はこの3件しか描いてないのである。たとえば部屋に香水を振り撒くといった、(俗物の)兄を半分感心させたような行為をしたとは(あるいはしなかったとも)、漱石は書いていないのである。

 代助の家にやって来た三千代には、すでに覚悟らしきものが出来ていたようである。漱石の筆はこのとき一瞬ではあるが、三千代に憑依する(まるで丹青会での三四郎と美禰子のように)。

 三千代は固より手紙を見た時から、何事かを予期して来た。其予期のうちには恐れと、喜と、心配とがあった。車から降りて、座敷へ案内される迄、三千代の顔は其予期の色をもって漲っていた。三千代の表情はそこで、はたと留まった。代助の様子は三千代に夫丈の打衝を与える程に強烈であった。(『それから』14ノ8回)

 もちろん三千代の「予期」は代助の想定の内ではあろう。漱石が代助を置き去りにして三千代に乗り移ったとまでは言い切れないかも知れない。しかしこのくだりは『それから』の中では、限りなく例外的な叙述であることだけは確かであろう。三千代の気持ちが作者によって随意に描かれるなら、代助の悩みなど書く必要がなくなるからである。

何か御用なの」と三千代は漸くにして問うた。代助は、ただ、
「ええ」と云った。二人は夫限で、又しばらく雨の音を聴いた。
何か急な御用なの」と三千代が又尋ねた。代助は又、
「ええ」と云った。・・・
 ・ ・ ・
 ・・・けれども、彼は三千代から何の用かを聞かれた時に、すぐ己れを傾ける事が出来なかった。二度聞かれた時に猶躊躇した。三度目には、已を得ず
「まあ、緩くり話しましょう」と云って、巻煙草に火を点けた。・・・(14ノ8回)

 代助は三千代から何の用か3回聞かれた後、それでもすぐには用件を切り出さず、昔話を始める。(14ノ8回)

Ⅰ 派手な半襟

Ⅱ 銀杏返し

Ⅲ 白百合の花

 10章で書かれた「決意の3点セット」に重なる「昔話の3点セット」から、兄(菅沼)の話に移る。三千代の兄は、文学芸術趣味の代助と比べて、その分野では普通以上の感受性を持たないと書かれるから(14ノ9回)、彼らの専攻はおそらく、

Ⅰ 代助―英文学

Ⅱ 菅沼―法律

Ⅲ 平岡―経済

 であろうか。いずれにせよ兄の思い出話で4年前の結婚時に戻った三千代と代助のふたりは、改めてプロポーズをやり直すことになるのである。
 そしてこのとき(明治42年夏)三千代が着ていた「銘仙の紺絣に唐草模様の一重帯」(14ノ8回)は、漱石の読者であれば永く記憶にとどめておきたくなる代物であろう。なにしろ漱石最初で最後のプロポーズに女性が纏っていた物であるからには。