明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

野分

漱石「最後の挨拶」野分篇 7

342.『野分』のカレンダー(2)――描かれなかった山陽路 前項冒頭で物語の期間は明治39年10月下旬~12月中旬の2ヶ月間と述べた。もう少し詳しく見てみると、白井道也が借りた百円について、物語の大詰で(名目上の)債権者が道也に返済を迫るシーンが…

漱石「最後の挨拶」野分篇 6

341.『野分』のカレンダー(1)――やはり1年ズレているかも知れない 『野分』は明治39年12月に書かれ、『ホトトギス』明治40年1月号に一括掲載された。物語は概ねその明治39年の終わりの頃の話である。これは白井道也が演説会で「明治の四十年」(…

漱石「最後の挨拶」野分篇 5

340.『野分』式場益平からの手紙(4)――ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド 本文改訂ということで言えばもう1つ、『坊っちゃん』の清のセリフ、「もう御別れになるかも知れません。存分御機嫌よう」(『坊っちゃん』第1章) 論者は先にこの「存分」を「随分」…

漱石「最後の挨拶」野分篇 4

339.『野分』式場益平からの手紙(3)――漱石は誰の手紙も保存しない さて式場益平の話に戻って、漱石の葉書を再々掲する。〇書簡No.811 全文 明治40年1月[推定] はがき 駒込神明町七十三 式場益平様/本郷西片町十ロノ七 夏目金之助 野分の御批評難有…

漱石「最後の挨拶」野分篇 3

338.『野分』式場益平からの手紙(2)――115年目の本文改訂『野分』篇 「先生私はあなたの、弟子です。――越後の高田で先生をいじめて追い出した弟子の一人です。」(『野分』第12章/大正6年12月漱石全集刊行会版漱石全集第2巻――以降20世紀の漱石…

漱石「最後の挨拶」野分篇 2

337.『野分』式場益平からの手紙(1)――驚愕の高岡市と高田市 例によって漱石作品本文の引用(青色文字)は、原則として岩波書店の平成版『漱石全集』『定本漱石全集』に拠る。ただし現代仮名遣いに改めた。論者(筆者・引用者)による強調はアンダラインで…

漱石「最後の挨拶」野分篇 1

336.『野分』はじめに――小説の神様が愛読した小説 本ブログは『三四郎』『それから』『門』の初期(青春)3部作、『彼岸過迄』『行人』『心』の中期3部作のあと、『道草』に入る前に、『坊っちゃん』『草枕』と寄り道したが、本ブログ草枕篇(28)で述べ…